日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 3」抜粋72

日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 3」抜粋72

523 |2020年6月20日

聖書を読んだことのある者は誰も、主イエスが生まれた時、多くの出来事があったことを知っている。これらのうち、最も甚大なものは、悪魔の狩りにより、その地域の2歳以下の幼児が虐殺された事件である。神は人間の中で受肉するにあたり、大きな危険を冒したことは明らかである。さらに、人間を救うという経営の業を遂行する上で、神が払った大きな代償もまた、明らかである。また、人間の中において、受肉した神が行った業に対して神が抱いていた大いなる希望も、明らかである。神の身体が人間の中で業を行うことが出来た時、神はどう感じたであろうか。人間は神がどう感じたかを、多少理解する必要があるだろう。神は神の新たな業を人間の中で発現することが出来たので、少なくとも神は幸せであった。主イエスが洗礼を受け、正式に業を開始した時、神は、長年にわたり準備をして待ち続けた末、遂に普通の人間の身体を身に付けて、人々が見て触ることの出来る血と肉を持つ人の姿で新たな業を行うことが出来るようになったので、神の心は幸福で満ち溢れた。神はついに、人間の身分で、人間と対面し、心と心で話をすることができるようになった。神はついに、人間の言葉で人間として、人間と対面することが出来るようになった。神は人間に施し、啓きを与え、人間の言葉で人間を助けることが出来るようになった。神は、人間と同じ食卓で食事をして、人間と同じ空間で生活することが出来るようになった。また神は人間がするように、さらに人間自身の目を通して、人間を見、物を見、全てのものを見ることが出来るようになった。神にとって、これは神が受肉して行った業の最初の成功であった。また、これは大いなる業の成功であったと言うことも出来るであろう。無論、神が最も喜んだのは、この成功であった。この時神は、人間の中で行う業に、ある種の慰めを感じはじめていた。これらの出来事は、すべて実践的であり、自然であり、神が感じた慰めは、極めて確かなものであった。人間にとって、神の業の新たな段階が実現した時、神が満足した時というのは、すべて人間が神に近づくことが出来る時であり、人々が救いに近づくことが出来る時である。神にとって、この時は、神の経営計画が一段階先へと進み、更には神の旨が完全に達成される、神の新たな業の開始の時でもあった。人間にとって、そうした機会の到来は幸運であり、極めて良い事であった。神の救いを待つ者すべてにとって、これは極めて重要な知らせである。神が業の新たな段階を行う時、神は新たな始まりを迎え、この新たな業と新たな始まりが人間に採り入れられた時とは、この業の段階の結果が既に決定し、達成され、神は最終的な効果と実りを知っている時である。またこの時は、こうした効果により神が満足し、無論神の心は幸福である。なぜなら、神の観点から見ると、神は探していた人々を既に見て、決めており、この人々の集団を既に獲得しているからである。この集団は神の業を成功させ、神に満足を与えることができるので、神は確信し、懸念を払拭でき、幸福を感じる。換言すれば、神の身体が人間の中で新たな業を開始することができ、神が行う必要のある業を障害なく開始し、神が全て達成したと感じる時、神は既に終わりの時を見ている。その終わりの時のため、神は満足し、幸福な心でいる。神の幸福は、どのように表出されるか、想像がつくであろうか。神は泣くだろうか。神は泣くことができるだろうか。神は拍手ができるだろうか。神は踊ることができるだろうか。神は歌うことができるだろうか。神はどのような歌を歌うだろうか。無論、神は美しく感動的な歌、神の心の喜びと幸福を表出する歌を歌うことができる。神は人間に対して、自身に対して、そして万物に対して、その歌を歌うことができる。神の幸福は、あらゆる方法で表出されるが、それは全て普通のことである。なぜなら、神には喜びと悲しみがあり、神の様々な気持ちは、様々な方法で表出されるからである。これは神の権利であり、極めて普通のことである。これについて、その他のことを考えるべきではない。またあなたがたは自分自身の制約を神に対して想定して、神はこうすべきではない、ああすべきではないと述べたり、神のこの行動は良くない、あの行動は良くない、などと神に対して述べたりして、神の幸福やその他の感情を制限すべきではない。人間の心の中では、神は幸福になること、涙を流すこと、すすり泣くことなどなく、神が感情を表出することは有り得ない。このことについては、すでに二度述べたので、あなたがたはもはや神をそのような存在と考えてはおらず、神が自由であり開放されているものと考えていることと思う。それは非常に好ましいことである。今後あなたがたが、神が悲しんでいると聞いた時に、神の悲しみを真に感じること、神が幸せであると聞いた時に、神の幸福を真に感じること(少なくとも神が幸せである理由や神が悲しんでいる理由を明確に知ること)が出来るのであれば、また神が悲しんでいることが原因で悲しみを感じ、神が幸せであることが原因で幸せを感じることが出来るのであれば、神はあなたの心を完全に獲得しており、神との間には一切の障壁は存在しないであろう。あなたは人間の想像や考え、知識により神を制約しようとすることがなくなるであろう。この時、神はあなたの心の中に生き、その存在が鮮明になるであろう。神はあなたのいのちの神となり、あなたの全ての主となるであろう。あなたがたは、こうしたことを熱望しているであろうか。あなたがたには、こうしたことを実現する確信があるであろうか。

『言葉は肉において現れる』より引用

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