IV. 恵みの時代における救いの真理と、神の国の時代における救いの真理について

1. 当時、イエスの働きは全人類を贖う働きだった。イエスを信じるすべての人の罪は赦され、あなたがイエスを信じる限り、イエスはあなたを贖っただろう。イエスを信じるなら、もはや罪ある人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということ、信仰によって義とされるということである。しかし、信じている人たちの中には反抗的で、神に逆らうものが残っており、それはやはり徐々に取り除く必要があった。救いとは、人が完全にイエスのものとなったことを意味したのではなく、その人がもう罪の中におらず、罪を赦されたことを意味した。信じるならば、もう罪の中にはいないのである。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

2.人類は主イエスを救い主として受け入れるだけで罪を赦されるようになった。名目上、人間の罪は、救いを得て神の前に出る妨げではもはやなく、サタンが人間を責める手立てではなくなった。それは、神自身が現実の働きを行い、罪深い肉の姿を取ってその前触れとなり、また神自身が罪の捧げ物だったからである。こうして、神の肉、すなわちこの罪深い肉の姿を通じて、人間は十字架から降り、贖われ、救われたのである。

『言葉は肉において現れる』の「神の経営の中でのみ人は救われる」より

3. 人の肉はサタンに属しており、反抗的な性質に満ちており、嘆かわしいほど汚れて不純である。人は肉の喜びを過度に切望し、肉の現れは過多にある。そのため神は肉をある程度嫌っている。汚れて、堕落したサタンのものを人が捨て去れば、神の救いを得る。しかし、汚れや堕落から抜け出さないままでいるなら、相変わらずサタンの支配下に生きることになる。人の狡猾さ、不正直さ、ねじれた心はすべてサタンに属するものである。神があなたを救うのは、こうしたサタンのものからあなたを解放するためである。神の働きが間違っていることはなく、すべては人を闇から救うために行われる。ある程度まで信じ、肉体の堕落を脱ぎ捨てることができ、もはやこの堕落の束縛を受けないならば、救われるのではないのか。サタンの支配下で生きるなら、神を現わすことはできず、あなたは汚れており、神の嗣業を受け取ることはできない。いったん清められ完全にされると、あなたは聖くなり、正常な人になり、神の祝福を受け、神に喜ばれる。

『言葉は肉において現れる』の「実践(2)」より

4. 神により救われた人は神の試練を経た者、サタンの試みと攻撃を無数に受けた者なのです。神によって救われた人は神の旨と要求を理解し、神の支配と采配に従い、サタンの試みのさなかにあっても、神を畏れて悪を避ける道を捨てません。神によって救われる人は正直であり、心優しく、愛と憎しみを区別し、正義感と理性をもっており、神を気遣い神のすべてを大切にすることができます。そのような人たちはサタンに束縛されたり、監視されたり、断罪されたり、虐げられたりしておらず、完全に自由で解放されています。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 2」より

5. 自らの本分を尽くしながら神を満足させることができ、言動において原則をしっかりともち、真理のあらゆる側面において真理現実に入ることができるなら、その人は神によって完全にされる人物です。神の働きと言葉は、そのような人にとって完全に有効であり、神の言葉はその人のいのちとなり、その人は真理を得て、神の言葉に沿って生きることができる、と言うことができます。その後、その人の肉体の本性、つまり、根源的存在の基礎そのものが、震えてばらばらになり崩壊します。神の言葉を自らのいのちとして有するようになると、人は新しい人となります。神の言葉が人のいのちとなり、神の働きのビジョン、人類への神の要求、人への神による暴露、神が人に達することを要求する真のいのちのための基準が人のいのちとなり、これらの言葉と真理に従って生きるならば、人は神の言葉によって完全にされます。そのような人は生まれ変わり、神の言葉をとおして新しい人となったのです。

『終わりの日のキリスト講話集』の「ペテロの道を歩むには」より

6. イエスは人のあいだで数多くの働きをしたが、全人類の贖いを完了させ、人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うには、イエスが罪のささげものとなって人の罪を背負うことだけでなく、神がさらに偉大な働きを行い、サタンによって堕落させられた性質を完全に取り除くことが必要だった。そこで、人が罪を赦された今、神は人を新しい時代に導くために肉へと戻り、刑罰と裁きの働きを開始した。この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。

『言葉は肉において現れる』の「序文」より

7. イエスが働きを行なっていたとき、イエスに関する人の認識はいまだ漠然として不明瞭だった。人はずっとイエスをダビデの子と信じ、イエスは偉大な預言者で、人の罪を贖う慈悲深い主であると宣言した。信仰のおかげで、イエスの衣の端を触っただけで癒された人もいたし、盲人たちは見えるようになり、死人さえ生き返った。しかし、人は堕落したサタン的性質が自分自身に深く根づいているのを見出すことができず、それを捨て去る方法も知らなかった。人は肉の平安や幸福、一人の信仰による家族全体の祝福、そして病人の癒しなど、多くの恵みを受けた。残りは人の善行や外見上の信心深さだった。そのようなものを基に生きることができるなら、その人はまずまずの信者だと思われた。そのような信者だけが死後、天国に入ることができるとされたのだが、それは彼らが救われたという意味だった。しかし、このような人たちはその生涯において、いのちの道をまったく理解していなかった。ひたすら罪を犯しては告白することを繰り返すばかりで、自身の性質を変える道はもたなかったのである。これが恵みの時代における人間の状態だった。人は完全な救いを得たのか。いや、得てはいない。したがって、その段階の働きが終わったあとも、依然として裁きと刑罰の働きが残っているのである。この段階は言葉によって人を清めるものであり、それによって人に従う道を与える。悪霊を追い出すことを続けるなら、この段階は有益でも意義深くもないだろう。と言うのも、人の罪深い本性が根絶されることはないだろうし、人は罪の赦しで行き詰まるはずだからである。罪の捧げ物を通じ、人は罪を赦されてきた。なぜなら、十字架の働きがすでに終わり、神はサタンに勝利したからである。しかし、人の堕落した性質は依然として人の中に残っており、人は依然として罪を犯し、神に抵抗することができ、よって神はまだ人類を得ていない。そのため、神はこの段階の働きにおいて、言葉を用いて人の堕落した性質を暴き、人に正しい道に沿って実践させるのである。この段階は前の段階よりもさらに有意義であり、いっそう有益である。と言うのも、今、人に直接いのちを施し、人の性質を完全に一新させられるのは言葉だからである。それははるかに徹底的な働きの段階である。ゆえに、終わりの日における受肉は神の受肉の意義を完成させ、人を救う神の経営計画を完全に終わらせたのである。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

8. 人は贖われ、罪を赦されたが、それによって見なし得るのは、神は人の過ちを記憶せず、その過ちに応じて人を取り扱わないということだけである。しかし、肉体において生きる人間が罪から解放されていないと、人は罪を犯し続けることしかできず、堕落したサタン的性質をどこまでも示し続ける。これが人の送る生活であり、罪を犯しては赦されるという終わりのないサイクルなのである。人類の大多数は昼間に罪を犯し、夜になると告白するだけである。このように、たとえ罪の捧げ物が人のために永久に有効だとしても、それで人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人にはいまだ堕落した性質があるからである。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

9. 贖われたばかりで、まだ変えられておらず、神に完全にされてもいないあなたがたのような罪人が、神の心に適うだろうか。古い自我を持ったままのあなたが、イエスによって救われ、神の救いのおかげで罪人と見なされなくなったことは事実だが、これは、あなたに罪や汚れがないという証拠ではない。いまだ変わっていなければ、あなたはどうして聖いものとなれるのか。あなたの内側は汚れに満ち、自分勝手で卑劣である。にもかかわらず、イエスと共に降臨することを望む――あなたはそこまで幸運ではあり得ない。あなたは神を信じる上で一つの段階を見落としている――あなたは単に罪から贖われただけで、変えられてはいないのである。あなたが神の心に適うためには、神が自らあなたを変えて清める働きをしなければならない。さもないと、罪から贖われただけのあなたは、聖さを得ることができない。このように、神のよき祝福を共にする資格はあなたにない。と言うのも、神が人を経営する働きの一段階、つまり変化させ、完全にするという重要な段階を逸したためである。よって、贖われたばかりの罪人であるあなたが、神の嗣業を直接受け継ぐことはできない。

『言葉は肉において現れる』の「呼び名と身分について」より

10. 病を癒したり悪霊を追い出したりすることで、人が罪から完全に救われることはなく、またしるしや不思議を示すことで人がすっかり完全にされることもないのである。病を癒したり悪霊を追い出したりする権威は人に恵みを与えるだけで、人の肉は依然としてサタンに属し、堕落したサタン的性質は依然として人の中に残っている。言い換えると、まだ清められていないものは依然として罪と汚れに属しているのである。人は言葉によって清められて初めて、神のものとされ、聖いものとなる。悪霊が人から追い出されたとき、あるいは人が贖われたとき、それはサタンの手から人をもぎ取り、神のもとに戻したという意味でしかなかった。神によって清められておらず、変えられてもいないなら、人は堕落したままである。人の中には汚れ、敵対心、そして反抗心が依然として存在する。人は神による贖いを通じて神のもとに立ち返っただけで、神についての認識が一切なく、依然として神に抵抗し、神を裏切ることができる。人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

11. 終わりの日の働きは言葉を語ることである。言葉により、大きな変化が人の中で生じ得る。現在、それらの言葉を受け入れた人たちに生じる変化は、恵みの時代にしるしや不思議を受け入れた人たちに生じた変化よりもはるかに大きい。と言うのも、恵みの時代において、悪霊は按手と祈りによって人から追い出されたが、人の中の堕落した性質が依然残っていたからである。人は病を癒され、罪を赦されたが、人の中にある堕落したサタン的性質がいかに清められるかについて言えば、その働きはまだなされていなかったのである。人は信仰のゆえに救われ、罪を赦されただけで、人の罪深い本性は根絶されず、依然としてその内面に残っていた。人の罪は神の受肉を通じて赦されたが、それはその人の中にもはや罪がないという意味ではない。人の罪は、罪の捧げ物を通じて赦されることができたものの、どうすれば人がこれ以上罪を犯さないようになり、その罪深い本性が完全に根絶され、変化するかということについて言えば、人にはその問題を解決する術がないのである。人の罪は神による磔刑の働きゆえに赦されたが、人は以前の堕落したサタン的性質の中で生き続けた。そのため、人は堕落したサタン的性質から完全に救われなければならない。そうすることで、その人の罪深い本性が完全に根絶され、二度と芽生えなくなり、かくして人の性質が変わるのである。そのためにも、人はいのちの成長の筋道、いのちの道、そして性質を変える道を把握しなければならない。さらに、人はこの道に沿って行動することが求められる。その結果、人の性質は次第に変わり、その人は光の輝きの下で生き、何事も神の旨に沿って行ない、堕落したサタン的な性質を捨て去り、サタンの闇の影響から自由になることができ、それにより罪から完全に抜け出せるのである。このとき初めて人は完全なる救いを受けることになる。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

12. 神は人々を獲得するとき、人々の欠点を取り扱い、彼らの反抗的な性質を裁いて暴き、彼らに必要なものを得させ、神が人間のあいだに来たことを彼らに示す手段として、主に実際の神の言葉と発言を用いる。何より重要なことだが、実際の神が行う働きは、あらゆる人をサタンの影響から救い、彼らを汚れた地から切り離し、彼らの堕落した性質を一掃する働きである。実際の神に獲得されることの最も深遠な意義は、実際の神を模範および手本としつつ、正常な人間性を生きられるようにすること、ほんのわずかなずれや逸脱もなく、実際の神の言葉と要求に沿って、神が何と言おうとその通りに実践できるようにすること、そして神が求めることを成し遂げられるようにすることである。このようにして、あなたは神のものとされる。

『言葉は肉において現れる』の「実際の神は神自身であることを知るべきである」より

13. 神のものとされる人々は、完全に神に従う人々であり、一度はサタンに堕落させられたものの、神の現在の働きによって救われ征服され、試練に耐えた人々であり、そして最終的に完全に神のものとされて、もはやサタンの領域で生きることなく、不義から解き放たれた結果、聖く生きることを望んでいる人々である。彼らは最も高潔な人々であり、実際に聖なる者たちなのだ。

『言葉は肉において現れる』の「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」より

14. 人々を完全にするとき、神は彼らを清める。そして人々が清くなればなるほど、神によってより完全にされる。汚れ、反抗、敵対心、およびあなたの中にある肉に属するものが取り除かれ、あなたが清められたとき、あなたは神に愛される(言い換えれば、あなたは聖者になる)。神によって完全にされ、聖者になったとき、あなたは千年神の国にいるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「『千年神の国は訪れた』についての短い話」より

15. 人は精錬された後、罪深い本性がなくなる。それは、神がサタンを打ち負かしたからである、つまり、敵対勢力による侵略がなく、いかなる敵対勢力も人の肉体を攻撃できないのである。そのようにして、人は自由になり、聖くなり、永遠の中に入る。

『言葉は肉において現れる』の「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」より

16. 終わりの日における神の裁きと刑罰の働き、すなわち、最後の清めの働きの中で揺るぎなく立てる者たちが、神と共に最後の安息に入る者たちである。このように、安息に入る者はみな、神による最後の清めの働きを経たあと、サタンの支配から解放され、神によって得られている。最終的に神によって得られたこのような人々が、最後の安息へと入るのである。神による刑罰と裁きの働きの目的は、本質的に、最後の安息のために人類を清めることである。こうした清めがなければ、人類の誰も、種類に応じて異なる種類に選り分けられることができず、安息に入ることもできない。この働きは、人類が安息に入るための唯一の道なのである。神による清めの働きだけが人類の不義を清め、神による刑罰と裁きの働きだけが人類の不従順な要素を明るみに出す。それによって、救われる人と救われない人、留まれる人と留まれない人が選り分けられる。この働きが終わるとき、留まることを許された人はみな清められ、人類のより高い境地に入って、地上でのさらにすばらしい第二の人生を享受する。言い換えると、彼らは人類の安息の日を開始し、神と共存するのである。留まることを許されない者たちは罰せられ、裁かれたあと、正体が完全に暴かれる。その後はみな滅ぼされ、サタンと同じように、地上で生き残ることをそれ以上許されない。未来の人類に、この種類の人々はもはや含まれない。このような人々は最後の安息の地に入る資格がなく、神と人類が共有する安息の日に加わる資格もない。なぜなら、彼らは懲罰の対象であり、邪悪で、不義なる人だからである。彼らはかつて贖われ、また裁かれ、罰せられたことがあり、神への奉仕をしたこともある。しかし、終わりの日が来るとき、彼らはやはり、自身の邪悪のゆえに、そして不従順さと、贖う術もない有様の結果として、淘汰され、滅ぼされる。彼らが未来の世界に再び生まれることはないし、未来の人類のあいだで生きることもない。

『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息へと入る」より

17. 六千年にわたる神の経営の働きは、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代の三段階に分かれている。これら三段階の働きはすべて人類の救いのためである。すなわち、それらはサタンによってひどく堕落させられた人類の救いのためなのだ。けれども、それは同時に、神がサタンと戦うためでもある。したがって、ちょうど救いの働きが三段階に分かれているように、サタンとの戦いも三段階に分かれており、神の働きにおけるこの二つの側面は同時に行われる。サタンとの戦いは実際、人類の救いのためであり、また、人類を救う働きは一段階で見事に成し遂げられるものではないから、サタンとの戦いもまたいくつかの段階と期間に分けられる。そして戦いは、人間の必要と、サタンによる人間の堕落の程度に応じて、サタンに対して遂行される。……人の救いの働きは三段階で実行された。つまり、サタンとの戦いは三段階に分割され、それによってサタンを完全に打ち負かすのだ。しかし、サタンとの戦いという働き全体に秘められた真相は、人に恵みを施し、人の罪の捧げ物となり、人の罪を赦し、人を征服し、人を完全にするといういくつかの段階を通して、その効果が達成されるということである。実際、サタンとの戦いは、武器を手にしてサタンに立ち向かうものではなく、人の救い、人のいのちへの働き、そして人の性質を変えることであり、それによって人は神を証しする。サタンはこのようにして打ち負かされるのだ。人の堕落した性質を変えることを通して、サタンは打ち負かされる。サタンが敗北すると、つまり、人が完全に救われると、辱めを受けたサタンは完全に縛られ、こうして人は完全に救われることになる。ゆえに、人の救いの実質はサタンとの戦いであり、サタンとの戦いはおもに人の救いに反映される。人が征服される終わりの日の段階は、サタンとの戦いの最終段階であり、また、人をサタンの領域から完全に救う働きでもある。人の征服の秘められた意味は、サタンの化身、つまりサタンに堕落させられた人間が、征服に引き続いて創造主のもとへと戻ることであり、これによって人はサタンを捨て、完全に神へと立ち返る。このようにして、人は完全に救われることになる。したがって、征服の働きはサタンとの戦いにおける最後の働きであり、サタンを打ち負かす神の経営の最終段階である。この働きがなければ、人の完全な救いは最終的に不可能で、サタンの完全な敗北も不可能なはずだ。そして、人類は決して素晴らしい終着点に入ることができず、サタンの影響から自由になることもできない。したがって、人の救いの働きを、サタンとの戦いが終結する前に完了させることはできない。なぜなら、神の経営の働きの核心は人類の救いだからである。最初の人類は神の手の中にあったが、サタンによる誘惑と堕落によって、人はサタンに縛られ、悪しき者の手中に落ちてしまった。こうしてサタンは、神の経営の働きで打ち負かされる対象となった。サタンは人間を自分の所有物としたが、人は神による経営全体の資本なので、人が救われるには、サタンの手から取り戻されなければならない。すなわち、サタンの虜となった人間を取り戻す必要があるのだ。かくしてサタンは、人間の古い性質の変化、人間の本来の理知を回復する変化によって打ち負かされなければならず、こうして、虜となっていた人間をサタンの手から取り戻すことができる。人がサタンの影響や束縛から自由になると、サタンは辱められ、人は最終的に取り戻され、サタンは打ち負かされる。そして人はサタンの暗闇の影響から解放されたので、この戦い全体の戦利品となり、戦いが終わるとサタンは懲罰の対象となる。その後、人類を救う働き全体が完了するのである。

『言葉は肉において現れる』の「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」より

18. 最初の受肉は人を罪から贖うもの、つまりイエスの肉体によって人を罪から贖うものだった。言い換えると、イエスは十字架から人を救ったが、堕落したサタン的性質が依然として人の中に残っていたのである。二度目の受肉はもはや罪の捧げ物として仕えるためのものでなく、罪から贖われた人たちを完全に救うものである。そうすることで、赦された人は罪から解放され、完全に清められる。そして変化した性質を獲得することでサタンの闇の影響から自由になり、神の玉座の前に戻るのである。この方法でしか、人は完全に清められない。律法の時代が終わりを迎えて恵みの時代に入った際、神は救いの働きを始めた。それは、神が人間の不従順を裁いて罰し、人類を完全に清める終わりの日まで続く。その時初めて、神は救いの働きを完結させ、安息に入る。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

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