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全能神、終わりの日のキリストの代表的な言葉

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XI 神の求め、奨励、警告、慰めについての代表的な言葉

(Ⅲ)人への神の警告についての代表的な言葉

神の受肉を否定する人々は、霊、あるいは神が行う働きの原則を知らない人なのだ。今は聖霊の時代だと信じているのに、聖霊の新しい働きを受け入れない人々は、曖昧な信仰の中に生きている人なのだ。こうした態度の人々は聖霊の働きを決して受けとらない。聖霊が直接語りかけ、働きを実行することだけを望み、肉となった神の言葉や働きを受け入れない人々は新しい時代に足を踏み入れることも、神からの全き救いを受けることも決してできない。

『言葉は肉において現れる』の「自己の観念で神を規定している人がどうして神の啓示を受けることができるだろうか」より

メシアを理解しない人々は皆、イエスに逆らい、イエスを拒絶し、イエスを中傷することができる。イエスを理解しない人々は皆、イエスを否定し、イエスをののしることができる。さらに、彼らはイエスの再臨をサタンの偽りとして見ることができ、より多くの人が受肉し再来したイエスを非難するであろう。これらのことにより、あなたがたは恐ろしくならないのか。あなたがたが直面することは聖霊に対する冒涜であり、教会に向けた聖霊の言葉を台無しにし、イエスが表した全てをはねつけることとなる。それほど混乱しているなら、イエスから何を得られるというのか。あなたがたは頑なに自分の間違いに気がつくのを拒絶しているのに、イエスが白い雲に乗って肉に戻ってくる時にイエスの働きをどのようにしてあなたがたが理解できるというのか。わたしは言う。真理を受け入れず白い雲に乗ったイエスの再臨を盲目的に待つ人々は、確実に聖霊を冒涜することになり、彼らは滅ぼされる種族である。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。その時あなたは大きな興奮に包まれるだろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ送られ、懲罰を受ける時でもあることを、あなたは知るべきだ。それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人がしるしを見る前、真理の現れだけがある時に終わる。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。

『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上で業を行うために託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない報いは、誰の目にも明らかだ。そして、あなたが終わりの日のキリストに敵対し、否定するなら、誰もその結末をあなたに代わって引き受けることはできないともわたしは言おう。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえあなたが自らの罪を償おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが否定したのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。だから、全ての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりすることのないように。あなたにいのちを与えるのは真理以外にはなく、あなたを生まれ変わらせ、神の顔を仰ぐことができるようにしてくれるものは、真理以外にはないからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

わたしはすべての人にわたしが行ってきたことは正しく、わたしの行ったことは全てわたしの性質の表現であることを知って欲しいと思っている。人類を生み出したのは人の行いではなく、とりわけ大自然の行いではない。それどころか、創造されたすべてのものの中で、あらゆる生けるものを育むのはわたしである。わたしの存在なしには、人類は滅びる他なく、酷い災難を経験するだけであろう。だれも麗しい太陽や月、緑にあふれる世界を再び見ることはできないだろう。人類は極寒の夜や、避けられない死の影の谷に遭遇するだけだろう。わたしは人類の唯一の救いである。わたしは人類の唯一の望みであり、さらに、わたしは全人類がその存在を託すその者である。わたしがいなくては、人類はすぐに停滞してしまう。わたしがいなくては、たとえだれもわたしに注意していなくても、人類は大災害に苦しみ、あらゆる種類の霊に踏みつけられるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

わたしの言葉は永遠に変わらない真理である。わたしは人間にとっていのちの提供者で、人類のための唯一の案内人である。だが誰もこの真実を知らない。わたしの言葉の価値と意味は、人間に認められているか受け入れられているかではなく、言葉自体の本質で決定される。たとえこの地上でだれひとりわたしの言葉を受け入れることができないとしても、わたしの言葉の価値と、どれだけそれが人類に対する助けになるかは、人には評価できないほどである。だから、わたしの言葉に逆らい、論駁し、あるいはわたしの言葉を全く軽蔑している人たちに直面するとき、わたしの変わらない姿勢はこうである。時と事実をわたしの証人とさせ、そしてわたしの言葉は確かに真理であり、道であり、いのちであることを証明する。そして、わたしが言ってきたことはすべて正しく、人はそれを備えるべきであり、さらに人はそれを受け入れるべきであることを彼らに実証させよう。わたしはわたしに従う人たちすべてにこの事実を知らせる。すなわち、わたしの言葉を完全に受け入れることができない人たち、わたしの言葉を実践できない人たち、わたしの言葉に目的を見いだせない人たち、そしてわたしの言葉ゆえに救いを受け入れることができない人たちはわたしの言葉によって罪に定められた人たちであり、さらにわたしの救いを失ってきた人たちである。わたしのむちは決して彼らから離れることはない。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがたは自分の行いを考慮すべきである」より

もしあなたがこうした真理を重視せず、避けたり、別の道を考え出そうと常に考えたりしているなら、あなたはひどい罪人だとわたしは言おう。もしあなたが神を信じていても、神の真理やその心を追求せず、あなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている者だとわたしは言おう。あなたは、偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者で、神は自分の目から逃れようとする反抗者を誰ひとり容赦しない。そうした人は、更に重い懲罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より

わたしはわたしがすべきことをし、すべきでないことはしない。しかし、あなたがたがもっと反省することに時間を費やすようわたしは依然として望んでいる。あなたの神に対する認識が正確にはどれほど正しいのだろうか。あなたは再び神を十字架に釘づけにした人たちの一人だろうか。最後にこう言おう。「わざわいだ。神を十字架につけた者たち。」

『言葉は肉において現れる』の「悪人は罰せられなければならない」より

人間は、自分の中に神を崇める心、そして神に対して従順な心を持っていなかった場合、神のために業を行うことが出来ないだけでなく、その反対に神の御業を阻害し、神に反抗する者となるであろう。神を信じる者が神に従う事も、神を崇めることも無く、神に反抗した場合、それは信者にとって最大の恥辱である。

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

私の業は、あなたがたにとって極めて有益である。私があなたがたから得ることを望むのは、正直で肯定的な心であるが、現在に至るまで、私の手には何も無い。考えて欲しいのだが、将来、私が依然としてこのような言いようの無い苦い思いをしているとしたら、あなたがたに対する私の態度はどのようなものとなるであろうか。私は現在と同様に親しくするであろうか。私の心は、現在と同様に安らかであろうか。あなたがたは、骨折って畑仕事をしたが全く収穫を得なかった者の気持ちが分かるだろうか。強く打たれた者の傷がどれほど深いか分かるだろうか。希望に満ちつつ、誰かと不当な条件で訣別せねばならない者の苦渋を、あなたがたは感じることができるだろうか。挑発された者の怒りを理解したことがあるだろうか。敵意を向けられ、欺かれた者の復讐の衝動を理解することが出来るだろうか。そうした者の精神を理解するならば、神が報いられる時の姿勢を想像するのは、困難ではないであろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点について」より

わたしはあなたがたに忠告する。わたしが招く人たちは一度も堕落したことがない人たちではない。そうではなく、わたしが選ぶ人たちはわたしを真に愛している人たちである。だから、あなたがたは言葉と行いにおいて油断することなく、あなたがたの意図や考え方を吟味し、一線を超えないようにしなければならない。この終わりの時、わたしの前にあなたがたの愛を捧げることができるよう最善を尽くしなさい。さもないと、わたしの怒りがあなたがたから離れることはない。

『言葉は肉において現れる』の「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」より

もし、物事の現在の状態に不満であり、自分には何らかの特別な技能や能力があると考え、運が良ければ現状を変えたり現状から逃れられたりすると考えている者がいたり、人間の力で自分の運命を変えたい、他人よりも卓越し、名声と富を得ようとしている者がいたとすれば、その者に言っておくが、その者は自分で物事を困難にし、問題を買って出て、墓穴を掘っているのだ。遅かれ早かれ、その者は自分が選択を誤っていること、無駄な努力をしていることに気付くであろう。あなたの運命に立ち向かう志と願望、大それた行動は、あなたを取り返しのつかない状態へと続く道へと導き、そのために辛い代償を払うこととなるであろう。

『言葉は肉において現れる』(続編)「唯一の神自身3」より

真理を実践する予定ではない者に対し、それ以上罪を重ねないよう、今すぐ教会を去るよう勧告する。さもなければ、後悔するのも手遅れとなる時が来るであろう。また特に教会内の徒党を組む者や分裂を招く者、地域の下劣なへびは、なおさら直ちに教会を去る必要がある。こうした邪悪な狼のような本性の者は、変わることが出来ないので、神の罰を避けるため、出来るだけ早く教会を去り、兄弟姉妹の正しい生活を二度と阻害してはならない。こうした者と親しくしている人々は、その機会を活用して反省するのがよい。あなたがたは、邪悪な者に付き従って教会から去るであろうか、それとも教会に残り、完全な誠実さをもって付き従うであろうか。あなたがたは、このことを十分検討する必要がある。

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

わたしの目の前でどんなに哀れっぽく見せようとしても、わたしは決して寛大にはならない。人は白と黒の違い、真理と非真理の違いを把握していないからである。理知は大いに麻痺しているにもかかわらず、人はまだ恩恵を得ようと願い、人間性はひどく下劣であるにもかかわらず、まだ王としての統治を保有しようと願う。そのような理知の持ち主がいったい誰の王になれるというのか。そのような人間性の者がどうして玉座に着くことができようか。実に人は恥を知らない。身の程知らずな卑劣漢である。恩恵を得たいと願うあなたがたに対し、わたしはまず鏡を見つけて、そこに映る自分自身の醜い姿を見ることを勧める。あなたは王になるために必要なものを持っているだろうか。あなたは恩恵を得ることのできる者の顔を持っているだろうか。性質にわずかな変化もなく、真理は何一つ実践していないにもかかわらず、あなたはまだ素晴らしい明日を願っている。あなたは自分自身を欺いている。

『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より

多くの人たちは自分たちが犯した甚だしい過ち故に、心が落ち着くことはなく、穏やかでない。また多くの人たちはたった一つの良い行いすらしてこなかったことを恥じている。しかし、自分たちの罪を恥ずかしいとは全く思わず、ますます悪くなる者たちも多く、まだ完全に暴露されていない自分たちの醜い顔の覆いを完全に引き剥がし、わたしの性質を試そうとする。わたしは、誰かの行動を気にすることも注意深く見ることもない。むしろ、情報収集であれ、地上を歩き回ることであれ、興味のあることであれ、わたしはわたしがしなければならないことをする。大切な時には、一秒も遅れることも、早まることもなく、計画通りに人々の中でわたしの働きを進め、それは楽々とまた素早く行われる。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

しかし、わたしの働きの各段階で、捨て去られる人たちもいる。わたしは彼らが見かけばかりであることや、彼らの見せかけのへつらいを軽蔑するからである。わたしが忌み嫌う者たちは意図的であろうがなかろうが確実に捨てられる。つまり、わたしはわたしが軽蔑する全ての者が離れていくことを望んでいる。言うまでもなく、わたしの家に留まっている悪い者たちを見逃すことはしない。人を懲罰する日が近づいているため、あのような卑劣な魂を全て急いで投げ捨てようとは思わない。なぜなら、わたし自身の計画があるからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

わたしが受肉しているとき、誰でも肉の体のわたしと、わたしの働きについて議論する者を、わたしは憎む。わたしには地上に身内がないのであり、誰であっても、わたしを同等の存在と見て、わたしを引き寄せて昔のことを語ろうとする者は滅ぼされるのだということを、すべての人間に、わたしは何度も思い起こさせた。これがわたしの権限である。そうしたことについて、わたしは人間に対して、まったく許容しない。わたしの働きを妨げてわたしに意見しようとする者は、刑罰を受ける。けっして赦されることがない。

『言葉は肉において現れる』の「二十番目の言葉」より

神の言葉を読みながら心の中では神に反発している人も多いのだろうが、そのように反発した後は、胸がえぐられるような思いをして、仮に家庭での不和や、身体の不調または子供達に関する悩み事などを生むのではないだろうか。たとえあなたの肉体が死を免れたとしても、神の手から逃がれることはできないし、そのような単純なことではないのである。これは、神に近い人ほど特に気をつけるべきことである。あなたは、時が経つにつれてこのことを忘れ、気付かないうちに誘惑に嵌り、全てに無頓着になり、そしてその時からあなたが罪を犯す始まりになる。これは取るに足らない些細な問題だと、あなたは思われるだろうか。もし実践を守れば、あなたは完全にしてもらう機会を得る。そして神の面前で、神の口から直接その助言を受けることができる。それを重要としないのであれば、あなたにとってこれは災いになる。つまり、神に対し反抗的になり、あなたの言葉と行動が放蕩になり、遅かれ早かれ強風と巨大な波に流されるということである。あなたがたは一人ずつ、これらのことを心に留めておくべきである。神の証しする者は、あなたを罪に定めないかもしれないが、神の霊はあなたの裁きを終えていないし、神はあなたを赦さない。それでもあなたは、神に対して罪を犯すことができるのか。そういうわけで、神が何を言っても、あなたは神の言葉を実践し、あらゆる手段を使って忠実に守らなければならない。それは決して容易なことではないが。

『言葉は肉において現れる』の「新時代の戒め」より

多神主義的に考えている場合、わたしはあなたに人間くずである、サタンの化身である、邪悪の権化であると言わざるを得ない。……時間、場所、あなた方の経歴を問わず、あなたは神と、人間、物事を混同してはならない。神の権威を知ることや、神の権威や神自身の本質に近づくことが、どれほど困難であると感じているか、またあなたの考え方や想像がどの程度サタンの行動や言葉と一致するか、そうした行動や言葉にあなたがどの程度満足しているかを問わず、あなたは愚かであってはならず、それらの概念に惑わされてはならず、神の地位と存在を否定してはならず、心の中の神を排除して、神の代わりにサタンを受け容れて、サタンを崇拝してはならない。そのようなことをした場合、どのような結末が待っているかは、あなた方に想像できることであると、わたしは確信している。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身1」より

愛は神の本質の一部であり、また神は全ての人間に憐れみを与えるが、神の本質が威厳でもあることを人間は軽視し、忘れてしまう。神に愛があることは、人間が自由に神に反することが可能であり、神には感情も反応も無い、ということではない。神に憐れみがあることは、神による人間の取り扱いに原則が無い、ということではない。神は生きており、現実に存在する。神は想像上の操り人形などでは無い。神は存在するので、人間は神の心の言葉を注意して聞き、神の姿勢に注意し、神の感情を理解する必要がある。人間は、人間自身の想像により神を定義したり、人間が神に関して思うことや望むことを神に強制したり、神に人間の流儀で人間の取り扱いかたを考えさせたりしてはならない。そのようなことをするというのは、あなた方は神の怒りを買い、神の怒りを試し、神の威厳を挑発しているに等しい。

『言葉は肉において現れる』(続編)「神の性質と神の業の結果を知る方法」より

わたしとの長年の関わり合いをもってしても人間性と真理を持つ人間とならず、代わりに邪悪な生き方が浸透しており、誇大妄想が倍増しているだけでなく、わたしに対する誤解が増加し、わたしを仲間としてしか見ないようであれば、あなたの苦しみは皮膚だけにとどまらず、骨にまで浸透してしまっている。その場合、為せるべきことは自らの葬儀の準備が整うのを待つことだけだ。その時になってあなたの神になってほしいとわたしに嘆願する必要はない。あなたは死に値する、赦されない罪を犯してしまったのであるから。例えわたしが慈悲を与えることができたとしても、天の神はあなたの命を取ることを主張するであろう。神の性質に対する罪は普通の問題ではなく、非常に深刻な性質のものだからだ。

『言葉は肉において現れる』の「地上の神をどのように知るか」より

人々は、役人や主君に仕えるやり方を神の家に持ち込み、そういうやり方がここで通用すると、無益に思い込んでいる。彼らには、神は羊ではなく、獅子の性質を持っているとは、思いもつかない。そのため、初めて神と関わった者は、神と交わることができない。神の心は人間のそれとは異なっているのだから。多くの真理を理解して初めて、いつでも神を知っていられるようになる。この認識は文字や教義ではなく、神の心を知る宝、神があなたを喜んでいる証となるものである。真の認識を欠き、真理を自らのものとしていないのなら、あなたの感情に基づいた奉仕は神に嫌われ、憎まれるだけである。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

第三の忠告だが、まず神を信じる者はみな、これまでたどってきた道のどこかで神に逆らい、神を欺いたことがある。過ちの中には、不正として記録する必要のないものもあるが、赦されないものもある。その多くは行政に背くものであり、神の性質に逆らうものだからである。自分の運命を心配する多くの人々は、それはどういう行いかと尋ねるだろう。あなたがたは、自分が本来、傲慢で尊大であり、事実を受け入れることを望んでいないということを知らなければならない。だから、まずあなたがたが自らを省みた後、少しずつ教えていこう。行政の内容をよく理解し、神の性質を知るようにしなさい。そうでなければ、唇を閉じていることができず、いつまでも偉そうなことをまくしたてるだろうから。無意識の中に神の性質に逆らい、闇に落ち、聖霊と光とを失うことになる。あなたがたは、行いにおいて無原則だからだ。してはいけないことをし、言ってはいけないことを言うなら、相応の罰を受けることになる。あなたは言葉と行いにおいて無原則であっても、神はそのいずれにおいても、まことに原則がある。あなたが罰を受けるのは、人にではなく、神に背いたからだ。もし、あなたの人生で神の性質に背くようなことを幾度もしたのであれば、あなたは地獄の子ということになる。人間の目には、真理に沿わないことを少ししただけのことと見えるだろう。しかしながら、神の目からすると、あなたのためには、もう罪を贖う捧げ物がないのだということは、わかっているだろうか。あなたは行政に何度も背いていながら、悔い改めようとしなかった。そのため、地獄に落とされ、神の懲罰を受けるしかないのだ。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

今後の経験において、わたしが述べた事柄をあなた方が実行できることを願っている。神を無視したり、空気のようなものとみなしたりしてはならず、自分に都合の良い時だけ神が存在するような気がするが、それ以外の時は神が存在しないような気がするようであってはならない。あなたが、無意識のうちにそのように認識している場合、あなたは既に神を激怒させている。

『言葉は肉において現れる』(続編)「神の性質と神の業の結果を知る方法」より

…この神の性質は、神の言葉でしばしば述べられている。あなたが神のためにどれほど多くの道を歩み、どれほど働き、どれほど堪え忍んできたとしても、あなたが神の性質を害すると、神はあなたに対し、あなたがしたことに応じて報いを与える。あなたは、この言葉を見たことがあるだろうか。(見たことがある。)見たことがあるであろう。これは、神が人間を神に親しい存在とみなしているかも知れないが、人間は神を友達や親戚のように扱ってはならないことを意味する。神を友達のように扱ってはならない。あなたが如何に多くの愛情を神から受けていたとしても、如何に多くの寛容さを与えられていたとしても、決して神を友達のように扱ってはならない。これが神の義なる性質である。…人間が神を害した場合、それは1回の行動あるいはひと言の発言が原因であるとは限らず、むしろその人間の態度や状態が原因である。これは極めて恐るべきことである。

『言葉は肉において現れる』(続編)「唯一の神自身7」より

わたしの業は、人間の霊を救う業である。あなたの霊がサタンの掌中に陥ったならば、あなたの身体は平和な日々を送れないであろう。わたしがあなたの身体を護っているならば、あなたの霊は確実にわたしの庇護にあるであろう。わたしがあなたを本気で忌み嫌ったならば、あなたの身体と霊は、即座にサタンの掌中に陥るであろう。あなたは、そうなった場合の自分の状況を想像出来るだろうか。ある日わたしの言葉があなたがたに意味をなさなくなったならば、わたしはあなたがたを全てサタンに引き渡し、わたしの怒りが完全に無くなるまで2倍の苦悶を与えるか、あるいはわたし自らが、救いようのない人間であるあなたがたに懲罰を与える。なぜなら、あなたがたがわたしを裏切る心は変わらなかったからである。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題:裏切り(2)」より

わたしが挙げた要求は、すべてあなたがたが自分を検証するためのものである。あなたがた全員が、これらの問題を真剣に検討出来ること、そしてわたしをいい加減に取り扱わない事を期待している。わたしは近い将来、わたしの要求に対するあなたがたの回答を確認する。その時までは、あなたがたにそれ以上の物事を要求することは無く、またあなたがたに深刻な忠告をそれ以上述べることは無いであろう。そしてわたしは、自分の権威を行使する。残すべき者は残され、報いられるべき者は報いられ、サタンに引き渡されるべき者は、サタンに引き渡され、厳罰を受けるべき者は厳罰を受け、滅ぶべき者は滅ぼされるであろう。そのようにして、わたしの日にわたしを侵害する者は誰も居なくなるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題:裏切り(2)」より

人々は、些かといえどもわたしの存在を信じず、わたしの到来を歓迎もしない。人類はただ渋々とわたしの要求に応え、一時的にそれらの要求に合意する。彼らは人生の喜びや悲しみを心からわたしと共有したりしない。人々はわたしを不可解な存在と見るので、渋々わたしに微笑むふりをし、権力に擦り寄る姿をうっかり見せてしまう。これは、人々がわたしの働きについて、ましてや今日のわたしの意図について何の知識も持ち合わせないからである。わたしはあなた方すべてに正直に言う。その日が来ると、わたしを崇めるすべての人の苦しみは、あなた方の苦しみほどではないだろう。あなた方の信仰は実際、ヨブのそれを超えていない──ユダヤのパリサイ人の信仰ですら、あなた方の信仰を上回る──したがって、差し迫る、火で焼かれる日にあなた方は、イエスに非難される時にはパリサイ人達よりも多くの苦しみを受け、モーセに抵抗した250人のリーダーよりも多くの苦しみを受け、滅びのときに焼けるような炎の下に置かれたソドムよりも重い苦しみを受けるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「本物の人とは何を意味するか」より

人々は、わたしの到来を喜ばず、わたしの栄光の日々を尊びもしない。彼らは、わたしの刑罰を喜んで受け入れることはなく、ましてやわたしの栄光をわたしに復させようなどとはせず、悪魔の毒を進んで投げ捨てようとすることもない。人々は常にわたしをだまし、いつでも明るい微笑と幸せそうな顔を装う。彼らはわたしの栄光が去った後に直面する暗闇の深さに気づかず、とりわけ、わたしの日が人類全体にやってくるとき、彼らの日々はノアの時代の人々のそれよりもなお一層厳しいことに気づいていない。なぜなら、彼らはわたしの栄光がイスラエルを去ったときの暗さがどれほどだったかを知らない。人は夜明けが訪れると、夜の真っ暗闇を通り抜けることがいかに厳しいかを忘れる。太陽が再び隠れ、夜の暗闇が人の上にのしかかるとき、彼は暗闇の中で再び、悲嘆にくれ歯ぎしりする。わたしの栄光がイスラエルから別れた時、イスラエルの人たちがその困難の中でどれほど苦しんだかを、あなた方は忘れたのか。

『言葉は肉において現れる』の「本物の人とは何を意味するか」より

無数の理由から―おそらく、時間が足りず、多忙を極めた仕事のスケジュールなどの理由で―わたしの性質により人がわたしのことを少しでも知るようにさせるには至らなかった。ゆえに、わたしの新しい計画、わたしの最後の働きへと前進してわたしの働きの新しいページを開き、その結果、わたしを見る者たちはみな、わたしの存在ゆえに胸をたたいて、とめどなく泣くだろう。それは、わたしはこの世に人類の最後をもたらし、その後、わたしの性質をすべて人類の前に公布するからだ。そうして、わたしを知っている人たちもわたしを知らない人たちもすべて「喜んで見つめる」。そして、確かに、わたしが人間の世界に現れ、全てのものが増える地上に来たことを知るのである。これはわたしの計画であり、わたしの人類の創造以来、たったひとつの「告白」である。あなたがたにわたしの一挙一動だけを見つめて欲しいと願う。わたしの杖はもう一度、人類に、わたしに敵対する者たちすべての近くに押しつけられているからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

私のひと言で、宇宙の隅から隅まで全体が揺れ動く。誰が私の言葉を聞いて震撼せずにいられようか。誰が、私を畏れる心を抱かないであろうか。誰が、私の業から私の義と威厳を知り得ないであろうか。誰が、私の業において私の全能性と知恵を認めることが出来ずに居るであろうか。不注意な者は皆、確実に死ぬであろう。なぜなら、不注意な者は私を裏切る者であり、私を知らない者であり、最も残忍な大天使だからである。あなたがたは、自分自身を確認する必要がある。残忍であり、独善的で傲慢で自惚れた者は、私の嫌悪の対象であることは確実であり、滅びるであろう。

「キリストが最初に発した言葉と証し」より

神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

わたしの日が来たら、わたしは燃える炎を、かつてわたしを強烈に激怒させた不従順な者たちの上に永遠に雨あられとふりかけ、かつてわたしに悪口雑言を投げつけ、わたしを見捨てたあの獣たちに永続的懲罰を課し、かつてわたしと共に食べ、暮らしたがわたしの存在を信じず、わたしを侮辱し、裏切った不従順な息子たちを怒りの火でいつまでも焼くだろう。わたしはわたしの怒りを引き起こしたすべての人々に懲罰を与え、わたしの怒りのすべてを、かつてわたしと対等につきあうことを望んだにもかかわらずわたしを礼拝せず、従わなかった獣どもに雨あられとふりかける。わたしが人を打つ鞭は、かつてわたしの顧みや、わたしが話した奥義を楽しみ、わたしから物質的楽しみを引き出そうとしたあの獣たちを攻撃する。わたしはわたしの場所を取ろうとする者は誰も許さない。わたしから食べものや衣服を奪おうとする者は誰も容赦しない。今のところ、あなたがたは損害を免れており、相変わらず背伸びしてわたしに無理な要求をしようとしている。怒りの日が来たら、あなたがたはわたしにこれ以上要求はしないだろう。その時、わたしはあなたがたを心ゆくまで「楽しませ」、あなたがたの顔を地中に押し込もう。そうすれば二度と起き上がることができないだろう。遅かれ早かれ、わたしはこの負債をあなたがたに「返す」──そしてあなたがたが辛抱強くこの日の来るのを待つことを

『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より

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