「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 (パート1)

1.ヨハネはイエスがバプテスマを受ける七年前に天の国の福音を広め始めた。彼の働きは、それに続くイエスの働き以上のように人々には思われたが、それでもヨハネは一人の預言者でしかなかった。ヨハネは神殿の中では働いたり語ったりせず、町や村で働き、語った。ヨハネはもちろんユダヤの人々のもとで働き、語ったが、特に貧しい人々のそばでそうした。ヨハネは社会の上層部の人々とめったに接触することなく、主イエスのために適した人々を用意し、イエスが働くのに適した場所を準備するために、ユダヤの庶民のあいだでだけ福音を伝えた。ヨハネのような預言者がその道を整えたので、主イエスは到着するや否やそのまま十字架の道を歩み始めることができた。神がその働きをするために肉となったとき、神は人々を選ぶ働きをしたり、自分で人々を探したり、働く場を探したりする必要はなかった。イエスが来たとき、そのような働きをする必要はなく、到来の前にすでにそうすべき人がイエスのために準備していた。……ヨハネは七年間働いた。つまり、彼は七年間福音を宣べ伝えたのである。その間、ヨハネは多くの奇跡は行わなかった。彼の仕事は道を整え、準備することであったからである。そのほかの全ての働き、イエスが行う働きは、ヨハネとは関係がなかった。ヨハネはただ人々が救われるように、自分の罪を告白し悔い改めるよう促し、人々にバプテスマを授けただけであった。ヨハネは新しい働きをし、人がそれまでに歩いたことがなかった道を開いたが、やはりヨハネはイエスのために道を整えただけであった。ヨハネは準備の働きをした預言者に過ぎず、イエスの働きをすることはできなかった。イエスは天の国の福音を説いた最初の人ではなく、ヨハネが進んだ道に沿って続いたが、それでもイエスの働きをすることができる人はほかには誰もいなかった。そしてそれはヨハネ以上の働きだった。イエスは自分の道を整えることはできなかった。イエスの働きは神の働きを直接行なわれた。そのため、ヨハネは何年働いたとしても、やはり預言者で、道を整える人でしかなかった。イエスによってなされた三年間の働きはヨハネの七年間の働きに優っていた。イエスの働きの本質は同じではなかったからである。

2.その時、イエスの働きの一部は旧約聖書と一致しており、律法時代のモーセの律法とヤーウェの言葉とも一致していた。これらすべてをイエスはその働きの一部を行なうために使ったのである。イエスは会堂で人々に説教し教えた。そしてイエスに敵対していたパリサイ人を叱責するために旧約聖書の預言者たちの預言を用い、また彼らの不従順さをあばき非難するために聖書の言葉を用いた。というのは、彼らはイエスがしたことを軽蔑し、特に、イエスの働きの多くが聖書の律法に沿っていなかったこと、さらにイエスが教えたことは彼ら自身の言葉より高尚であり、聖書の預言者たちが預言したことよりもさらに高尚だったことを忌み嫌ったからである。イエスの働きは人類の贖いと十字架のためだけにあった。そのため、イエスは人を征服するために、それ以上の言葉を語る必要はなかった。イエスが人に教えたことの多くは聖書の言葉から来ており、そしてたとえイエスの働きが聖書を越えなかったとしても、イエスはやはり十字架の働きを達成することができた。イエスの働きは言葉の働きでも、人類の征服のためでもなく、人類を贖う働きであった。イエスは人類のために罪のいけにえとして行動しただけで、人類のための言葉の源泉として行動したのではなかった。イエスは異邦人の働き、つまり人間を征服する働きはしなかったが、十字架の働き、つまり神の存在を信じた人々の間でなされた働きをした。たとえイエスの働きが聖書に基づいて実行され、パリサイ人たちを非難するために昔の預言者によって言われたことを用いたとしても、これは十字架の働きを完成するのに十分だった。もし今日の働きが依然として聖書の昔の預言者たちの予言に基づいて実行されるなら、あなたがたを征服するのは不可能であろう。というのは旧約聖書にはあなたがた中国人の不従順さと罪の記録はなく、またあなたがたの罪の履歴もないからである。それだから、もしこの働きがまだ聖書に残っているなら、あなたがたは決して屈しないであろう。聖書に記録されているのはイスラエル人の歴史の一部だけであり、あなたがたが善か悪かを判断したり、あなたがたを裁いたりすることができるものではない。わたしがイスラエル人の歴史に従ってあなたがたを裁くと想像してみなさい――今日のようにあなたがたはわたしに従っているだろうか。あなたがたは自分達がどれほど難しい人間か知っているだろうか。この段階で言葉が全く話されなかったら、征服の働きを完成することは不可能であろう。わたしは十字架に釘付けされるために来たのではないので、あなたがたが征服されるためには、わたしは聖書から離れた言葉を話さなければならない。

3.今日なされる全てのことは現在を基にしているが、やはり律法の時代のヤーウェの働きが基盤になっており、この範囲を超えることはない。たとえば、言葉に気をつけること、姦淫を犯さないことなど――これらは旧約聖書の律法ではないだろうか。今日、あなたがたに要求されていることは十戒だけに限らず、以前のものより高尚な戒めや律法であるが、これは以前のものが廃止されたという意味ではない。というのは神の働きのそれぞれの段階は以前あった段階を基盤にして実行されるからである。……もし、今日あなたがたがイスラエルの人々と同じように、戒めに従い、旧約聖書の律法を守ることしか要求されていないなら、もしあなたがたがヤーウェによって制定された律法を暗記するように要求されたとしても、あなたがたが変えられるという可能性はないだろう。もしあなたがたがこれらの限られた命令を守ったり、数えきれないほどの律法を暗記したりするだけならば、あなたがたの古い本性は深く根ざしたままで、それを引き抜く方法はないであろう。そのため、あなたがたはますます堕落し、あなたがたのうち誰ひとりとして従順にならないであろう。つまり、僅かな簡単な戒めや数知れない律法には、あなたがたにヤーウェの働きを知らしめることはできないということである。あなたがたはイスラエル人と同じではない。律法に従い、戒めを暗記することによって、彼らはヤーウェの行いを証しし、ヤーウェだけに対する揺るぎない献身の表現をすることができたが、あなたがたにはこれを達成することはできない。そして、旧約聖書時代の僅かな戒めは、あなたがたに心を捧げるようすることもできず、あなたがたを守ることもないだけではなく、代わりにあなたがたをだらしなくさせ、あなたがたをハデスに落とすだろう。わたしの働きは征服の働きで、あなたがたの不従順さや古い本性に向けられているからである。ヤーウェとイエスの優しい言葉は今日の裁きの厳しい言葉にははるかに劣っている。そのような厳しい言葉がなくては、何千年もの間服従してこなかったあなたがた、不従順の「専門家」を征服するのは不可能であろう。旧約聖書の律法はずいぶん前にあなたがたへの力を失い、今日の裁きは古い律法よりもっとはるかに手ごわい。あなたがたに最も適しているのは裁きであって、律法という取るに足らない制限ではない。というのは、あなたがたは最初の状態の人間ではなく、何千年もの間堕落してきた人間だからである。人間が今成し遂げなければならないことは、今日の人間の現状に応じたことであり、現代人の能力と実際の霊的背丈にそったものであり、教義に従うことは要求されない。それは古い本性に変化が起こるためであり、自分の観念を捨てるためである。

4.当時、イエスの働きは人類すべての贖いであった。イエスを信じるすべての人の罪は赦された。イエスを信じている限り、イエスはあなたを贖う。イエスを信じたなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということで、信仰によって義とされるということであった。しかし、信じている人たちの中には反抗的で、神に逆うものが残っており、それはやはりゆっくり取り除かれなければならなかった。救いは人が完全にイエスのものとなったことを意味したのではなく、その人はもう罪の中にはおらず、罪が赦されたことを意味した。信じるならば、もう罪の中にはいないということである。……イエスは人を完全にし、自分のものとするために来たのではなく、働きの一段階をするために来たのである。それは天の国の福音をもたらし、十字架の働きを完成させることであり、イエスが十字架につけられた時点でその働きは完了している。しかし、現在の段階、征服の働きの段階では、もっと多くの言葉が語られ、もっと多くの働きがなされ、そして多くの過程を踏まなければならない。イエスとヤーウェの働きの奥義も明らかにされ、すべての人が信仰において理解と明瞭を得られるようにされなければならない。というのは、これは終わりの日の働きで、終わりの日は神の働きの終わりであり、この働きが完了する時だからである。働きのこの段階はあなたのためにヤーウェの律法とイエスの贖いを明確にするであろう。この働きは主にあなたが神の六千年の経営(救いの)計画の全体像を理解し、六千年の経営計画のすべての意義と実体を理解し、イエスによってなされたすべての働きとイエスが語った言葉の目的、そしてあなたの聖書に対する盲目的信用と崇拝さえも理解するためである。この段階の働きはこれら全てをあなたがたに理解させるであろう。あなたはイエスによってなされた働きと今日の神の働きの両方を理解するようになるであろう。真理、いのち、そして道をすべて理解し見上げるであろう。イエスによってなされた働きの段階で、イエスはなぜ神の働きを終えることなく去ったのだろうか。それはイエスの働きの段階は、完了の働きではなかったからである。イエスが十字架に釘付けにされたとき、イエスが語った言葉もまた終わりを迎えた。十字架刑の後、イエスの働きは完全に終わりとなった。現段階は違っている。言葉が最後まで語られ、神の働きの全体が完了したあとではじめて、神の働きは終わる。イエスの働きの段階の期間、多くの言葉が語られずに終わったか、あるいは明確に語られなかった。しかしイエスの職分は言葉による職分ではなかったため、イエスは自分が何を語って何を語らなかったかは気にかけず、そのため、十字架につけられた後に去って行った。その段階の働きは主に十字架刑のためであり、今日の働きの段階とは異なる。この段階の働きは基本的には完了すること、明確化すること、そしてすべての働きを終結することである。もし言葉が最後の最後まで語られないなら、この働きを終える方法はないであろう。この段階の働きで、すべての働きは、言葉を用いて終わり達成されるからである。当時イエスは人には理解できない多くの働きをした。イエスは静かに去り、今日依然としてイエスの言葉が理解できない人たちが多くいる。彼らの理解は間違っているが、それでも彼らは正しいと信じており、間違っていることを知らない。最後には、この現段階は神の働きを完全に終わらせ、その結論を提供するであろう。すべての人たちが神の経営計画を理解し知るようになるであろう。人の中にある観念、意図、間違った理解、ヤーウェとイエスの働きに関する人の観念、異邦人についての見解、そして人のすべての逸脱と間違いは正されるであろう。そして人はいのちの正しい道、神によってなされたすべての働き、そして真理の全貌を理解するであろう。そうなった時、この段階の働きは終わりとなるであろう。

5.ヤーウェの働きは世界の創造で、始まりであった。この段階の働きは働きの終わりで、終結である。最初に、神の働きはイスラエルの選民のあいだで実行され、最も聖なる地における新しい時代の夜明けであった。最後の段階の働きは、世界を裁き、時代を終わらせるために最も汚れた国で実行される。最初の段階では、神の働きは最も明るい地で行われ、最後の段階は最も暗い場所で実行され、この暗やみは追い払われ、光がもたらされ、すべての人々は征服されるであろう。この最も汚れた、最も暗い場所にいる人々が征服され、すべての人々が神の存在と誰が真の神であるかを認め、すべての人々がすっかり確信したとき、この事実は全宇宙におよんで征服の働きを行なうのに用いられるであろう。この段階の働きは象徴的である。一旦この時代の働きが終わると、六千年の経営の働きは完全に終わりを迎えるであろう。一旦最も暗いこの場所にいる人々が征服されると、他の場所も同じようになることは言うまでもない。そのように、中国での征服の働きのみが、象徴としての意味を持つ。中国は暗闇のすべての勢力を具現化しており、中国の人々は肉なる者、サタンのもの、そして血肉による者を表している。赤い大きな竜によって最も堕落させられ、神に最も反抗して、人間性が最も卑しく汚れているのは中国人である。だから彼らはすべての堕落した人間性の典型なのである。……なぜわたしはあなたがたはわたしの経営計画の補助であるといつも言ってきたのか。それは堕落、汚れ、不義、敵対、そして反抗が最も完全にあらゆる形で現れているのは中国の人たちの中においてだからである。一方で中国人の能力は乏しく、他方で中国人の生活と考え方は遅れており、習慣、社会環境、家族――すべてが劣っており、最も遅れている。地位もまた低い。この場所での働きは象徴的で、この試験的な働きが全て実行された後、神の次の働きはもっと順調に進むだろう。もしこの段階の働きが完成され得るなら、次の働きも勿論完成される。この段階の働きが達成されたなら、大いなる成功がおさめられ、全宇宙におよぶ征服は完全に終わりとなるであろう。実際、あなたがたのあいだで働きが成功したなら、これは全宇宙におよんで成功したと同じことである。これがわたしがあなたがたを模範、見本とする意義である。反抗、敵対、汚れ、不義…、すべてがこの人たちに見られ、彼らの中には人類の反抗心がすべて表されている。まったく大した人たちである。このように、彼らは征服の縮図として掲げられ、一旦彼らが征服されると、彼らは自然に他の人たちの見本となり模範となるであろう。

6.イスラエルで実行された最初の段階ほど象徴的なものはない。イスラエルの人々は諸国民の中で最も聖く、最も堕落していない人たちであり、この地の新しい時代の夜明けは最大の意義を持っていた。人類の祖先はイスラエルから来て、イスラエルは神の働きの発祥地であったということができる。はじめのころ、この人たちは最も聖く、そしてみなヤーウェを礼拝し、彼らの中の神の働きは偉大な成果をもたらすことができた。……彼らは全人類の中で最も堕落しておらず、はじめのころ彼らは神を見上げ、崇敬する意向であった。彼らはヤーウェの言葉に従い、常に神殿で奉仕をし、祭司の衣や冠をつけた。彼らは神を礼拝した最初の民族で、神の働きの最初の対象であった。人類すべての見本であり模範であった。聖と義の見本であり模範であった。ヨブ、アブラハム、ロト、ペトロ、テモテのような人たち――彼らはみなイスラエル人で、最も聖なる見本であり模範であった。イスラエルは人類の中で神を礼拝した最初の国で、他のどこよりも義なる人々が出た。神は将来全地で人類をより良く管理できるようにイスラエル人の中で働いた。彼らが成就したことと、ヤーウェへの崇拝の義は記録され、その結果彼らは恵みの時代にイスラエルを越えて人々の見本、模範となることができた。そして彼らの行動は今日に至るまで、数千年の働きを支えた。

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