日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 144

サタンの誘惑

マタイによる福音書 4:1-4 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

これは悪魔が主イエスを初めて試みようとしたときの言葉です。悪魔の言ったことの内容は何ですか。(「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。)悪魔が言ったこれらの言葉は極めて単純ですが、その本質に問題はありますか。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言いましたが、心の中では悪魔はイエスが神の子であることを知っていましたか。キリストであることを知っていましたか。(知っていました。)それでは、なぜ悪魔は「もし……であるなら」と言ったのですか。(神様を試そうとしていたのです。)しかし、そうする悪魔の目的は何でしたか。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言いました。心の中では、悪魔はイエス・キリストが神の子であることを知っていました。このことは悪魔の心の中ではとても明確でした。しかし、それを知っていながら、悪魔は主イエスに服従、あるいは主イエスを礼拝しましたか。(いいえ。)悪魔は何がしたかったのですか。悪魔はこの方法とこれらの言葉を用いることで、主イエスを怒らせ、自分の意図にしたがって行動するよう、主イエスを騙したかったのです。これが悪魔の言葉の裏に意図されたことではありませんでしたか。サタンは心の中では、明らかにそれが主イエス・キリストであることを知っていましたが、それにもかかわらずこう言ったのです。これがサタンの本性ではありませんか。サタンの本性は何ですか。(ずるくて、邪悪で、神様への畏敬の念がありません。)神への畏敬の念をもたないことで生じる結果は何でしょうか。サタンは神を攻撃したかったのではありませんか。神を攻撃するのにこの方法を用いたかったのです。それゆえに悪魔は、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と言いました。これはサタンの邪悪な意図ではありませんか。はたして悪魔は何をしようとしていたのですか。悪魔の目的は明らかです。この方法を用いて主イエス・キリストの地位と身分を反証しようとしたのです。それらの言葉の意味は、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい。もしできないなら、あなたは神の子ではないので、その働きを今後一切行なうな」ということでした。そうではありませんか。悪魔はこの方法で神を攻撃したかったのです。神の働きを取り壊し、つぶしたかったのです。これはサタンの悪意です。サタンの憎悪はその本性の自然な表れです。サタンは主イエス・キリストは神の子であり、神の受肉そのものであると知っていたのに、このようなことをせずにはいられず、神の後ろをつけ、執拗に神を攻撃し続け、神の働きを妨害し破壊しようと手を尽くしたのです。

さて、サタンが言った「これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」という表現を分析しましょう。石をパンにする、これは何かを意味していますか。もし食べ物があるのなら、なぜそれを食べないのですか。なぜ石を食べ物に変える必要があるのですか。ここには何の意味もないと言えますか。このとき主イエスは断食をしていましたが、食べ物をもっていたはずです。(もっていました。)つまり、ここにサタンがこの言葉を言ったことの馬鹿らしさがあります。サタンの狡猾さと悪意にもかかわらず、わたしたちはその馬鹿らしさと愚かさがわかるのです。サタンの行なう幾つものことを通して、サタンの悪意に満ちた本性が、サタンが神の働きを破壊するのが見え、とても憎むべき腹立たしいものだと感じます。けれど、他方ではサタンの言動の背後に幼稚で愚かな本性も見えませんか。これはサタンの本性が露呈しているのです。サタンはこのような本性をもつため、このようなことをします。この言葉は今日の人々には馬鹿げていて笑えてきます。けれど、このような言葉は確かにサタンが言いそうなものです。サタンは無知で愚かだと言うことができますか。サタンの邪悪はいたるところにあり、絶えず暴露されています。そして主イエスはどのように返答しましたか。(「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。)これらの言葉には力がありますか。(あります。)なぜ力があると言うのですか。これらの言葉は真理だからです。では、人はパンだけで生きるものですか。主イエスは四十日四十夜断食しました。飢え死にしましたか。(いいえ。)飢え死にしませんでした。そこでサタンは主イエスに近づいて、「石を食べ物に変えれば、食べるものがあるではないか。それなら断食する必要もなく、空腹にならずにすむではないか」というようなことを言って、主イエスに石を食べ物に変えるように促しました。けれど主イエスは、「人はパンだけで生きるものではなく」と言いました。これは、人間は肉体に生きてはいるが、人間の肉体を生かし、呼吸させるものは食べ物ではなく、神の口から出るありとあらゆる言葉である、という意味です。一方で、これらの言葉は真理であり、人々に信仰を与え、自分は神に頼ることができ、神は真理であると感じさせます。他方で、この言葉には実際的な面がありますか。主イエスは四十日四十夜断食したあと、それでも立ち、なお生きていたのではありませんか。これは実例ではありませんか。主イエスは四十日四十夜のあいだ一切の食べ物を食べていませんでした。それでもまだ生きていました。これはこの聖句を裏付ける強力な証拠です。これらの言葉は単純ですが、主イエスはサタンに試みられたときにだけそれらを語ったのでしょうか、それともこれらの言葉はすでに、当然ながら主イエスの一部だったのでしょうか。別の言い方をするならば、神は真理であり、神はいのちですが、神の真理といのちは後に追加されたものでしたか。それは後の経験から生まれたものでしたか。いや、それは神に元来備わっているものです。つまり、真理といのちは神の本質なのです。神に何が起ころうと、神が表すものは真理です。この真理、この言葉は、その内容の長短に関わらず、人間を生かし、人間にいのちを与えることができます。この言葉は、人間がその中に真理を見出し、人生の道について明らかにし、神への信仰をもつことを可能にします。言い換えるなら、神がこの言葉を用いたことの源泉は肯定的です。それではこの肯定的なことは聖なるものだと言うことができますか。(はい。)サタンの言葉はサタンの本性に由来します。サタンはその邪悪な本性、悪意にみちた本性をいたるところで常に暴露します。さて、サタンはこのような暴露を自然に行ないますか。誰かが指図するのですか。誰かが手を貸すのですか。誰かが強要するのですか。(いいえ。)それはすべて自発的な暴露です。これがサタンの邪悪な本性です。神が何を、どのように行なおうと、サタンは神のすぐ後に付いて来ます。サタンのこのような言動の本質と真の本性が、邪悪で悪意に満ちたサタンの本質なのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 5」(『言葉』第2巻)より

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