「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート3)

25.今、神は人間の思想や霊、そして人間の心の中に数千年にわたり存在する神の印象を変化させるために人間の元へ来る。神はこの機会を利用して、人間を完全にする。つまり、神は、神に関する人間の認識を白紙の状態に戻し、そこから再び始めて、そうすることにより人間の心が一新され、変化されるようにするため、人間の認識により、人間が神を知る方法と、神に対する人間の姿勢を変化させる。取り扱いと鍛錬は手段であり、目的は征服と革新である。神の意向は永遠に、漠然とした神に関して人間が抱いている迷信的思想を払拭することであり、それは最近になって神の喫緊の課題となった。全ての人間がこの問題について一層深く考えることを願う。こうした神の喫緊の趣意が早急に行われ、地における業の最終段階が実りある結末を迎えるようにするため、人間がそれぞれ経験する方法を変えなさい。自分が示すべき忠義を示し、最後にもう一度神の心を安らげるようにしなさい。この責任を回避したり、その身振りだけをしたりする兄弟姉妹が誰もいないことを願う。

26.今回、神が受肉して来るのは、招かれてのことであり、人間の状態に鑑みてのことである。つまり、神は人間に必要とされる物事を人間に授けるために来る。神は、器量や育ちを問わず、神の言葉を理解すること、神の言葉から神の存在と顕現を理解すること、神による人間の完全化を受け容れることを、全ての人間にとって可能なものとするであろう。神の言葉は、神の素顔が人間の心に深く根付くよう、人間の思想と観念を変化させるであろう。神の地における望みは、これだけである。人間の本性がどの程度偉大であるか、人間の本質がどの程度劣っているか、過去にどのように振る舞ったかを問わず、神はそうした物事を考慮しない。神は、人間が自らの心に抱く神の印象を一新し、人間の本質を知り、よって人間の観念的なものの見方を変化させることのみを願っている。神は、人間が神を心から待ち望み、神に対する永遠の愛慕の念を抱くことを願っている。神の人間に対する要求は、それが全てである。

27.数千年に及ぶ古代文化や歴史に関する知識により、人間の思考や概念、精神的観念は極めて固く閉ざされ、浸透不可能かつ分解不可能なものとなっている。人間は、あたかも神により地下牢に追放されて二度と光を見ることが無いかのように、十八層地獄で生活している。封建的思想が人間を迫害し続け、人間は辛うじて呼吸するほどまで息が詰まっている。人間には反抗する力が全く無く、ひたすら黙して耐え続けている。義と公平のために敢えて戦い、立ち上がる者は今まで一人もいなかった。人間は毎日領主の虐待と暴挙の下で動物同然に生活して年を重ねてゆくだけである。人間は神を求めて地の幸福を享受しようと考えたことが無い。それは、ひからびて色がくすんだ枯れ葉のように人間が打ち倒されたかのようである。人間は遙か昔に記憶を失い、人間の世界という陰府で絶望的に暮らし、自分が陰府もろとも滅びるよう、最後の日の到来を待っており、人間が待っている最後の日は、あたかも安らかな平和が人間に授けられる日であるかのようである。封建的倫理は、人間の生活を「ハデス」へと陥れており、人間が反抗する能力は一層少なくなっている。様々な虐待により、人間は徐々にハデスの深い所、神から一層遠い所へと強制的に陥れられた。現在、神は人間にとって全く知らない存在であり、人間は依然として神と会うと神を急いで避けようとする。人間は神を認めず、あたかもそれまで人間が神を知る事も神に会うことも無かったかのように、神を孤立させる。……古代文化の知識は、神の前から何も言わずに人間をさらって魔王とその末裔に引き渡した。四書五経は、人間の思想と観念を新時代の反逆へと導き、人間が四書五経を記した者達を一層崇拝するようにして、人間が抱く神の観念を助長した。魔王は冷酷に、そして人間が気付かぬうちに、人間の心から神を排除しつつ、面白がって人間の心を奪った。その時以来、人間は魔王の顔をした醜く邪悪な霊に取り付かれている。神への憎しみが人間の胸を満たし、魔王の凶悪さが日々人間の中に広がってゆき、ついに人間は完全に滅ぼされた。人間は自由を失い、魔王の呪縛から逃れる事が出来なくなった。ゆえに、人間は1か所に留まり、囚われることを余儀なくされ、魔王に降伏し、服従した。魔王は人間の若い心に無神論の腫れ物の種を植え付け、「科学技術を学び、四つの近代化を実現せよ。この世に神はいない。」など、人間に偽りを諭した。それだけでなく、魔王は「私達の勤勉な労働により素晴らしい国を建てよう。」と繰り返し宣言し、全ての者に対して、幼少時代から自国のために仕える訓練をするよう要求した。人間は無意識のうちに魔王の前へと導かれ、魔王は(あらゆる人間を掌握している神を名乗り)躊躇無く人間を我がものとした。魔王は、一度も恥じらうことは無く、恥辱を覚えることは一切無かった。さらに、魔王は厚かましくも神の選民を自分の家の中に捕らえ、ねずみのように机上に飛び乗り、人間に自分を神として崇拝させた。魔王は、何という無法者であろうか。魔王は「この世に神はいない。風は自然の法則が原因である。雨は凝結して水滴となって地表に落ちる水分である。地震は地質学的変化に起因する地表の振動である。干ばつは太陽表面の原子核工学的障害により起こる大気の乾燥である。これらは自然現象である。そのうちどれが神の業だというのか。」などという衝撃的な中傷を唱える。その上魔王は、「人間は古代の類人猿から進化したもので、現在の世界は、約10億年前の原始社会から進化したものである。ある国家の栄枯盛衰は、その国家の国民の手により決まる。」などという恥知らずな事を呼びかける。後ろの方では、人間に魔王を上下逆にして壁に掛けさせ、机上に鎮座させて崇拝させる。魔王は「神はいない。」と唱えるが、魔王は自らを神とみなし、真の神を執拗に地の果ての外へと追いやろうとする。魔王は神の地位に立ち、魔王として君臨する。何と途方も無く馬鹿げたことであろうか。魔王は、有害な憎悪により人間に滅びをもたらす。神は魔王の宿敵であり、神は魔王と折り合いを付けることが不可能であると思われる。魔王は神の駆逐を謀り、罰を受けることも捕らわれることも無いままの、まさしく魔王である。どうして人間が魔王の存在を容赦できようか。魔王は、神の業を阻止し、打ち砕いて台無しにするまで休むことが無く、それはあたかも最後にどちらかが滅びるまで、魔王は神に反抗し続けたいかのようである。魔王は、故意に神に反抗し、常に神に近付く。魔王の忌まわしい顔は、完全に仮面を剥がれて久しく、打ちのめされてあざが出来ている。重度の窮状にあるが、それでも神への憎悪が衰えることは無く、それはあたかも魔王が神を一口に呑み込んで自分の心の憎しみを癒やすことを望んでいるかのようである。こうした憎むべき神の敵を、どうして人間は容赦出来ようか。人間の生涯の望みを叶えるには、魔王の根絶と完全な駆除によるほか無いであろう。どうして魔王を意のままにさせるのを許しておけるであろうか。魔王は、人間が天日を知らず、行き詰まって愚鈍になるまで人間を腐敗させた。人間は正常な人間の理知を失った。私達の全てを捧げて魔王を打ち焼き払い、未だに残る危険性に対する恐れを解消し、神の業が早急に嘗て無い輝きに達することが出来るようにしようではないか。この悪党どもは人間の中に来て、徹底した騒動と混乱を引き起こした。そうした悪党どもは全ての人間を原理の縁へと追い詰め、粉砕してその屍をむさぼることを密かに企んでいる。そうした悪党どもは、愚かしくも大博打を打って神の計画を阻止し、神と争うことを望んでいる。それは決して容易ではない。最も憎むべき罪に咎められるべき魔王のために、遂に十字架が用意された。その十字架は、もはや神が架けられるものではなく、神は既にそれを悪魔が架けられるものとして、譲り渡している。はるか以前に、神は勝利し、人間の罪に対する悲しみを感じなくなっている。神は、全人類に対して救いを授ける。

28.上から下まで、そして最初から最後まで、魔王は神の業を阻害し、神に協調しない行動を取り続けてきた。古代文化遺産や貴重な古代文化の知恵、道教や儒教の教え、儒教の五経と封建時代の礼に関する話が、人間を陰府に陥れた。現代の先進科学技術も、発展した農工業、そして商業も、全く見当たらない。むしろ魔王は、故意に神の業を阻害し、それに反対し、それを破壊するために、古代の「類人猿」により広められた、封建時代の礼をひたすら強調する。魔王は現在に至るまで人間を苦しめてきたが、それだけでなく人間を完全に食い物にすることを望んでいる。そうした封建時代の倫理規定に関する教え、古代文化の知恵の継承が、人間を長年にわたって蝕み、大小の悪魔へと変貌させて来た。神を快く受け容れ、神の降臨を歓迎するであろう者は、ごく僅かである。人間の表情は殺気に満ち、至る所で死の気配が感じられる。そうした者は、神をこの地から排除することを求め、神を抹消するために、刀剣を持って陣を組んでいる。悪魔の地全体において、偶像が広まり、人間は、神はいないと教えられ続けている。この地の上には、吐き気を催すような紙と香の焼ける臭いが強く漂っており、窒息するほどである。それはへびがとぐろを巻く時に放つ汚泥の臭いのようであり、人間は嘔吐ずにはいられないほどである。それに加えて、悪魔達の読経が、かすかに聞き取れる。その声色は陰府の遠い所から聞こえるようであり、人間は背筋が凍るのを感じずにはいられない。虹色の偶像がこの地全体に散在し、それがこの地を幻惑の世界へと変え、魔王は自分の邪悪な謀りが成就したかのように、常に薄笑いを浮かべている。その一方、人間はそれに全く気付かず、自分の理性が無くなり、自分が打ち倒されるほどまでに悪魔が自分を腐敗させたことに気付かない。悪魔は神の全てを一撃打破し、再び神を侮辱し、暗殺することを望み、神の業を打ち壊し、阻害しようとする。どうして悪魔は神が同等の地位にあることを甘受出来ようか。どうして悪魔は、地において人間の中で行う自分の業を神が「邪魔する」のを許すことが出来ようか。どうして悪魔は神が自分の醜悪な顔を暴くのを許すことが出来ようか。どうして悪魔は神が自分の業を阻止するのを許すことが出来ようか。そう酷く怒っている悪魔が、どうして神が地における権力の宮を治めるのを甘受するであろうか。どうして悪魔が敗北を認めることを望むであろうか。悪魔の醜悪な表情は悪魔の在り方を示しており、それゆえ人間は自分が笑うべきか泣くべきか分からなくなり、悪魔について語ることは極めて困難である。それが悪魔の本質ではなかろうか。悪魔は、醜悪な霊で、自分が驚異的に美しいと信じている。全くけしからぬ共犯者集団である。悪魔は人間の中に来て享楽にふけり、混乱を助長する。悪魔の阻害行為により、世界的な日和見主義的風潮が興り、人間の心を狼狽させる。また、悪魔が人間を歪めたため、人間は見るに堪えない醜悪な獣のようであり、元来の聖い人間の姿は皆無である。悪魔は、地における暴君としての権力を掌握することさえ望む。悪魔は神の業を妨害しており、それにより神の業は辛うじて前進し、銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めることが出来る。極めて多くの罪を犯し、極めて多くの問題を引き起こしてきた悪魔には、どうして罰を待つ以外に何か期待出来ることが有るだろうか。悪魔と悪霊は、地上を暴れ回り、神の心と丹精を込めた努力を封じ込めて、それらを浸透不可能なものとしている。何という大罪であろうか。どうして神が不安にならずにいられようか。どうして神が怒らずにいられようか。悪魔は、神の業に対して重篤な妨害や反対を引き起こしている。まったく反逆的過ぎる。そうした大小の悪魔は、自分よりも強力な悪魔に対してでさえも、横柄な態度を取って波乱を引き起こす。悪魔は真理を明瞭に理解しているにもかかわらず、故意に真理に逆らう。まさに反逆の子である。それは、陰府にある悪魔達の王が玉座に就いたので、自惚れて他人を全て侮辱しているかのようである。真理を求め、義に付き従う者は、何人いるだろうか。そうした悪魔は皆、肥やしの中のはえがたかり、ぶたや犬のような、頭を振って混乱を招く獣である。そうした悪魔は、自分達が腐敗物に群がるはえに過ぎないことには気づかず、陰府にある自分達の王が、全ての王の中で至高の存在であると考えている。それだけではなく、自分達のぶたや犬の両親に頼り、神の存在に対して中傷的なことを述べる。そうした小ばえのような者は、自分達の両親がハクジラのように大きいものであると考えている。そうした者は、自分達は極めて小さい存在であるが、自分達の両親は自分達よりも10億倍大きく不浄なぶたや犬であることに気付かないのであろうか。そうした者は、自分の卑しさに気付かず、ぶたや犬の腐った臭いを根拠として暴れ回り、将来の世代を生み出す妄想にとらわれる。これは完全なる厚顔無恥である。そうした者は、自分の背中に緑色の羽根がある(自分が神を信仰していると主張することを指す)ことで、自惚れて自分の美しさと魅力を至るところで自慢するようになり、密かに自らの不浄を人間になすりつける。さらに、そうした者の自惚れは、あたかも虹色の羽根が自分の不浄を隠すことが出来るかのようであり、それゆえに真の神の存在を迫害する(この件は、宗教界の内情を指す)。人間は殆ど知らないが、はえの羽根は美しく魅力的だが、所詮は不浄に満ち、細菌に覆われた、小さなハエである。そうした者(真の神と真理を裏切る国家の強力な支援を受けて神を迫害する宗教関係者を指す)は、両親であるぶたや犬の力を借り、圧倒的な凶暴さで地の上で暴れ回る。それは、あたかもユダヤのパリサイ人の幽霊が、古巣である赤い大きな竜の国家へと、神と共に戻ったかのようである。そうした者は、自らの迫害の業を再開し、その数千年にわたる業を継続する。こうした退化した者の集団が最後に地の上で滅びることは確実である。数千年が経過した後、不浄な霊は、さらに狡猾で悪賢くなっているようである。そうした者は、密かに神の業を台無しにする術を常に考えている。そうした者は狡猾で悪賢く、自国で数千年前の悲劇を再現することを望んでいる。そうした行いにより、神は扇動されて大声で叫ぶ寸前の状態にされ、神は第三の天に戻ってそうした者を滅ぼさずにいられない。人間が神を愛するためには、人間は神の心、神の喜びと悲しみ、そして神が嫌悪する物事を理解しなくてはならない。そうすることにより、人間の霊的成長が促進される。人間の霊的成長が早ければ早いほど、神の心は、一層満足される。人間が悪魔の王を明瞭に識別すればするほど、人間は神へと近付くので、神の望みを満たすことが出来るであろう。

29.終わりの日における神の業は、これまでわたしが何度も述べてきたように、人間の深く傷ついた心が一新されるように各人の霊を変化させ、魂を変化させるようにし、よって邪悪により極めて深い傷を負っている人間の霊を救うため、人間の魂を目覚めさせ、凍えた心を温め、回復出来るようにするためのものである。これが神の偉大な心である。人間の人生と経験がどれほど高尚か、深淵かといった話はさておき、人間の心が目覚め、夢から醒めて、赤い大きな竜が与えた傷を十分に理解した時、神の務めの業は完了する。神の業が完了する日は、神への正しい信仰を人間が正式に開始する日でもある。その時、神の務めは終わりを迎える。肉にある神の業は完了し、人間は正式に尽くすべき本分にとりかかり、自分の務めを行うであろう。これが神の業の各段階である。ゆえに、あなたがたは、そうした物事に関して知ることを基礎として自分が成長する道を模索する必要がある。こうした物事は、すべてあなたがたが理解すべきものである。

30.人間の成長は、人間の心の深部で変化があった時に限って促進される。なぜなら、神の業は、贖われた人間、未だ闇の力の下で暮らしている人間、そして一度も目覚めなかった人間を、悪魔の集まる場所から完全に救うことだからである。神の業は、人間が数千年の罪から逃れて神に愛され、赤い大きな竜を完全に打ち倒して神の国を建て、一層早く神の心を安らげるためのものである。また神の業は、あなたがたの胸に溜まっている憎しみを、例外無く払拭し、そうしたかびのような菌を根絶し、あなたがたが牛や馬同然の生活から脱出できるようにし、奴隷状態から解放され、赤い大きな竜により意のままに踏みつけられたり支配されたりすることから解放されるためのものである。あなたがたは、この行き詰まった国の国民ではなくなり、凶悪な赤い大きな竜のものでは無くなり、赤い大きな竜に奴隷とされることは無くなるであろう。そうした悪魔の巣窟は神により粉砕されることは確実であり、あなたがたは神の傍らに立つであろう。あなたがたは神のものであり、奴隷の帝国に帰属しない。神は久しくこの暗黒社会を骨の髄から忌み嫌っている。神は歯ぎしりし、この邪悪な老いたへびが再び立ち上がって人間を虐待する事の無いよう、そのへびを必死で踏みつけようとしている。神はそのへびの従前の行いを許さず、そのへびの人間に対する偽りを容赦せず、そのへびの遠い昔からの罪のひとつひとつに報復するであろう。神がその諸悪の首謀者に対して寛容となることは僅かばかりも無く、そのへびを完全に粉砕するであろう。

31.この地は数千年にわたり不浄の地となっており、耐えがたいほど汚れ、悲劇に溢れる。至る所に幽霊が彷徨い、欺し偽り、根拠の無い告発を行い、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍の山を残した。腐った屍の悪臭が地を覆って充満しており、その地は堅く警護されている。誰が空の彼方の世界を見ることが出来ようか。その悪魔はあらゆる者の身体をがんじがらめにして両眼をえぐり出し、口を堅く封じる。魔王は数千年にわたって現在まで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。その一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでおり、番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを強く怖れ、平和と幸福の余地は無い。こうした幽霊の街に住む人間が神を見たなどということが、どうして有り得るだろうか。そうした者は神の高貴さや愛しさを享受したことが、嘗てあったであろうか。人間の世界の物事について、そうした者はどのように認識しているであろうか。そうした者のうち、誰が神の切なる望みを理解できるであろうか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議では無い。悪魔が残忍非道をはたらくような、こうした暗黒社会において、瞬く間に人々を殺す魔王が、愛しく懇切で聖い神の存在を、どうして容認出来ようか。どうして魔王は神の到来に喝采を送ることができようか。まったく卑屈な者どもである。そうした者は恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、親切さのかけらもなく、純真な者を無分別な物事へと誘惑する。遠い昔の祖先はどうだろうか。愛された指導者はどうだろうか。そうした者は皆、神に反抗している。そうした者の干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられたのだ。宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である。誰が神の業を受け容れたというのか。誰が神の業のために命を捧げ、血を流したというのか。親から子へ、何世代にもわたって、奴隷とされた人間は不作法に神を奴隷としてきた。そうした物事がどうして怒りを買わずに居られるであろうか。数千年におよぶ憎しみが心に凝縮され、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。こうした状態で、どうして憎悪感を覚えずに居られようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討し、敵が二度と蔓延ることを許してはならない。また敵が意のままに問題を起こすことを許してはならない。今こそが、仇討ちの時である。そのために、この悪魔の忌々しい顔を裂き、盲目にされてありとあらゆる苦難を受けてきた人々が、苦難から立ち直って邪悪な年老いた悪魔に背を向けて立ち去ることが出来るよう、人間は長きにわたり全力を注ぎ、かつ全面的に取り組み、あらゆる代償を払ってきた。なぜ、神の業に対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺く様々な謀りを用いるのか。真の自由や正当な権利と権益はどこにあるのか。公平さは、どこにあるのか。安らぎは、どこにあるのか。温もりは、どこにあるのか。偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのは何故か。神が来るのを武力で抑制するのは何故か。神が造った地の上を、神が自由に移動させないのは、何故か。神が枕するところが無くなるほどに神を追うのは、何故か。人間の温もりは、どこにあるのか。人間同士の歓迎は、どこにあるのか。神に対して、それほどまで絶望的な思慕を引き起こすのは、何故か。神に何度も叫ばせるのは、何故か。神の愛する子を神に強制的に憂わせるは、何故か。この暗黒社会とその哀れな番犬が、神の造った世界を神が自由に出入り出来るようにしないのは、何故か。苦痛と苦難の中に生きる人間が理解しないのは、何故か。あなたがたのために、神は大いなる苦痛を受け、大いなる苦しみをもって神の愛する子、そしてその肉と血をあなたがたに与えた。それならば、あなたがたが依然として盲目を向けるのは、何故か。皆が見守る中、あなたがたは神の到来を拒絶し、神の友好を拒否する。あなたがたがそれほどまで非良心的なのは、何故か。そのような暗黒社会の不当さを、あなたがたは進んで受けるのだろうか。自分の腹を数千年におよぶ敵意で満たす代わりに、魔王の「糞」で満たすのは、何故か。

32.地における神の業の各段階には、大きな困難が伴う。人間の弱さ、欠点、幼稚さ、無知さなど、人間の全てが、それぞれ神により細心の注意で計画され、入念に検討される。人間は、誰も敢えて餌をやったり挑発したりしない張り子の虎のようであり、少しでも触れると噛み付くか、あるいは倒れて道を失う。またそれはまるで、少しでも注意力を失うと逆戻りし、あるいは神を無視したり、豚の父や犬の母の元へ逃げ戻り、身体の不浄な物事に耽溺したりするようである。何と大きな障害であろうか。事実上、神の業の各段階において、神は試練に見舞われ、ほぼ全ての段階において大きな危険が及ぼされる。神の言葉は誠実かつ正直であり、悪意が無いが、誰がそれを進んで受け容れるであろうか。誰が完全に従おうとするであろうか。そのことが神の心を傷つける。神は、人間のために日夜精力的に努力し、人間のいのちに関する懸念に苛まれ、人間の弱さに同情している。神は、神の業の各段階において、また神が述べる言葉のそれぞれについて、数多くの紆余曲折に見舞われてきた。また神は常に苦境の中にあり、人間の弱さ、不従順さ、幼稚さ、弱さを常に幾度となく考えている。誰がそのことを知っているだろうか。神は誰に秘密を打ち明けることが出来るだろうか。誰が理解できるであろうか。神は人間の罪や、人間の気骨のなさ、意気地のなさを常に忌み嫌い、人間の脆弱さを常に懸念し、人間の前途を熟考している。神は、人間の言動を常に監督している時、常に慈悲と怒りで満たされ、そうした物事を見ると、常に神の心は痛む。無邪気な子は結局成長して冷淡になる。どうして神は常に人間に困難を与える必要があろうか。意志の弱い人間は忍耐力が完全に欠如している。神は何故、人間に対する衰えることの無い怒りを常に抱いている必要があるのだろうか。弱く無力な人間は全く活力が無くなる。神は何故、そうした者の不従順さを常に叱る必要があるだろうか。誰が天の神の脅威に耐えられるであろうか。結局、人間は脆く、絶望的苦境にあり、神は、人間がゆっくりと反省するよう、自らの怒りを心の奥深くへと押し込む。しかし、人間は由々しき問題に見舞われており、神の心を少しも理解しない。人間は年老いた魔王に踏みつけられるが、それに全く気付かずに、常に神に反抗するか、神に対して熱くなることも冷めることも無い。神は無数の言葉を述べたが、誰がそれを真剣に受け止めたであろうか。人間は神の言葉を理解しないが、それでも狼狽することなく、また切望すること無く、年老いた悪魔の実体を真に知ることは無かった。人間は陰府、地獄で生活しているが、海底の宮で生活していると考えている。人間は赤い大きな竜により迫害されているが、自分が竜の国から恩恵を受けていると考えている。そうした者は悪魔に嘲笑されているが、自分が肉の至高の芸術を享受していると考えている。そうした者達は、何と汚れた卑しい恥知らずであることか。人間は不幸に遭遇しているが、人間はそれに気付かず、この暗黒社会において、人間は次々と災難に見舞われるが、そうした人間はそれによって目覚めることが無い。そうした者が自分に対するいたわりと奴隷的実体を自ら捨て去るのは、何時であろうか。そうしたものが神の心に対してそれほどまで冷淡なのは何故だろうか。そうした者は、黙ってその弾圧と苦難を容認するであろうか。そうした者は、闇を光に変えることができる日を望まないだろうか。そうした者は、この義と真理に対する不当性を再度解消することを望まないだろうか。そうした者は、人々が真理を捨て、事実を歪めるのを見ても何もしないことを望んでいるであろうか。そうした者は、そうした不当な処遇を受け続けることに満足しているであろうか。そうした者は奴隷になることを望むであろうか。そうした者は、亡国の民とともに、神の手により進んで滅ぼされようとするであろうか。あなたの決意は、どこにあるだろうか。あなたの野望は、どこにあるだろうか。あなたの尊厳は、どこにあるだろうか。あなたの誠意は、どこにあるだろうか。あなたの自由は、どこにあるだろうか。あなたは、自分の人生全てを、魔王である赤い大きな竜のために進んで捨てるであろうか。あなたは、赤い大きな竜に自分を折檻させて死に至らせることに満足であろうか。海原の水面は混沌として暗く、庶民はそうした苦悩のため天に向かって呼びかけ、地に苦痛を訴えている。人間が堂々として居られるようになるのは、何時だろうか。人間は、やせ細り、衰えているので、どうしてそうした残忍な暴君のような悪魔に対抗出来ようか。そうした者が出来るだけ早く自らの命を神に捧げないのは、何故だろうか。何故未だに躊躇しているのだろうか。いつになったら神の働きを完了できるのだろうか。何の目的もなく、そのようにいじめや迫害を受けると、その者の人生は結局無駄となるであろう。そうした者が、それほどまで急いでやって来て、急いで去ろうとするのは何故だろうか。そうした者が何か貴重な物を残しておいて神に捧げることが無いのは、何故だろうか。その者は、数千年におよぶ憎しみを忘れたのであろうか。

33.今回、神はそうした業を行い、神の未完の業を完了させ、この時代を終わらせ、この時代を裁き、苦難に満ちた世界から罪深い者を救い、その者を完全に変化させるために、受肉した。ユダヤ人は神を十字架につけ、よって神のユダヤ人国家の旅を終結させた。その後間もなくして、神自らが人間の中に再来し、赤い大きな竜の国に、静かに到着した。実際は、ユダヤ人国家の宗教社会では、イエスの像を壁にかけ、人々が「主イエス・キリスト」と口にするようになって久しい。人間の中に戻り、神の未完の業の第2段階を完了するよう父に命じられたイエスが、とうの昔にそれを了承していたことを、そうした人々はほとんど知らなかった。その結果、人々はイエスを見上げた時に驚愕させられた。イエスは、いくつもの時代が過ぎ去った世界に生まれ、人間の中に至って凡人の姿で現れた。事実、いくつもの時代が過ぎ去って、イエスの衣服と全体的容姿もまた、生まれ変わったかのように変化した。そうした人々が、その者が十字架から降りて復活した主イエス・キリストと同一の者であると知ることなど到底できなかった。イエスには傷跡が全く無く、ヤーウェとの類似点も一切無い。現在のイエスは、過ぎ去った時代と無関係になって久しい。人々はどのようにしてイエスであることを知り得るであろうか。二心ある「トマス」は、それが復活したイエスであることを常に疑っており、イエスの手の釘あとを見ることを求め、しかる後に安心することが出来る。トマスは、釘あとを見なければ、常に疑念の雲の上にあり、地に足を着けてイエスに付き従うことが出来ない。トマスは哀れである。イエスは父なる神の委託を受けて業を行うために来たことを、どうしてトマスが知ることが出来ようか。イエスが磔刑の傷を負う必要があるのは、何故だろうか。磔刑の傷は、イエスの印であろうか。イエスは来て、父の旨のために業を行う。どうしてイエスが数千年前のユダヤ人の装いと出で立ちで来るであろうか。神が得る肉の形態が神の業を阻害しうるであろうか。その理論は誰が唱えたものであろうか。神が業を行うとき、どうしてその業が人間の想像に従うものである必要があるだろうか。神が業の中で取り組むことは、その業の効果を実現することのみである。神は法に従わず、神の業に規則はない。どうしてそれを人間が理解できるだろうか。どうして人間の観念で神の業を明瞭に理解出来ることがあろうか。それゆえ、あなたがたは落ち着く必要がある。些細な事を気にせず、自分にとって新たな物事について問題視しすぎないようにする必要がある。そうすることで、自分を笑いものにしなくなり、他人に嘲笑されなくなるであろう。あなたは長年にわたって神を信じてきたが、未だに神を知らない。結局、あなたは刑罰を受け、「優等生」のあなたは、降格して刑罰を受ける者たちのひとりとなる。あなたにとって、利口な方法を用いて小細工を披露するようなことが無いようにするのが最善である。あなたの狭い視野で、永遠から永遠を見通す神を真に把握出来るであろうか。あなたの表層的経験で神の心を完全に解明できるだろうか。自惚れてはならない。結局、神はこの世の者ではない。それならば、神の働きがあなたが期待する通りであることが、どうして有り得るだろうか。

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