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キリストの裁きを経験する証し

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74.神様の人を救う愛

四川省 単一

次の言葉を見る度に罪悪感が心に湧き上がります。「人の最も大きな問題は、人が自分の運命と将来のことしか考えず、それらを偶像視していることである。人は自分の運命と将来のために神を求めるだけで、神への愛から礼拝していない。そのため、人を征服するにあたり、人の身勝手さや貪欲、神に対する礼拝の妨げとなるものは、すべて排除されなければならない。そうすることによって、人の征服の効果が達成されるだろう。その結果、人を征服するもっとも初期の段階で、まず人の野心や最も嘆かわしい弱点を一掃し、これを通して人の神への愛を現わし、人間の人生、神に対する見方、自身の存在の意味などに関する自分の知識を変える必要がある。このようにして人の神への愛は清められ、それにより人の心が征服される。」(『言葉は肉において現れる』の「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より)神様の裁きと懲罰を何度も受けた結果、神様が求めているのは人々の一心で純粋な愛で、すべての創造物が神様を愛することを求め、やるべき事を果たすことが正しく適切なことであることにやっと気付かされました。 そして人々が将来の運命に拘束されず神様のために生きると、勝利が実を結びます。しかし私が指導者として働いていた時、真理を求めるための努力をしていませんでした;将来の運命の考えにいつも支配されていました。それによって自分はネガティブになってしまい、自分自身の人生の中でのロスだけではなくて、神様の家での働きにもダメージを与えました。しかし神様は私の罪に基づいて接すことはありませんでした。 悔い改めるために私にたくさんの機会をくださいました。 裁きと懲罰だけではなく神様の言葉による辛い改善、それと支え、慰め、サポート、彼の言葉そして聖霊による導き、啓示、そして何度も道を照らしてくださる−これらの事のおかげでサタンの束縛から一歩づつ解放される事ができ、自分の道を失わずに人生において正しい方向へ進む事ができました。神様の救いを思い返して見ると、過去はとても鮮やかです。

私は田舎で生まれました。妹が三人いて、父親は家系を存続させるという伝統的な考えを持っていたため、息子を持たないよりかは法律上許される以上の子供を持ち、罰金を取られる方が良いと考えていました。女性よりも男性を好む事は田舎ではとても深刻な事であり、息子のいない家庭は家系が途切れるという事だったのです。 父親はそのせいでとても悲しみ、両親は頻繁にもめていました。何度も離婚の話があり、父は頻繁に物を壊したりもしていました。私は常に両親が喧嘩をやめる日を望んでいました。 また、私の従兄弟がちょっとした問題で「お前の家系は途切れてるぞ!」と私に叫んだ事もありました。 心を裂けさせるような言葉を聞き私は何も言いませんでした。 その時から「女性は男性と同等ではない 」、「家族の威信」、「他人よりも前に出る」というサタンの毒が私の魂の底を捉えていたのです。私は密かに大望を抱くようになった:私は長女なので、私が頑張って親のために認められるようになろうと。親に息子がいなくても、いつか娘を持つ方が良いという事を証明しようと思いました。

小学生の頃は勤勉で、学校での様々な活動にも熱心に参加しました。先生にも良い評価をもらい、表彰されたりもしました。クラスの中で私は芸術委員、調査委員、チームキャプテン、そして共産主義青年連盟のメンバーでもありました。中学では中国語クラスの代表で、スポーツでも毎年表彰されました。 私の住む州では毎回教師の日になるとビデオを作成し、様々なパフォーマンスなどのプログラムが組まれました。私の先生は主役に私を推薦しました。 当時先生は私を高く評価し、クラスメイト達は羨ましがりました。私の父はテレビで私の姿を見て大きく笑い、私を誇りに思いました。 その笑顔を見た私は父のために認められる事ができて嬉しく思いました。

1999年後半に私の家族は神様からの新しい働きを受け入れ、私は祝福されるという思いでいっぱいになり、やるべき事を果たすために家を出ました。 指導者の賛成と兄弟姉妹のサポートを得るために、やるべき事を果たすため苦難を乗り越えるためにベストを尽くし、神様の家で必要とされた仕事、また指導者によって手配された仕事は全てやり遂げるためになんでもしました。当時私は良い知らせのための働きをする中でもトップの一人となり、私のプロジェクトの全てが実を結びました。 私の真理の理解は浅くても、兄弟姉妹が家や職場で問題があったり、人生で辛い事があれば、私はいつも神様の言葉と彼らとの交わりを求めました。兄弟姉妹との関係も良く、指導者も私を高く評価してくれました。それによって私は少しずつ自分は神様の家の中で素晴らしい才能の持ち主だと感じるようになりました。

2006になって私は地域指導者に昇進し、自分の地域での結果が他地域よりも良かった事を確認し、こう思いました:このような仕事をした事ないにも関わらず、私は全てのプロジェクトを他よりも早く実施し、結果も他に比べて優れている。そして指導者は私を育成したいと思っている;もし両親が私がこのような仕事をできる事を知っていたらどれだけ喜ぶだろうか。特に、仕事のため故郷に行くと、誇りに思いながら帰り、知り合いの兄弟姉妹に私の仕事のレベルを知ってもらうために会う期待もありました。 私は自己満悦で、話し方まで変わっていました。自分が他人にどう見られているかが大事になっていました。もう私は神様の言葉のために努力をする事もなく、求める事もなくなりました。その代わりに、私に対する指導者の視点や評価、そして仕事相手が支持してくれているかに焦点を向けました。時間が経つにつれ、教会での問題や、責任者のする仕事の間違いや怠慢を解決する事が出来なくなっていました。仕事仲間と会うときも、上手く交われませんでした。私にとってとても辛くて、暗闇の中で生きている感じでした。最終的には昇進されなかっただけではなく、入れ代えられてしまいました。当時私はとても傷つき、こう思いました: 両親や知り合いがこの事を知ったとき、どう思われるだろうか?家族の威信など得る事もなく他人よりも前に出る事もできない。 もうこれ以上将来はないだろう。 私は絶望し、神様の言葉を読んだり祈ったりする事や、兄弟姉妹に会って話す事などする気になれませんでした。私の心の弱さとネガティブな態度は一定の地点に達しました。その後、次の神様からの言葉を読みました。「あなたがたは追求において、個人的な観念や希望や未来を多くもちすぎる。現在の働きは、あなたがたの地位に対する欲望やとりとめもない欲望を取り扱うためのものである。望み、地位に対する欲望[j]、そして観念はどれも典型的なサタン的な性質の表れである。これらが人々の心に存在する理由は、サタンの毒が常に人間の考えを腐敗させており、サタンの誘惑を人間が決して払いのけることができないことにある。このような人々は罪のただ中で生活しているが、それを罪と考えず、『私達は神を信じているので、神は私達に祝福を与え、万事私達のために適切に手配してくださるに違いない。私達は神を信じているので、他人よりも優れているに違いない。私達は他の誰よりも地位と将来性が高いはずである。私達は神を信じているので、神は私達に無限の祝福を与えるであろう。そうでなければ、神への信仰とは呼ばれないであろう』と考える。」(『言葉は肉において現れる』の「なぜ引き立て役になる覚悟がないのか」より)これらの神様からの啓示の言葉一つ一つが私の心を掴みました。仕事で入れ代えられたのも神様の正しい性質によって、私の地位にこだわる心に対処するためだったのです。 小さい頃から、「女性は男性と同等ではない」、「家族の威信」、「他人よりも前に出る」というサタンの毒が私の考えを堕落させ、神様への信仰の思いを醜くしてしまったのです。これらの考えに支配され、私は仕事を果たすために努力し、何年も忙しく過ごしていましたが、私は自分が前進し家族の威信を得るというゴールを達成するために神様を利用していたのです。 なんて情けないのだろう!そして醜い!神様の言葉の真実と裁きによって、私の中にある追求に関する視点はサタンと同じだった事を神様は明らかにしてくださったのです。私は失敗へ向かう道におり、神様のタイムリーな裁きと懲罰がなければ、そのまま間違った物を求め続け、滅亡しパウロと同じ結末になっていたであろう。

これを理解し多少は変化があるべきだと思いましたが、2008年に新たな啓示があり、それにより性質の変化は私が思っていたほど単純ではなかった事を見せられました。 多少の改善の後、私の追求の視点に対する少しの理解だけで変わる事ができなかったのです。長期的な裁きと懲罰だけによって変化は可能なのです。 その当時私は他の地域で神様の水やりの仕事を任されていました。その仕事の担当の姉妹とのミーテイングを終えた後、心の中で誰が交わりが得意かを比べあい、自分はどのランクなのかを考え始めました。特に仕事の担当の姉妹の私に対する意見や態度に注目しました。彼女が別の姉妹に注目しているのを見た私は、とても混乱しました。 彼女が私に教会の指導者や執事の育成の仕事を割り当てた時、私の才能が無駄となって、彼女は人のマネージメントのやり方を良くわかっていないと思いました。 少なくとも地域指導者や働き手の育成の仕事を任されても良いのに。 そのため私は悲観的になりがっかりし、追求の意志を失いました。私は否定的な状態の中で生きていました。今まで何度か壁を前にして来ても、何とも思っていませんでした。 後に神様の義の性質が現れ、盲腸炎が再発したものの、それでも私の硬い心は変わりませんでした。 しかしある時、ホストファミリーの家で私は足の乾燥のための薬のボトルをベッドサイドのテーブルに置きました。その家の7歳の娘は飲み物だと勘違いし薬を飲んでしまい、後にお腹を抱えながら痛みのあまり泣いていました。その時私は恐怖のあまりどうすれば良いかわかりませんでした。 ホストファミリーの妹がその子を助けるため急いで近くのクリニックへ連れて行き、医者はこう言いました: 「この子の胃はとても薄いのに小児病院へ連れて行かなかったのか。死ぬのを待ちたいのか?」私の足は死んだかのようで、医者の言葉を思い返すととても不快な気持ちになりました。自分がどうやってクリニックから歩いて帰れたかもわかりません。 私は思いました:もしその子が亡くなってしまえば、親は事情を詳しく調べるだろう…。それを思うととても怖くなりました。泣きたくても涙は出てきませんでした。時間は一秒、一分とゆっくりと過ぎました。落ち着く事もできませんでした− 私は本当に苦しんでいました。そこで神様の言葉を開き、この言葉を読みました。「それよりは神を満足させる最も簡明な方法を見出すこと、すなわち神の采配の全てに従うことが最善であるとわたしは考える。そして、真にこれを実現できるならば、あなたは完全にされるであろう。これは平易で楽しい事ではなかろうか。…現在の神の働きにおいて、神は容易に怒ることがないが、人々が神の計画を阻害しようとするならば、神は表情を即座に晴天を曇天へと変えることもある。ゆえに、腰を据えて神の計画に従うこと、そして神があなたを完全にすることができるようにすることを進言する。これが唯一の賢者となる方法である。」(『言葉は肉において現れる』の「道 (7)」より)神様の言葉を読み、神様の性質とは人の悪さを大目に見ない事を知りました; 私の行動は神様に嫌悪と怒りをもたらしました。私に道を見せるため、神様は私にどうやって追求をすれば良いのかを教えてくれました。私が病気で苦しんでいた時、反省などしませんでした。その後も薬を飲んでしまった女の子の出来事で神様は私を叱って苦しめ、それでも私が真理を求めて神様の計画に従うように教えてくれました。神様は私がサタンに騙され続け、苦しんで、周りの意見やステータスを気にする事を許せずにいたのです。 このような懲罰、裁き、そして改善は神様の最終手段であり、私がどれだけどん底にいたかを見せるためだったのです。 少しの罰を経験しただけでは私の心は目覚めませんでした; 私はそれでもまだ自分の中にあったサタン的性質による支配と苦しみから抜け出せませんでした。振り返って見れば、仕事を始めたばかりの時、傑出する思いがあり、大事な目的のために昇進するだろうと信じていました; 降格し基本的なレベルの仕事をする事など想像もしていませんでした。見下していた人々が指導者レベルの兄弟姉妹を地域で育成する仕事につき、私自身の見通しが厳しく見えた中で昇進した人もいました。 私は思いました:ここで仕事をするよりは家に帰った方が良いのではないか。 そのため、教会の指導者達と集まる時は、ただ行動するだけでした。他人のための責任など取らず、教会内での問題に関しても責任を感じる事なく、神様の意志さえも考えませんでした。 その時、哀れみと愛で満ち溢れていた神様の言葉を前にし、感謝の気持ちでいっぱいになりました。神様の思いは人の人生のためを考えており、全てを人のために尽くしてくださる; これはサタンの支配下から人々を完全に救い出すためなのです。それなのに私は神様の仕事をする中で何も尽くそうとしなかったのです。問題の根本は、私がサタンの毒によって縛られ、支配されていたからです。 私は親の良い意図を理解できない単純な子供のようでした; すでに神様によって完璧になれるためのたくさんの機会を失ってしまったのです。そこでやっと目覚めたとしても、もう遅いのでは? 私は悔しさと自己非難のあまり、地面に倒れました:「神様!今日の裁きと懲罰はすべてあなたの義です。私はあなたに従います。 まだチャンスがあるのなら、自分を変えて、自分の将来の運命のために走り回るのをやめます。 あなたの手の中の小さな創造物とし、喜んで水やりの仕事をし、あなたの心を慰めます。」祈った後、私の心は静まりました。 自分の全てを神様に尽くし、それ以上にあの少女の事も全て神様に委ねようと思いました。その後、ホストファミリーの妹がドアを開ける音が聞こえ、あの少女が叫びました。「おばさん、抱っこしてくれる?」そして小さな声でささやきました。「おばさん、絶対にこれは秘密だからね;おばあちゃんに私がおばさんの水を飲んだ事は言っちゃダメだからね!」 その瞬間、神様が色んな人々や出来事や物事を用いて石のような私を救ってくれたのを見て、私の心は解放されました。私は自分が本当に価値のない人だと思いました。それからは、私の意志は自分の将来の運命のためではなくなりました。神様の心を慰めるために地に足をつけ、水やりの仕事のためにベストを尽くしました。もうただ行動するだけではなく、また兄弟姉妹の仕事で間違いや怠慢を発見した時は、辛抱強く接して、助けて支えました。 兄弟姉妹との交わりを通してある程度の真理を得る事ができ、同時に色々学ぶ事もできました。そして私の才能が無駄になっているという考えを信じるのをやめました。神様の良い意図を理解する事ができ、またこの義務をやり終える事が私の人生で必要だった事だと理解する事ができました。私の欠点に合わせて神様が環境を作り、補ってくれたのです。神様に感謝します! それからはやるべき事を平安をもってこなす事ができるようになりました。その少し後、二つの地域での指導者や働き手の育成の仕事を指導者に頼まれました。 その時私は神様の正しい性質を目にしました。神様は人の心を深く探り、全てを受け持つのです。神様は地に足のついた、やるべき事をちゃんと果たす人が好きなのです。私に仕事をする機会をくれた神様に感謝します。 地域指導者達とのミーティングの際、私は問題を発見し、改善のため勤勉に働きました。また、各ミーティングで発見された問題、どのような広範囲の問題があるのか、どう改善しているか、そしてまだ解決されていない問題などを全て記録しました。 しばらく時が経つとこの仕事のやり方はとても現実的と思えました。 私の心は安らぎと平安があり、「他人よりも前に出る」という毒の支配下にはもういなかったのです。様々な面で真理を理解し身につけ、兄弟姉妹と共に、低姿勢な人に自分が思えました。 私は創造物としての義務を果たす事が変更不可能な原則である事を理解し、兵隊のように言われた事を果たすのを神聖な義務とし、自分のために計画を立てるのではなく、神様の家を最優先するべきなのです。これが創造物のするべき事なのです。

2012年2月後半に、私は仕事のため別の地域に移動しました。その当時私の心は穏やかで、以前のように憂鬱ではありませんでした。移動した時、ちょうど神様の家では教会内での整理の時でした。仕事の協定にはこう書かれていました: 「2012年の労働の日の休日までに、教会内の5種類の人をなくす作業を完了しなければならない。 この仕事は王国の良い知らせの働きの道を幅広くするためであるので、絶対に良い知らせの働きに影響を与えてはならない」(教会の働きの交わりと手配の年代記II の「神様は教会の整理と王国の良い知らせのスムースな展開のみによって完全に栄光を受ける」から)。 ある指導者や働き手はすぐにでも置き代える必要があったのです;仕事の全ての面でほぼ停止状態だったのです。神様が見守っていてくださったおかげで、その時私は苦難に溺れてはいませんでした。 私は指導者や働き手の調整をしながら、手放さなければいけない人の資料を集めるために適切な人を整理していました。しかし、3月後半になっても誰一人手放すと言う通知が一つもなかったのです。 心の中で改善をしなければありませんでした。色んな言い訳でいっぱいでした;私はただやる事をやる練習をして、真理を明確に理解せず、このような努力を続けられないと思い聞かせました。 改善を受ける中で、担当の姉妹から呼ばれました。当時私は落ち込んでいて、受け入れられませんでした。心の中で不当に感じました。私は思いました: 私はここに来たばかりで、どういう仕事なのかあなたも十分わかるでしょう。協力するために私はできる事をやっているのに、私を慰めるのではなく、叱るだけ。 このように、私は改善の真っ只中にいて、「置き代える」という言葉に恐怖を抱いてました。仕事をしていても私は自信を失い、常にこう考えていました:今回は私は絶対に置き代えられるだろう、なぜなら仕事の協定には5種類の人を手放せない指導者は置き代えられると書いてあるから。その後、昔よく歌っていた聖歌を思い出しました。「神の精練が大きいほど人々は神をさらに愛することができる。人々の心の苦しみは人々のいのちに有益であり、神の前でより平穏になり、神との関係がより近くなり、神の至高の愛と救いをよりよく理解できる。ペテロは何百回も精練を経験し、ヨブはいくつかの試練を受けた。あなた方が神によって全き者になることを望むのであれば、あなた方も同じく何百回も精練を経験しなければならない。この過程を通過してのみ、この過程に依拠することによってのみ、あなたは神の心を満たすことができ、神によって全き者になるのである。精練は、神が人を完全にする最も良い手段である。精練と厳しい試練だけが神への真の愛を人々の心にもたらす。苦難がなければ人々は神への真の愛に欠ける。もし人々が試練により試されず、真に精練されなければ、人々の心は常に外の世界で漂い続けるだろう。ある程度まで精練された後、あなたは自分の弱みと困難を理解し、どれほど欠けるところがあるか、遭遇する多くの問題をどれほど克服できないか、あなたの不従順がいかに大きなものかを知るようになるだろう。この過程を通過してのみ、この過程に依拠することによってのみ、あなたは神の心を満たすことができ、神によって全き者になるのである。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)神様の言葉の導きにより、改善する事は神様が人を完璧にするベストな方法である事に気付き、もし私の姉妹が私を叱らなければ、私の心は未だに迷っていたでしょう。 私の怠惰さと卑屈さが強すぎて、このような環境を通してでないと自分の言い訳から積極的に抜け出す事ができませんでした。このような改善だけにより私は欠点が多すぎた事をはっきり見る事ができ、自分の将来の運命についての考えに支配されていた事もわかりました。 この数年間でいくつか懲罰を経験し、価値のない評判やステータスを求めることはやめて、外面ではより正直になったにもかかわらず、心の底ではサタンの毒はまだ残っていました。初めてこの場所に来た時の状態を思い返しました:以前の指導者は実践的な仕事をせずに、教えだけを話し、教会の整理の仕事などしませんでした。 私は思いました。教えを話すだけで実践的な仕事をしない人間にはなってはいけない。仕事をちゃんとこなし、完全に労働の日までに5種類の人を手放せば、上司は私が以前の指導者よりも優れているのを見て、認めてくれるだろう。結果的に私はその理想を達成するために頑張って走り回っていたのです。神様は実に正しいのです—私の心の汚れを深く知っているのです。神様の横に立ち、神様の家を維持する事や兄弟姉妹を守るために働いていたのではなく、自分を確率するために働いていたのです。キリスト反対者達は神様の家の働きを邪魔し破壊しようとしていたのに、私はこれらの悪魔を追い払って神様の心を慰める事ができなかったのです。私は本当に死に値するのです! 苦しみと自己侮辱の中で、私は地面に倒れました:「神様!この義務を果たせる事はあなたからの最高の賞賛なのにもかかわらず、私はあなたの意志を気にせず、恩知らずでした。私はなんて卑劣なのでしょう。 今日私はあなたの正しさを味わい、まだ私の腐敗はたくさんあるものの、あなたによって完璧にされたいです。 この環境の中で清められ、あなたと働くためにベストを尽くし、それ以上に兄弟姉妹と一体となり反キリストの悪魔を追い払いたいです。」祈った後、神様の言葉の一節を読みました。「将来、祝福を得ようという目的で人々は神を信じます。すべての人々にはこの意図と希望があります。しかし、人間の本性の内の堕落は試練を通じて解決されなければなりません。どの側面においてもあなたは合格せず、あなたが精錬されなければならないのは、これらの側面においてです—これは神の采配です。神はあなたに環境を作り、自らの堕落を知るよう、そこであなたが精錬されることを余儀なくさせます。最終的に、あなたはむしろ死ぬか、あなたの陰謀と欲望を放棄し、神の主権と采配に従うだろうところに到ります。それゆえ、人々に何年かの精錬がなければ、人々に一定の苦しみがなければ、人々の考えと心にある肉の堕落の束縛を避けられないでしょう。どの側面においても、あなたはやはりサタンの束縛の対象で、どの側面においても、あなたには依然として自らの欲望、自らの要求があります—あなたが苦しむのは、これらの側面においてです。苦しみの中でのみ教訓は学ばれ、それは真理を得れること、神の心を理解できることを意味します。実際、多くの真理は、苦しい試練の経験の中で理解されます。神の意図が知られていると、神の全能性と知恵は理解されていると、気楽な環境や好都合な状況で神の義なる性質が正しく評価されると言う人はいません。それは不可能でしょう。」(『キリストの言葉の記録』より)神様の言葉によって、私の将来の運命への思いが私の中で最も致命的なものであった事に気付かされました。そのために私は神様の家の働きの崩壊しながらも支配されていたため、神様はもう一度私を改善するための環境を作ったのです。 これにより、今までの苦難や改善は全て神様からだと理解し、この数年間に叱られて改善されていなければ、そして辛い環境での経験がなければ、私の魂や肉体的な物への視点は変わらなかったでしょう。何度か叱られて改善されて、やっと私の求める物に変化が現れました。 祝福の目的や取引のために神様を信じたり、周りの意見、ステータス、そして将来の運命を優先するのはもうやめました。また、神様の人々を救う意志をより明確に理解する事ができました。

それからは、義務を果たす時、たとえ置き代えられたり仕事内容が調整されたとしても、私の心は以前よりも落ち着いていて、何を得たり失ったりするかの心配をする事がなくなりました。単純にもう一つの責任と義務だと思います。どんな義務が私に与えられたとしても、私は神様の意志に従って、できる事をしたいと思います。私の果たす義務は全て神様からであり、地に足をつけて真理を求め、今までの罪や恩義を補い、ペテロを模範として実践的な神様の愛をもって生きたいと思います。この聖歌の歌詞のように、「主イエス・キリスト様、…私たちはともに離れて過ごしたり、いっしょに過ごしたりしてきました。でも、あなたは他の何よりも私を愛してくださいました。私はあなたに何度となく反抗し、あなたを悲しませました。そのようなことをどうして忘れることができましょう。あなたが私の中で行われた働き、私をいつも信じてくださったことなど私はいつも覚えており、決して忘れることはありません。あなたが私にしてくださった働きで持って、私は最善を尽くします。あなたは私ができることを御存知で、私の役目ももっとご存知です。あなたの願いは私の指令で、私はあなたに持っているもの全てを捧げます。私があなたにできることはあなただけが御存知です。サタンは私をずいぶん欺き、私はあなたに反抗したけれども、あなたはこのような罪を犯した私を覚えておられず、それを基準に私を取り扱われないと信じています。あなたに私の全人生を捧げたいです。私は何も求めませんし、他の望みも計画も持っていません。私はただあなたの意図に従って行動し、あなたの御心を行うことを望むだけです。あなたの苦い杯から飲み、私はあなたの意のままです。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)

私は今になって、もう14年間神様を信じています。神様の恵のおかげで今まで神様の家での義務を果たす事ができました。たくさんの山や谷がありました;笑顔もあり、悲しみの涙もあり、神様の意志を理解した時の喜びや、 神様への恩義からくる罪悪感もありました。それ以上に、真理を実践した時の喜びと平安がありました。私が得た物はたくさんありました。 私は神様の裁きと懲罰の良さを経験しました—とてもリアルなのです!神様の裁きと懲罰が無ければ今までの変化はなかったでしょう。これからは、私が清められ、救われて、神様によって完璧にされるためにもっと神様の裁きと懲罰を受け入れて、 神様が私のために用意する苦い試練も受け入れたいと思います。これによって価値のある有意義な人生を生きることができるのです!

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