日々の神の御言葉「神の働きと人間の実践」抜粋156

2020年8月5日

ビジョンが関連する物事は、おもに神自身の業を指し、実践が関連する物事は人間がなすべきであり、神とは無関係である。神の業は神自身により完遂され、人間による実践は、人間自身で実現される。神自身により行うべき物事を人間が行う必要は無く、人間が実践すべき物事に神は無関係である。神の業は神自身の務めであり、人間とは無関係である。この業を人間が行う必要は無く、また人間は神により行うべき業を行うことができない。人間が実践するよう要求されている物事は、それが自分のいのちを犠牲にすることであれ、サタンの所へ行き証しに立つことであれ、全て人間が実現する必要がある。神自身は、神がなすべき全ての業を完遂し、人間が行うべき物事は人間に対して示され、それ以外の業は、人間に委ねられる。神は、追加の業を行わない。神は、神の務めに含まれる業のみを行い、人間に道を示すのみであり、道を開く業のみを行い、道を整える業は行わない。人間は、この点を理解すべきである。真理を実践するということは、神の言葉を実践することを意味し、それは全て人間の本分であり、人間がなすべき事であり、神とは無関係である。人間と同様に神も真理の中で苦痛と精錬を受けるよう人間が要求したならば、人間は不従順である。神の業は、神の務めを行うことであり、人間の本分は反抗することなく神の導きの全てに従うことである。人間は、神が業を行う方法や生きる方法を問わず、実現するよう義務づけられた物事を実現する必要がある。人間に対して要求することが出来るのは、神自身のみである。つまり、人間に対する要求を行うのに適しているのは、神自身のみである。人間は一切自分で選択してはならず、完全に服従して実践する事以外に何もすべきではない。これが人間が備えるべき理知である。神自身が行うべき業が完了した後、人間はそれを段階的に経験する必要がある。最終的に、神の経営全てが完了した時、人間は神により要求された物事を、まだ完了していない場合、人間は罰せられるべきである。人間が神の要求に満たない場合、それは人間の不服従に起因する。それは神が業を十分徹底されていないことを意味するものではない。神の言葉を実践出来ない者、神の要求を満たせない者、自分の忠誠を捧げ、自分の本分を尽くせない者は、全員罰せられるであろう。現在、あなたがたが実現するよう要求されている事は、追加の要求では無く、人間の本分であり、人間全員が行うべき物事である。あなたがたが自分の本分を尽くすこと、それを十分に行うことさえも出来ないのであれば、自ら問題を招いているのではなかろうか。あなたがたは死を招いているのではなかろうか。あなたは、どうして依然として将来や展望を期待することが出来ようか。神の業は人間のためのものであり、人間の協力は、神の経営のためのものである。神が実行されるべき業を全て行われた後、人間は自分の実践を物惜しみせずに神と協力するよう要求されている。神の業において、人間は努力を惜しまず、忠義を全て捧げ、様々な観念に溺れたり、受動的となって無為にしていたり、死を待っていてはならない。神が自身を人間のために犠牲に出来るのであれば、どうして人間が自分の忠義を神に捧げられないことがあろうか。神が人間に対して心をひとつにしているのであれば、どうして人間が少し協力できないことがあろうか。神が人間のために業を行うのであれば、どうして人間が神の経営のために、自分の本分の一部を実行できないことがあろうか。神の業は現在まで長期にわたり続いているが、あなたがたは理解しているだけで行動せず、聞くだけで動こうとしない。そうした者は陰府へ送られるのではなかろうか。神は既に自身の全てを人間のために捧げられているが、それならば、なぜ人間は現在、熱心に自分の本分を尽くせないのだろうか。神にとって、業は最優先事項であり、神による経営の業は最重要事項である。人間にとって、神の言葉を実践し、神の要求を満たすことは、最優先事項である。あなたがたは、全員それを理解する必要がある。あなたがたに対して述べられた言葉は、あなたがたの本質の核心に到達し、神の業は嘗て無い領域に突入している。多くの者が未だにこの道が真理か虚偽かを理解していない。そうした者は未だに待って見ているだけで、自分の本分を尽くしていない。そうした者は、神の言葉と業を逐一検証し、神の食べ物や着物に重点を置き、そうした者の観念はさらに深刻化している。そうした者は無用な物事について騒ぎ立てているのではなかろうか。そうした者が、どうして神を求める者であり得ようか。そうした者が、どうして故意に神に対して服従する者であり得ようか。そうした者は自分の忠義と本分を心の奥へと押しやり、その代わりに神の所在地に重点を置く。そうした人々は、ならず者である。人間が自分の理解すべき物事を理解し、実践すべき物事を全て実践しているならば、神は間違い無く人間に恵みを与えられるであろう。なぜなら、神が人間に要求する物事は、人間の本分であり、人間がなすべき物事だからである。人間が自分の理解すべき物事を理解することも、実践すべき物事を実践することも出来ないならば、人間に懲罰が与えられるであろう。たとえ神に対して明らかに反抗的なことをしなくても、神に協力しない者は神に敵対しており、新たな業を受け容れない者はそれに反対する者である。神に要求された通り、真理を実践しない者は、たとえそうした者が聖霊の業に「特に注意」していたとしても、全員神の言葉に対して故意に反抗し、服従しない者である。神の言葉に従わず、神に服従しない者は反抗的な者であり、神に反逆する者である。自分の本分を尽くさない者は、神に協力しない者であり、神に協力しない者は聖霊の業を受け容れない者である。

『言葉は肉において現れる』より引用

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