VI. 恵みの時代の働きと、神の国の時代の働きとの関係

1. ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。神が律法の時代を終わらせた後に行ったのは、新しい時代のための働きだった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のための働きを続行した。神による経営全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、それは新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、神の経営を続行する新しい働きがある。今回の受肉は神の二回目の受肉であり、イエスの働きに続くものである。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。……人の世に誕生したイエスは恵みの時代を開始し、律法の時代を終わらせた。終わりの日において、神はもう一度肉となり、この受肉とともに、恵みの時代を終わらせ、神の国の時代を開始した。神の二回目の受肉を受け入れられる人はすべて神の国の時代に導かれ、それ以上に、神の導きを直接受け入れることができるだろう。イエスは人のあいだで数多くの働きをしたが、全人類の贖いを完了させ、人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うには、イエスが罪のささげものとなって人の罪を背負うことだけでなく、神がさらに偉大な働きを行い、サタンによって堕落させられた性質を完全に取り除くことが必要だった。そこで、人が罪を赦された今、神は人を新しい時代に導くために肉へと戻り、刑罰と裁きの働きを開始した。この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。

『言葉は肉において現れる』の「序文」より

2. 最初に受肉した神は受肉の働きを完了させず、神が肉においてなすべき働きの最初の段階を完了させただけである。ゆえに、受肉の働きを完了させるべく、神は再び肉体に戻り、肉体が持つすべての正常性と現実を生きている。つまり、神の言葉が完全に普通の平凡な肉体において現れ、それにより、肉体においてやり残した働きを完了させようというのである。……十字架にかけられたのはイエスの肉体、罪の捧げ物としてイエスが捧げた肉体である。普通の人間性を持つ肉体という手段によってイエスはサタンに勝利し、人間を完全に十字架から救った。そして、二度目に受肉した神が征服の働きを行い、サタンを打ち負かすのは、完全な肉体としてである。完全に普通で現実的な肉体だけが征服の働き全体を行い、力強い証しをすることができる。つまり、人間の征服は、受肉した神の現実性と普通さによって効果的になるのであって、超自然的な奇跡や啓示によるのではない。この受肉した神の職分は語ることであり、それによって人間を征服し、完全にすることにある。つまり、肉において実現した霊の働き、および肉の本分は語ることであり、それによって人間を徹底的に征服し、明らかにし、完全にし、淘汰することである。したがって、肉における神の働きが完全に達成されるのは、征服の働きにおいてである。最初の贖いの働きは、受肉の働きの始まりに過ぎなかった。征服の働きを行う肉体は、受肉の働き全体を完了させるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「神が宿る肉の本質」より

3. 今日の働きは恵みの時代の働きを推し進めてきた。すなわち、六千年にわたる経営(救いの)計画全体における働きが前進したのである。恵みの時代は終わったが、神の働きはさらに前進している。今の段階の働きは恵みの時代と律法の時代を基礎にしていると、わたしが繰り返し言うのはなぜか。これは、今日の働きが恵みの時代に行われた働きの延長であり、律法の時代に行われた働きを向上させたものだからである。これら三つの段階は密接に結びついており、それぞれがその次の段階に繋がっている。また、今の段階の働きはイエスによってなされた働きの上に築かれていると、わたしが言うのはなぜか。この段階がイエスによってなされた働きの上に築かれたのでなければ、この段階でもう一つの磔刑が起きていなければならず、過去の段階における贖いの働きも一からやり直す必要があるはずだ。これは無意味なことだろう。従って、働きは完全に終わったのではなく、時代が前進し、働きの水準が以前に比べていっそう高まったということである。今の段階の働きは律法の時代を基礎とし、イエスの働きという岩盤の上に築かれると言うことができるだろう。神の働きは段階ごとに築かれ、今の段階は新しい始まりではない。三段階の働きが結合して初めて六千年にわたる経営(救いの)計画とみなすことができる。今の段階は恵みの時代の働きを基礎として行われる。これら二段階の働きに関連がなければ、なぜ今の段階で磔刑が繰り返されないのか。なぜわたしは人の罪を背負わず、人を直接裁いて罰しに来るのか。人を裁いて罰するわたしの働きが磔刑に続くものでなく、わたしの現在の到来が聖霊の受胎によるものでなかったら、わたしには人を裁いて罰する資格がないだろう。わたしが直接来て人を罰し、裁くのはまさに、わたしがイエスと一つだからである。今の段階の働きはすべて過去の段階の働きの上に築かれている。だからこそ、そのような働きだけが人を一歩一歩救いに導くことができるのである。イエスとわたしは一つの霊から来ている。わたしたちの肉体には何のつながりもないが、わたしたちの霊は一つである。わたしたちが行う内容、わたしたちが担う働きは同じではないが、わたしたちは本質的に同じである。わたしたちの肉体の形は異なるが、これは時代の変化のため、およびわたしたちの働きが異なることを求めているためである。わたしたちの職分は同じではないので、わたしたちが生み出す働きや、わたしたちが人に明かす性質も異なっている。そのようなわけで、人が今日見るものや理解するものは、過去のものと同じではない。それは時代の変化のためである。

『言葉は肉において現れる』の「二度の受肉が、受肉の意義を完成させる」より

4. わたしが初めて人間のあいだに出現したのは贖いの時代である。もちろんわたしはユダヤの一家族へと到来した。このように、神が地上に来るのを最初に見たのはユダヤ人だった。わたしが自らこの働きを行なった理由は、わたしの受肉した肉体を贖いの働きの中で罪の捧げ物として使おうとしたからである。したがって、わたしを最初に見たのは恵みの時代のユダヤ人だった。わたしが肉において働きを行ったのもそれが初めてである。神の国の時代において、わたしの働きは征服して完全にすることなので、わたしは再び肉において、羊飼いとしての働きを行う。これが、わたしが肉において行う二度目の働きである。……彼らはどちらも神の受肉した肉体で、父なる神の働きを実行するという点で同じであるが、一人は贖いの働きを行い、もう一人は征服の働きを行うという点で異なっている。どちらも父なる神を表すが、一人は親愛の情と慈悲に満たされた贖い主であり、もう一人は怒りと裁きに満ちた義の神である。一人は贖いの働きを開始した最高司令官であり、もう一人は征服の働きを成し遂げる義の神である。一人は始まりであり、もう一人は終わりである。一人は罪のない肉体であり、もう一人は贖いを完成させ、働きを続行し、決して罪深くない肉体である。彼らはどちらも同じ霊であるが、異なる肉体に宿り、異なる場所で生まれ、数千年も隔てられている。しかし、彼らの働きはすべて相互に補完し合うものであり、決して対立せず、同じ次元で語られる。

『言葉は肉において現れる』の「神に対するあなたの認識はどのようなものか」より

5. 神の経営全体は三段階に分割され、各段階において、人間に対して適切な要求がなされる。さらに、時代が過ぎ去り進行してゆくにつれ、全人類に対する神の要求はより高くなる。……過去において、人間は律法と戒めに従うことを要求され、忍耐強く謙虚であることを求められた。現在、人間は神の采配のすべてに従い、神への至高の愛を備えるよう求められており、最終的には患難のただ中でも神を愛することを要求される。これら三つの段階こそが、神が自身の経営全体にわたって、段階ごとに人間に要求することである。神の働きの各段階は、その前の段階よりも一層深くなり、各段階における人間に対する要求は、その前の段階よりも一層深遠であり、神の経営全体はそのようにして次第に形を成す。人間の性質が神の要求する基準にますます近づくのはまさに、人間に対する要求がさらに高くなってゆくからであり、そのとき初めて、神の働きが完全に終わりを迎え、全人類がサタンの影響から救われるまで、人類は次第にサタンの影響から離れてゆく。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より

6. ヤーウェの働きからイエスの働きに至るまで、イエスの働きからこの現段階の働きに至るまで、これら三段階は神の経営全体を隙間なく覆うものであり、またそのすべてが一つの霊による働きである。創世以来、神は常に人類の経営にいそしんできた。神は初めにして終わりであり、最初にして最後であり、時代を始める存在にして時代を終わらせる存在である。異なる時代、異なる場所における三段階の働きは、間違いなく一つの霊の働きである。これら三段階を切り離す者はみな神に敵対している。今、第一段階から今日に至るまでの働きが、すべて一つの神の働きであり、一つの霊の働きであることを、あなたは理解しなければならない。そのことに疑いの余地はあり得ない。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(3)」より

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