知識は本当に運命を変えるのか

2021年3月30日

私は農家に生まれました。貧しかったので周囲から見下され、子供の頃はよく仲間外れにされたし、冷たくされた。学校に入ると、先生はいつも言ってた。「あらゆる営みはどれも下等で、ただ学問のみが高尚」「知識は人の運命を変える」って。だから決めたの。勉強をがんばって大学に進み、私たちを見下す人に、百姓の娘でもやればできると思い知らせようって。知識がすべてで、知識こそ運命を切り拓く鍵だと思ってたけど、この観念が、家族にあれほどの苦しみをもたらすなんて思いもしなかった。

90年代、大学受験を控えた私は、朝早くから夜遅くまで、ひたすら受験勉強に励んだ。食事を抜かす事すらあったわ。成績はいつもトップクラスで、教師にも特別目をかけられ、私自身、きっと受かると思ってた。でもみんなの期待に反して、受験に失敗した。本当に辛かったわ。あの村で一生を終えるなんてまっぴらだと思ったけど、両親は年だし、生活は苦しい。現実を受け入るしかなかった。再受験は諦めて、働くことにしたの。しばらくして、設計事務所での仕事を見つけた。毎日残業しても給料は雀の涙。だけど教養と学歴がある人は、少し働いただけで給料はずっと多いし、昇進のチャンスにも恵まれてた。知識と学歴があれば高い地位につき、人に尊敬されるように見えて、ますます知識を重んじるようになった。でも大学に行けない自分の身を思って、怒りと無力さを感じたの。

2001年に娘が生まれ、自分が果たせなかった大学進学の夢を彼女に託した。幼い頃から言い聞かせたわ。明るい未来を手にしたければ、勉強して大学に行くしかないって。家計に余裕はなかったけど、娘がいい教育を受けられるように、お金を工面して塾に通わせたり、参考書を買ったり、インターネットで教材をダウンロードしたりした。学習計画も私が細かく決めて、学校から帰ったらこれをして、宿題の時間はこのくらい、読書の時間はこのくらいって、ぎっしり予定を詰めこんだわ。勉強の時は集中しなきゃいけないと教えるため、1時間勉強するまではトイレにも行かせなかった。娘が勉強する時は、いつもそばにいて監視した。時には深夜まで。私の高圧的な教育で、娘の成績は少し上がったの。でもやがて担任から突然電話があって、こう言われた。「最近、娘さんは授業に身が入っていない。休み時間も誰とも遊ばず、成績も落ちてきてます。でも理由がわからない」と。そう聞いても、全然信じられなかった。娘に対して怒り心頭で、こう思った。「こんなにがんばって、あなたの勉強をサポートしてるのに、なんで期待に応えてくれないの? 帰ってきたらただじゃ置かないわ」って。娘の帰宅後、長々とお説教をしたわ。動揺した娘は、プレッシャーが重すぎると私に言って、泣きながら部屋にこもって出てこなかった。どうすることもできず、ソファに腰かけて泣きながら思った。「全部よかれと思ってしたことなのに、どうしてわからないの?」って。その後、娘の勉強をめぐって難しい立場に立たされた。厳しくすれば娘はストレスを感じて、何をするかわからない。でも厳しくしなければ、成績が下がって大学には入れない。どうすれば明るい未来を約束してあげられるの? そればかり考えて、食事はのどを通らず、夜も眠れなかった。ある日、前に母が、終わりの日の全能神福音を伝えてくれたことを思いだしたの。母はよく言ってた。「困難に直面した時は、神に祈れば必ず出口を示して下さる」と。そこで、神に祈って自分の悩みを打ち明けた。全能神の御言葉を読み始めて、教会生活にも加わったわ。

ある時、道でばったり姉妹に会って、話のついでに娘の教育について悩みを打ち明けたの。その姉妹は言ったわ。「子供を教育して、教養をつけさせ、正しい道を示す。どれも親としてやるべきことよ。誰だって、子供を大学に進ませ、活躍させたい。だから気持ちはよくわかる。でもそれは、私たちがコントロールできることじゃないの。人の運命は神の手中にあるのよ。見た目、仕事、結婚、教育、財産、寿命……全部生まれる前から、神によって決められているの。誰にも変えられないわ。子供のことだって同じ。子供の見た目や性格、進路や運は、親の教育で変えられるものじゃない。教養があって、聡明で、能力が高い親でも、その子供が愚かで、無能で、役立たずっていうこともあれば、教養もなく平凡な親から、賢くて才能があって、優秀な子供が生まれることもある。そう考えると、私たちが何をしようと、運命は変えられないのよ。『人の運命は天が定める』と言うでしょ。子供を教育するという親の責任は果たさなきゃならないけど、『人事を尽くして天命を待つ』と考えればいいの。そうすれば、そんなに悩むこともないわ」って。この姉妹の言うことも一理あると思った。別れ際、彼女は全能神の御言葉を2節、私に教えてくれた。ぜひ読んでみてって。

産声を上げてこの世に生まれてきた瞬間から、あなたは自分の責務を果たし始める。神の計画と定めの中で自分の役割を果たして、人生の旅を始める。背景が何であれ、また前途がどうであれ、天の指揮と采配から逃れられる者はいない。また自分の運命を支配できる者もいない。なぜなら、万物を支配するその方しかそのような働きはできないからである」「人々は、自分の人生においては自分が弱く、無力であること、何かに卓越する機会や希望は二度とないこと、自分の運命を受け容れるほかないことを知っています。それゆえに、人間は自分の希望や、叶わなかった願望や理想をすべて、次の世代に投影し、自分の子供が自分の夢を叶え、自分の願望を実現する手助けとなること、自分の娘や息子が家の名に栄誉をもたらし、重要人物や富豪、有名人となることを望んでいます。つまり、彼らは自分の子供が幸運に恵まれることを願っているのです。人々の計画や幻想は完璧です。自分の子供の数や自分の子供の容姿、能力などは自分で決められるものではなく、自分の子供の運命は僅かたりとも自分の掌中にはないということを彼らは知らないのでしょうか。人間は、自分が自分自身の運命の主ではないにもかかわらず、若い世代の運命を変えることを願い、自分自身の運命から逃れる力が全くないにもかかわらず、自分の娘や息子の運命を制御しようとします。彼らは、自己を過信していないでしょうか。これは人間の愚かさと無知さではないでしょうか」(『言葉は肉において現れる』より引用)。神の御言葉が心に語りかけてきたわ。若い頃の私は、大学に行くという夢のために一生懸命がんばってた。でも、あれほどがんばったのに受験には失敗した。娘が生まれた時、あの感情がまた沸き上がったの。2度目のチャンスだと思った。自分の人生で叶えたかった願望を全部娘に押しつけ、知識をつけて、いい成績をとって、明るい未来を手にしてほしかった。私の夢をかなえるために。でも、努力したけど思うように進まなかった。娘はいつも物分かりがよく、お行儀も良くて、成績だって悪くなかった。成績が落ちだしたのは、私がプレッシャーをかけてから。娘の成績も、これから進む道も、私がどうにかできることじゃない。すべては神の手中にあるんだから。自分の運命さえコントロールできない私が、娘の運命をどうにかできるはずがない。私はごう慢で、自分を過大評価してた。それに気づいて気持ちが楽になったの。

その後は、前のように娘のスケジュールを管理するのはやめて、あんまり多く求めないようにしたわ。しばらくして、学校で担任にこう言われたの。「娘さんは聡明で、潜在能力も高い。少し勉強を頑張れば、いい高校に進めますよ。そうすれば、大学受験にも苦労しない」そう言われて、心が揺れたわ。成績は一番でなくてもいいけど、大学には行ってほしいとずっと思ってた。そうしなければ、あとあと辛くなるし、社会での足がかりが得られない。その頃、夫が娘の勉強に力を入れ始めて、一番になれと無理強いしてることに気づいたの。成績が良ければ褒めて、悪ければ罰してた。そのやり方に賛成はしてなかったけど、止めることもなかった。夫の方法がうまく行って成績が上がれば、ご先祖様も鼻高々だとさえ思ってた。でもだんだん気づいたの。プレッシャーのせいで、娘の性格がだんだん暗くなってる。部屋に閉じこもって親とも口をきかず、いつも私に腹を立てていた。一度、夫が「易経」を暗記できない娘を叱ると、激高した娘は、ドアを勢いよく閉めて家を出て行ってしまったの。捜したけど見つからなくて、何かあったらどうしようと心配で、いろんな考えが頭をぐるぐるまわったわ。「事故にでもあったのかしら? ばかなことをしてたら?」って。でも夜遅くに帰ってきて、本当に安心したわ。その頃、あるニュースをみて口から心臓が飛び出そうになった。勉強のプレッシャーのせいで中学生が自殺した事件。ネットで詳しい情報を検索すると、恐ろしいことがわかったの。たくさんの生徒が勉強のプレッシャーで心を病み、心を閉ざしたり、集中力を失ったりして、自殺する生徒も出ている。冷汗が止まらなくて、その夜は眠れなかった。

次の日、娘に何て言おうか悩んだわ。下手に刺激してまた家出されたり、もっとひどいことになるのが怖くて。その後数日、追い詰められた気分。子供の教育に対する姿勢について、また深く考えさせられたの。いつも知識を重んじて、知識を得て大学に行けば、明るい未来が約束されると思ってた。でも娘は、ストレスで壊れそうになっている。「どうすればいいの。どうしてこうなってしまったの。どうして人生はこんなに辛いの」と思ったわ。ある日、デボーションの時に、御言葉の朗読動画を2つ観たの。全能神は言われます。「人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている」「サタンは知識を餌として用います。注意して聴きなさい。知識は餌の一種に過ぎません。人間は学習に励み、日々自己を向上させ、知識を武器のように身に付け、知識を用いて科学の扉を開けるよう誘惑されます。つまり、身に付ける知識が多ければ多いほど、さらに多くの物事を理解するようになるのです。サタンは、人間にこのようなことを言います。また、サタンは人間に、知識を身に付けるとともに、高尚な理想を育み、大志と願望を持つよう命じます。人間に知られることなく、サタンはこのようなメッセージを数多く送り、無意識のうちにそれが正しい、あるいは有益であると人間に感じさせます。人間は、知らぬ間にそうした道に足を踏み入れ、知らぬ間に自分自身の理想と大志に導かれて進んでゆきます。……サタンに魅惑された人間は、サタンが人間に用意した道を知らず知らず進んでゆきます。その道を歩んでゆくうちに、人間はサタンの生活規則を受け入れることを余儀なくされます。自分でまったく気付かぬうちに、人間は独自の生活規則を作り出しますが、それはサタンが人間に強制的に吹き込んだ生活規則に過ぎません。サタンはこの学習過程において、サタンの餌に人間が食らいつくまで、人間を少しずつ誘惑するために、物語や伝記など使える限りのありとあらゆる手段を用いて、サタン的な物事を人間に吹き込むと同時に、人間に独自の目標を掲げさせ、独自の人生の目標や生活規則、人生の進路を決めさせます」(『言葉は肉において現れる』より引用)。「サタンは国家政府や有名人や偉人の教育と影響力を通して人間を堕落させます。彼らの嘘とたわ言が人間のいのちと本性になったのです。『己を怠る者は天罰を受け地が滅ぼす』はサタンの有名な格言であり、全ての人に浸透し、人のいのちとなっています。ほかにもこれに類似する処世哲学の格言があります。サタンは各国の洗練された伝統文化を用いて人々を教育し、人類を果てしない破滅の淵へと陥れます。そして最終的に、人間はサタンに仕え神に抵抗したために神に滅ぼされるのです」(『キリストの言葉の記録』より引用)。

神の御言葉は、人の苦しみの根源を指摘しています。人は、政府の教育や偉人の影響、伝統文化によって、サタンの毒を刷り込まれてるの。「知識は人の運命を変える」「運命は己の手中にあり」「あらゆる営みはどれも下等で、ただ学問のみが高尚である」こうした言葉は、周囲から抜きんでていい人生を送るには、知識がすべてだと人に思い込ませる。知識を追い求めて崇めだすと、神の存在と支配を否定し、神を遠ざけ、神に逆らい、心に神の居場所がなくなるの。神の御加護やいのちの糧を得られなくなり、空虚で堕落した人間になる。知識や名声があり、誰からも尊敬される人の多くが、空虚でつらい人生を送ってる。知識も学歴もあり、高い地位についた役人の多くが、お金、権力、地位を求めて争い、互いに騙し、陥れ、殺し合う。自殺したり、殺されたりしたケースもあるわ。知識や地位が、その人の運命や末路を変えることは決してない。「運命は己の手中にあり」、「知識は人の運命を変える」というのは、人を騙して堕落させるサタンの嘘なの。神は人を創られた。人類には神の救いと、神が下さるいのちの糧が必要。よい結末へと至るために人類がすべきなのは、神を崇め、神の支配に従うことだけ。知識が運命を変えられると考えて、神を遠ざけ、神に背く者は、最終的には神に逆らい、滅びる。神が言われたとおりです。「自分の知識と能力を頼りにして事業に着手するならば、あなたは必ず失敗し、必ず神の祝福をのがすことになる」(『言葉は肉において現れる』より引用)。これがまさに私でした。神を信じる前は、「知識は人の運命を変える」や「あらゆる営みはどれも下等で、ただ学問のみが高尚」というサタンの原則で生き、大学に進んで出世しようと、努力を惜しまなかった。でもその夢が破れた時、すべての希望を失って、人生の意義も見失ったの。娘が生まれた後は、サタンの原則を娘に押し付け、プレッシャーをかけ続けた。そんな抑圧的な環境のせいで、娘は頑固で脆くなり、心を閉ざして怒りっぽくなった。私に本音を言えず、母と娘というよりも、まるで敵同士のようになってしまった。サタンの生存法則で生きたために、自分が疲れたばかりか、娘にまで辛い経験をさせ、危うく人生をだめにするところだった。これはサタンの害悪。このままサタンの原則で生き続け、娘が知識と能力で運命を変えることを望んでも、失敗に終わるだけ。この時分かったの。娘の運命や前途は、大学に行くかどうかで決まることはない。神を崇めることだけが、明るい未来への唯一の道。親として必要なのは、神の御言葉の真理に沿って子供たちを教育し、正しい道に導いてやること。それが私たちの責任です。

それからの数日は、勉強を強要するのも、トップになるようけしかけるのもやめて、自然の成り行きに任せた。その夜、娘と一緒に神の御言葉を読みながら、神が天地万物を創造されたこと、人がサタンによって堕落していること、神の救いなどを教えました。困難に直面した時、娘は神に祈り、神にすがることを知りました。すると徐々に落ち着きを取り戻し、前よりも笑顔が増えました。成績も前より上がり、私たちの関係も改善しました。ある日、この御言葉の一節をよみました。「初めに、知識の最も表面的な部分について話し合います。語学の文法や単語は人を堕落させることができますか。単語が人を堕落させられますか。(できません。)単語は人を堕落させません。それらは人が話すために使う道具であり、人が神と交わるのに用いる道具でもあり、現在では言うまでもなく、言語と言葉は神が人と交わる方法です。それらは道具であり、必要なものです。1+1=2、2x2=4、これは知識ですね。でも、これが人を堕落させる可能性はありますか。これは常識であり規則ですから、人を堕落させることはありません。では、どのような知識が人を堕落させるのでしょうか。堕落させる知識とは、サタンの観点と思想が混ざり込んだ知識です。サタンはこれらの観点や思想を、知識を通して人類に教え込ませようとします。例えば、論文において、そこに書かれた語句に問題はありません。問題は、著者が論文を書いたときの観点と意図、そして著者の思想の内容にあります。これらは霊的な物事であり、人を堕落させることができます」(『言葉は肉において現れる』より引用)。この御言葉を読んで、知識とは何か少し分かった。実用的な知識はよいことです。素質の向上につながるから、みんな備えるべきだし、正しく取り組まなければならない。創作や音楽の知識もよいことだし、科学的知識の中にも、機械、化学、物理など、有益な知識がある。医学や料理の知識も役に立つわ。これらは生存に必要な道具で、誰もが習得すべきもの。でも知識は真理じゃないから、人を変えることはできず、人のいのちにもなれない。やみくもに崇めてはだめ。どれほど知識を得ても、真理によって生きなければ、サタンの堕落からは逃れられない。辛く虚しい人生を生きて、大災害が来ると滅びてしまう。私は真理を理解せず、知識への取り組み方も知らなかった。サタンの毒におかされ、知識を追い求めれば、運命を変えて傑出できると思ってた。自分の夢が破れると、娘にすべての希望を託し、時間もお金も精力も、すべて娘の勉強に捧げ、大学進学に向かわせた。でも娘はどんどん殻に閉じこもり、家出するところだった。サタンは私を深く傷つけたけど、娘のほうがもっと傷ついた。「知識は人の運命を変える」というサタンの誤謬で家族全員が苦しんだ。全能神の御言葉は私に教えてくれました。サタンは知識を使って人を騙し、堕落させるのだと。知識は真理でなく、人を変えることも救うこともできない。神だけが真理であり、神の御言葉だけが人を救える。神を信じ、御言葉を学び、真理を追い求めるよう子供を導くことこそ、正しい道だと分かったの。

ある日、娘が言ったわ。口論やケンカ、飲酒に喫煙、そして堂々と付き合ってる生徒が学校にいると。学校は見て見ぬふりを決め込んで、親もどうすることもできない。娘に、どう思うか聞いてみたの。そしたら、「私は神を信じてる。神が喜ばれないことはしないわ」と言ったわ。本当に感激した。神の御前に娘を導き、御言葉を読ませて真理を理解させていなければ、娘も他の生徒のように道を踏み外していたでしょう。全能神の御言葉のおかげで私は変わり、知識という足かせから逃れ、娘を正しい道に導くことができた。全能神の御加護と救いに、心の底から感謝します。

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