35.全能神を受け入れることを拒否する人々をなぜ神は災の只中に置くのであろうか。

関連する神の言葉

わたしの愛する者はみな、必ず永遠に生き、わたしに敵対する者はみな、必ず永遠に刑罰を受ける。わたしはねたみ深い神だから、わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十六章」より引用

わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、真理を自分のものにしているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の旨に従わない人はみな懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である。よって、懲罰される者はみな神の義ゆえに、その数々の邪悪な行為への報いとして懲罰されるのである。……

わたしの憐れみは、わたしを愛し、自分を否定する人に向けて現わされる。そして、邪悪な者にもたらされる懲罰はわたしの義なる性質の証明そのものであり、それ以上にわたしの怒りの証である。災いがやって来ると、わたしに反抗する者はみな飢饉や疫病に苛まれ、涙を流す。あらゆる悪事を犯してきたが、長年わたしに従って来た者でも罪の償いを免れることはできない。何百万年の時を通して誰も目にしたことのないような災いに陥り、絶えず恐怖と不安の中に生きることになる。そして、わたしだけに忠誠を示して従ってきた人は喜び、わたしの力に拍手喝采する。彼らは言葉に表せないほどの満足感を体験し、わたしが人類にいまだかつて与えたことのないような喜びの中に生きる。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために十分な善行を積みなさい」より引用

このノアの物語から、神の性質の一部を見て取ることができるでしょうか。人間の堕落、汚れ、そして暴虐に対する神の忍耐には限界があります。その限界に達すると、神はもう耐えることはせず、新しい経営と新しい計画を開始し、しなければならないことをし始め、神の偉業とその性質のもう一つの面を現すのです。神のこの行いは、人が神を決して怒らせてはいけないとか、神が権威と怒りに満ちているということを示すためではなく、神が人間を滅せると示すためでもありません。ただこのような人間が自らの前で、自らの支配の下で生きていることを、神の性質とその聖い本質がそれ以上許せず、それ以上耐えることもできないのです。つまり、すべての人間が神に敵対したとき、地上で神が救うことができる人間がいなくなったとき、神はそのような人間に対し忍耐することをやめ、一切の躊躇なく、そのような人間を滅ぼす計画を実行するのです。こうした神の行動は神の性質によるところなのです。それは必然の結果であり、神の支配の下にあるすべての被造物がこれに耐えなければなりません。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 1」より引用

神の働きの各段階において、救いはやはり様々な災害の形をとり、運命づけられた者は誰もそこから逃れられない。最後になってようやく、「第三の天同様に穏やかで、ここに生きるものたちは、大きいものも小さいものも調和のうちに共存し、けっして『くちびるの言葉で争う』ことがない」という状況が地上に現れる。神の働きの一面は、言葉を用いて全人類を征服し、選民を獲得する。また別の面では、神の働きは様々な災害を通して反逆の子らを全て征服する。これは神の大規模な働きの一部である。神の望む地上の国を完全に達成するにはこの方法しかなく、これは純金のような神の働きの一部である。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第十七章」より引用

今日、わたしは赤い大きな竜の国に降り立つだけでなく、全宇宙に向き合い、天空全体を揺り動かす。わたしの裁きが下されない場所が一つでもあるだろうか。わたしの降らせる災難が存在しない場所が一つでもあるだろうか。わたしは行く先々に、ありとあらゆる「災いの種」を蒔いた。これは、わたしが働く方法の一つであり、人間を救う業であるのは間違いなく、わたしが人間に差し伸べるものは依然として一種の愛なのである。わたしは、さらに多くの人々がわたしを知り、わたしを見られるようにするとともに、そうして長きにわたって見られなかった神、いまや現実である神を崇められるようにしたい。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第十章」より引用

働きのこの段階において、神を裏切ったすべての人が再び神の玉座の前に出てひれ伏すよう、神は世界の至るところで自身の業のすべてを表わそうと望んでおり、そのため神の裁きには依然として慈悲と慈しみが含まれる。神は世界中で現在の出来事を用い、人々を狼狽させ、彼らが神を求め、神のもとに戻るようにする。ゆえに、神はこう言うのである。「これは、わたしの働く方法の一つで、必ずや人を救う行ないなのであり、わたしが人に差し伸べるものは、何であれ、一種の愛なのである」。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第十章」より引用

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