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78.終わりの日の神の働きにおいて、なぜ神はこれほど多くの裁きと刑罰の言葉を発するのか。

神の御言葉による答え:

人の罪は神の十字架の働きの故に赦されたが、人は古い、堕落したサタン的な性質の中で生き続けてきた。そのため、人は堕落したサタン的な性質から完全に救われなければならない。そうすることで、人の罪深い本性が完全に取り除かれ、二度と芽生えなくなり、人の性質が変えられるのである。そのためには、人はいのちの成長の筋道、いのちの道、そして性質を変えるための道を知らなくてはならない。また、人はこの道に沿って行動することが必要とされる。その結果、人の性質は次第に変わり、光の輝きの下で生きることができ、すべてを神の心に沿って行なうことができ、堕落したサタン的な性質を捨て去ることができ、サタンの暗闇の影響から解放されることができ、よれにより罪から完全に抜け出ることができる。このとき初めて人は完全なる救いを受けることができる。イエスがその働きを行なっていたとき、イエスに関する人の認識は依然として漠然として不明瞭だった。人は昔からイエスをダビデの子と信じ、偉大な預言者で人の罪を贖う情け深い主であると宣言した。信仰によって、イエスの衣の端を触っただけで癒された人々もいれば、盲人たちが見えるようになり、死人さえ生き返った。しかし、人は堕落したサタン的な性質が人に深く根づいているのが発見できず、それを捨て去る方法も知らなかった。人は肉の平安や幸福、一人の信仰による家族全体の祝福、病人の癒しなど多くの恵みを受けた。残りは良い行いや外見上の信心深さであった。そのようなものを基に生きることができるなら、その人は良い信者と思われたのである。そのような信者だけが死後、天国に入ることができるとされた。それは彼らが救われたことを意味する。しかし、彼らはその生涯において、いのちの道を全く理解していなかった。彼らはただ罪を犯しては告白し、それを常に繰り返すのみで、性質が変えられる道へ進んでいる訳ではなかった。これが恵みの時代の人間の状態であった。人は完全な救いを得たのであろうか。いや、得なかった。だから、その段階が終わってからも、依然として裁きと刑罰の働きがある。この段階は人に従う道を与えるように、言葉を通して人を清くする。もし悪霊を追い出すことを続けるなら、この段階は有益でも意義深くもないだろう。というのは、人の罪深い性質が捨てられることもないだろうし、人は罪の赦しにだけ執着するだろうからである。罪のためのいけにえを通して、人は罪を赦されてきた。というのは十字架の働きがすでに終わり、神はサタンに勝利したからである。しかし、人の堕落した性質は依然として人の中に留まっており、人は依然として罪を犯し、神を拒むことができる。神はまだ人類を得ていない。だからこの段階の働きで神は言葉を用いて人の堕落した性質を示し、人に正しい道に沿って実践するよう求めるのである。この段階は前の段階よりもっと意味があり、もっと有益である。というのは、今、人に直接いのちを提供し、人の性質を完全に新しくできるのは言葉だからである。それはもっと徹底的な働きの段階である。だから、終わりの日の受肉は神の受肉の意義を完成し、人の救いのための神の経営計画を完全に終了したのである。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。

『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より

当時、イエスは使徒たちにとっては不可解な働きをたくさん行い、人々には理解できないことを多く言った。これは当時イエスが説明しなかったからである。そのため、イエスが去ってから数年後にマタイがイエスの系図を作り、他の者も人間の意志による働きをたくさん行なった。イエスは人を完全にし、自分のものとするために来たのではなく、働きの一段階をするために来たのである。それは天の国の福音をもたらし、十字架の働きを完成させることであり、イエスが十字架につけられた時点でその働きは完了している。しかし、現在の段階、征服の働きの段階では、もっと多くの言葉が語られ、もっと多くの働きがなされ、そして多くの過程を踏まなければならない。イエスとヤーウェの働きの奥義も明らかにされ、すべての人が信仰において理解と明瞭を得られるようにされなければならない。というのは、これは終わりの日の働きで、終わりの日は神の働きの終わりであり、この働きが完了する時だからである。働きのこの段階はあなたのためにヤーウェの律法とイエスの贖いを明確にするであろう。この働きは主にあなたが神の六千年の経営(救いの)計画の全体像を理解し、六千年の経営計画のすべての意義と実体を理解し、イエスによってなされたすべての働きとイエスが語った言葉の目的、そしてあなたの聖書に対する盲目的信用と崇拝さえも理解するためである。この段階の働きはこれら全てをあなたがたに理解させるであろう。あなたはイエスによってなされた働きと今日の神の働きの両方を理解するようになるであろう。真理、いのち、そして道をすべて理解し見上げるであろう。イエスによってなされた働きの段階で、イエスはなぜ神の働きを終えることなく去ったのだろうか。それはイエスの働きの段階は、完了の働きではなかったからである。イエスが十字架に釘付けにされたとき、イエスが語った言葉もまた終わりを迎えた。十字架刑の後、イエスの働きは完全に終わりとなった。現段階は違っている。言葉が最後まで語られ、神の働きの全体が完了したあとではじめて、神の働きは終わる。イエスの働きの段階の期間、多くの言葉が語られずに終わったか、あるいは明確に語られなかった。しかしイエスの職分は言葉による職分ではなかったため、イエスは自分が何を語って何を語らなかったかは気にかけず、そのため、十字架につけられた後に去って行った。その段階の働きは主に十字架刑のためであり、今日の働きの段階とは異なる。この段階の働きは基本的には完了すること、明確化すること、そしてすべての働きを終結することである。もし言葉が最後の最後まで語られないなら、この働きを終える方法はないであろう。この段階の働きで、すべての働きは、言葉を用いて終わり達成されるからである。当時イエスは人には理解できない多くの働きをした。イエスは静かに去り、今日依然としてイエスの言葉が理解できない人たちが多くいる。彼らの理解は間違っているが、それでも彼らは正しいと信じており、間違っていることを知らない。最後には、この現段階は神の働きを完全に終わらせ、その結論を提供するであろう。すべての人たちが神の経営計画を理解し知るようになるであろう。人の中にある観念、意図、間違った理解、ヤーウェとイエスの働きに関する人の観念、異邦人についての見解、そして人のすべての逸脱と間違いは正されるであろう。そして人は人生の正しい道、神によってなされたすべての働き、そしてすべての真理を理解するであろう。そうなった時、この段階の働きは終わりとなるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

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