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キリストの裁きを経験する証し

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03.地位を失ってから…

河南省焦作市 ホイミン

交代させられてがっかりしたり、弱気になったりいじけたりして、もうそれ以上信仰を続けて行くことを望まなくなった人のことを見聞きするたび、そんな人たちを見下していました。異なる人々が教会の中で異なる役割をもっているだけのことで、上下の差はなく、私たちは皆神の創造であり、気を落とすようなことはなにもないと思っていました。ですから、新しい信者の世話をしている場合でも、ある地域を統率している時でも、自分の地位にそれほどこだわったり、自分がそのような人間だと思ったりしたことは、一度もありませんでした。私自身が交代させられたときにそのような恥ずかしい行動にでようとは、夢にも思いませんでした。

私の仕事が暫くの間結果をもたらさなかったとき、私のリーダーが私を更迭したのです。あの時は、私の性格が地域のリーダーとしてふさわしくないとしても、せめて注ぐことや福祉の仕事をすることは許されるに違いないと思いました。まさかリーダーに日常的なことをさせられるとは全く予期していませんでした。私のように誇りある地域のリーダーだった者が、今日は使い走りをさせられているなどと考え、教会の中で可能であれば誰でも、またそれほど知性のない者でもこの仕事はできるではないか、と驚かされました。この仕事を私にさせるなんて、明らかに私の能力の無駄遣いではないでしょうかと。しかし、私のシスターたちが私は反抗的だとか、自分の地位を気にかけているなどと言うことを恐れて、自分の気持ちは心の中にしまっておいたのです。でも、家に帰るや否や、ベッドに倒れ込み、嫌な気持ちがしました。これからは何の地位も持たなくなることや、私の兄妹たちが私をどんな目で見るだろうかといった考えで、頭がいっぱいになりました。そして私に使い走りをさせるなんて―—どうやって栄光を取り戻すことができると言うのでしょう。考えれば考えるほど、ますます気分が悪くなったのでした。

数日後、私のために仕事を用意してくれたシスターに会いました。会うや否や、彼女は私に交わり、「この仕事は簡単に見えますが、それでも献身的に行わなければなりません」と言い、さらに英知や従うことといった側面における真実について話すのです。わたしはただ曖昧にぶつぶつとつぶやく一方で、「あなたが私に交わるとは!まるで私は何も知らないかのように?はじめにあなたに交わったのは、この私ではありませんか!いまは逆にあなたが私にはなしているなんて!」と考え、私の心は燃え盛る炎のようになったのです。シスターが交わったうちの一言も、私の心には届きませんでした。かわりに、ただ彼女の饒舌さをいまいましく思っただけでした。最後に私は「他に何か?ないなら私はもう行きます」と、邪険に言いました。帰ってくると、何故私はシスターに対してあのような態度をとったのかと、考え続けました。もし彼女の地位が常に私のそれより上かまたは同じであったら、あのように接したでしょうか?いいえ、あのようには接しなかったでしょう。絶対にしなかったでしょう!ずっと彼女を導いていたのは私で、それが今は彼女の番になり、私が納得できないままでいた事柄を指摘したからではなかったでしょうか?私が地位についての考えに支配されていたことを示しているのではありませんか?私は突然、自分自身の恥ずべき行動について、最悪の気分になり、神の審判の言葉が思い浮かんだのです。「あなたがたの追求がこのようなものであればあるほど、あなたがたが刈り入れる物は少なくなるであろう。ある者の地位に対する欲望が強ければ強いほど、そうした物は一層深刻な取り扱いと精錬を受ける必要がある。こうした者は極めて無価値である。こうした者は、地位に対する欲望を完全に捨て去るため、十分に取り扱いと裁きを受ける必要がある。あなたがたは、最後までこのようにして追求するならば、何も刈り入れないであろう。いのちを追求しない者を変化させることは不可能である。真理を渇望しない者は、真理を得られない。あなたがたは自分の変化の追求と真摯な取り組みに重点を置かず、常にそうしたとりとめも無い欲望や、神に対する自分の愛を抑制する物事や、自分が神に近付くことを阻む物事に重点を置く。こうした物事は、あなたがたを変化させることが出来るであろうか。こうした物事は、あなたがたを御国へと導くであろうか。あなたがたの追求の目的が真理を追求することでは無いならば、あなたがたは、これを機に、俗世に戻って成功をめざせばよいであろう。そのようにして時間を無駄にするのは全く無価値である。なぜ自分を苦しめるのか。」(『言葉は肉において現れる』より)神の言葉を見たり、自身について考えたりしているうちに、私が求めて来たのは真実などでは全くなく、また、神を満足させようとしていたのでもなく、かわりに名声、利益、そして地位だったと気付いたのです。地位を得たことで、私の自信は100倍になりました。地位無しには、すっかり意気消沈してしまい、機嫌が悪くなり、がっかりして、仕事をする気になどなれませんでした。私はすっかり私の地位のことに気持ちを奪われ、意味のないことや価値のないことに一日中心を捕われたままばたばたとして、多くの時間を無駄にしていました。その挙げ句に私は何を得たのでしょうか。今日見せた恥ずべき行動でしょうか?神が私の為にしてくださったことの全てを考えてみると、私は神の御心を神が私に託して下さった信頼で満たすどころか、全くその反対に、神が私に下さった義務を低俗すぎると憤慨し、したくないと思ったのです。それで私は自分自身の良心に従っていたでしょうか?私は名声、利益、そして地位を追い求めることの恥ずかしさをみせて下さり、また私があまりにも高慢であり傲慢で、地位に過大な重要性を見いだしていたことに気付かせて下さった神の啓示について、神に感謝したのです。すると神の御言葉の歌が私の心に浮かんだのです。「神よ、私に地位があるか無いかに係わらず、私は自分を理解しました。私の地位が高いのであれば、それはあなたの聖体奉挙のおかげであり、私の地位が低いのであれば、それはあなたの按手のおかげです。全てはあなたの御手の中にあります。私には選択肢も不満も一切ありません。…あなたの支配に完全に服従すべきであると定められました。なぜなら万事はあなたの定められた物事の中にあるからです。…あなたが私を用いられるとしても、私は創造物です。あなたが私を完全にされるとしても、私は創造物です。あなたが私を完全にされなかったとしても、私はあなたを愛しているでしょう。なぜなら、私は創造された物でしか無いからです。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)私は涙を流しながらこの歌を何度も繰り返し歌い、神の前に祈りを捧げに来ました。神よ!あなたの言葉を通して私はあなたの意図を理解するようになりました。私の地位が高かろうと低かろうと、私はあなたの創造であり、あなたの定めに完全に従わなければならないこと、あなたが私に委ねたことに対してえり好みをするのではなく、あなたの創造物の一つとして相応しい義務を遂行する為に最善を尽くさなければならないのです。神よ!私はあなたの定めに従い、あなたの前で雄牛のように働き、あなたの意のままになり、二度と私自身を苦しめたり、地位の為にあなたを傷つけたりしないことを望みます。神よ!私が自分の地位の追求をやめることができるように、あなたに近付きあなたを愛するのを阻むようなことを捨て、真摯に私の本分を尽くすためにできる限りのことをするために、私はあなたがさらに私を取り扱い、私をお裁きになることを望みます。

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