日々の神の御言葉「悪人は必ず罰を受ける」抜粋329

2020年8月24日

以前、神が天にいたとき、人は行動において神を騙そうとした。今日、神は人の中にいるのに――どのくらいかは誰も知らないが――人は依然として神のために形だけのことはし、神を騙そうとする。人は極端に考え方が遅れているのだろうか。ユダと同じである。イエスが来る前、ユダは彼の兄弟姉妹に嘘をつき、イエスが来た後も、ユダは変わらなかった。彼はイエスについて少しも認識がなく、最後にはイエスを裏切った。それはユダが神を知らなかったからではないか。もし、今日、あなたがたがまだ神を知らないなら、あなたがたはユダと同じで、恵みの時代に何千年前のようにイエスの十字架の悲劇が再び繰り返されるだろう。あなたがたはこれを信じないのだろうか。それは事実なのに!今日、ほとんどの人たちはそのような状況下に存在している――これを言うのは少し早すぎるかもしれないが――そのような人たちはユダの役を演じているのである。わたしは気易く言っているのではなく、事実に基づいて語っているのである――だからあなたは信じなければならない。多くの人たちはへりくだったふりをしているけれど、心の中はよどんでくさった水でしかない。今や、教会はあまりにも多くがこのような状態である。あなたはわたしが何も知らないと思っているが、今日、わたしの霊はわたしを導いてくれ、わたしに証をしてくれる。あなたはわたしが何も知らないとでも思っているのか。あなたがたの心の中にあるよこしまな考えや、あなたがたの心の中を占めている事柄をわたしが何も知らないと思っているのか。神はそんなに簡単に騙されるのだろうか。あなたは好きなように神に係わって行くことができると思っているのか。かつて、あなたがたが足かせをつけられているようなのではと心配し、あなたがたに自由を与えてきたが、わたしが人にとっていいことをしているとは誰も認識していなかった。わたしが少し優しくしたら、つけ込んできたのだ。お互いに尋ねなさい。わたしは今まで誰にも対処して来なかったし、すぐに誰かを譴責することもなかった――しかし、わたしは人の動機と考えについては非常にはっきり分かっている。あなたは神が証となる神自身を愚か者と思っているのか。もしそうなら、あなたはあまりにも盲目であると言おう。わたしはあなたを咎めない。そしてあなたがどんなに堕落してしまうか見ることにしよう。あなたのたくらみがあなたを救うことができるか、あるいは、神を一生懸命愛そうとする努力があなたを救うことができるかどうか見ることにしよう。今日、わたしはあなたを咎めない。神がどのようにあなたに報いをもたらすか見るために、神の時を待とう。わたしには今、あなたと世間話をしている暇はないし、あなたのためにわたしの更に偉大な働きを遅らせるのも望んではいない。あなたのような蛆虫は、神に時間を割いてもらうのに相応しくない――だからあなたがどれだけ放蕩するかを見ることにしよう。そのような人たちは神のことを少しでも知ろうとはしないし、神に対する愛もなく、それでもなお神によって義人と呼ばれることを望んでいる――冗談ではないか。実際、正直な人たちか少なからずいるので、わたしは人にただいのちのみを提供することを考えている。わたしは今日なすべきことのみ完成し、その後彼らの行いに応じてそれぞれに報いをもたらそう。わたしは言うべきことはすでに言ってきた。なぜならこれがわたしがする働きだからである。わたしはわたしがすべきことをし、すべきでないことはしない。しかし、あなたがたがもっと反省することに時間を費やすようわたしは依然として望んでいる。あなたの神に対する認識が正確にはどれほど正しいのだろうか。あなたはもう一度神を十字架に釘づけにした人たちの一人だろうか。最後にこう言おう。「わざわいだ。神を十字架につけた者たち。」

『言葉は肉において現れる』より引用

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