日々の神の御言葉「新時代の戒め」抜粋243

日々の神の御言葉「新時代の戒め」抜粋243

0 |2020年7月23日

人は自分の為すべき多くの本分に忠実でなければならないということである。これが、人が守りまた実行すべきことである。聖霊によって為されるべきことは聖霊にまかせるべきで、そこに人間のできることはない。人は人によって為されるべきことに忠実であるべきで、そこに聖霊は関係しない。これが正に人の為すべきことであり、旧約の時代に律法を守っていたように、戒めとして守るべきなのである。今は律法の時代ではないが、律法の時代の言葉に似た多くの言葉がやはり存在し、それらを守らなければならない。それらの言葉は、単に聖霊の働きに頼るのではなく、人が守るべき事柄によって実現する。例えば、実際神の働きを裁いてはならない。神の証しする者に反抗してはならない。神の前では、自分の本分を守り放蕩であってはならない。口数は少なくし、自分の言葉と行動が神の証しする者の按配に従うものでなければならない。神の証しを敬い畏れなければならない。神の働きとその口から出る言葉を無視してはならない。神の口調と言葉を真似てはならない。外見では神の証しする者に明らかに反抗することは一切してはならないなどである。これらのこと全てが、人がそれぞれ守るべき事である。神は時代ごとに律法のような多くの規則を定め人に守らせてきた。これらの規則を通して、神は人の性質を拘束してその誠意を測るのである。旧約聖書時代の言葉「あなたの父と母を敬え」を例に取ってみよう。この言葉は今日では適用されない。当時、これらの言葉は、単に人の外面的な性質を拘束していたのであり、人の神に対する信仰の誠意を示すために使われ、神を信じていることの一つの印であった。現在は神の国の時代であるが、人が守るべき規則はまだ多くある。過去の規則は適用できないため、現在は人が実行するのにより適当な実践が多く存在する。それらは不可欠であり、聖霊の働きと関係なく、人によって為されるべきことである。

恵みの時代に、律法の時代の実践の多くは当時の働きに特に効果がなかったため廃止された。それらが廃止された後に、当時に適応した実践が定められ、その多くが今日の規則にもなっている。そして今日の神が現れた時に、これらの規則は免除されて守る必要がなくなり、神が今日の働きに適応する実践を多く定めた。今日これらの実践は規則ではなく、効果を発揮するためのものであり、今日の状況に適応している。もちろんいつかは規則になる可能性もあるが。要するに、あなたは今日の働きに有益なものを守るべきなのである。明日の事は気にかけずとも良い。今日のことは今日のために為されるのである。もしかしたら明日は、あなたが行うのにもっと良い実践があるのかもしれないが、特にそれは気に留めずに、神に背かないよう今日守るべきことを守らなければならない。今日人が守るべき最も肝心なことは次の通りである。あなたの目の前にいる神を欺くまたは神から何か隠すことをしてはならない。神の面前で、みだらな話をしたりでたらめを言ってはならない。神の信頼を得るために、あなたの目の前の神を上手い言葉やたくみな話で欺いてはならない。神の前で不遜な態度を取ってはならない。神の口から話された全ての言葉に従うべきで、それに対し反抗したり逆らったり議論してはならない。神の口から話される言葉を自分の好きなように勝手に解釈してはならない。あなたの舌を戒めなければならない。それは、あなたの舌ゆえに悪い者の欺瞞的な計画に陥らないためである。あなたの歩みを戒めなければならない。それは、あなたが神の定めた境界線を超えて、神の立場から自惚れた尊大な話をして、神に忌み嫌われないためである。むやみに神の口から話された言葉を繰り返してはならない。でなければ他人があなたをあざけり悪魔が嘲笑するだろう。今日の神の仕事に全て従わなければならない。例えあなたが理解していなくとも裁いてはならず、ただ探し求めて尋ねていき、他者と交わるべきである。誰も神の本来の地位を超えてはならない。あなたにできるのは、人の立場から、今日の神に奉仕するだけである。人の立場から今日の神を説いてはならない。これは間違ったやり方であるからだ。誰も神の証しする者の地位に立ってはならない。あなたがたの言葉、行動、内なる思いにおいて、人の立場に立っていなければならない。これは従うべきことであり、人の責任であり、誰にも変更ができず、変更したときには神の行政に背くことになる。そして、これが全ての人が覚えておくべきことである。

『言葉は肉において現れる』より引用

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