日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 18

2020年5月20日

神を畏れることは、神を神として扱うことから始まる

 ある者から質問があった。その質問は、現在人間は、ヨブよりも神に関する認識が多いにもかかわらず、人間が神を畏れられないのは何故か、ということである。この問題については、先般少しだけ触れたであろう。事実、この問題の本質、すなわちヨブは当時、神を知らなかったが、ヨブは神を神として取り扱い、神を天と地にある万物の主とみなした件についても以前に話をした。ヨブは神を敵とはみなさなかった。むしろ、ヨブは神を万物の創造主として崇めた。現在、人間が神をこれほどまでに拒否するのは、何故だろうか。現在の人間が、神を畏れられないのは、何故だろうか。その理由のひとつとして、現在の人間がサタンにより深く腐敗させられていることがある。そうした人々にはサタンのような本質が深く浸透しており、そうした人々は神の敵となる。したがって、そうした人々は神を信仰し、認めているものの、神を拒み、自らを神の敵としてしまうことがある。それは人間の本質により判断される。もうひとつの理由は、そうした人々が神を信じている一方で、神を神として取り扱わないことである。そうした人々は、神を人間に反対する存在と考え、敵と見なし、神と和解することが出来ない。それほど単純なことである。この問題については、前回話をしたであろう。考えて欲しいのだが、そのことが理由であろうか。あなたには神に関して多少の知識があるが、その知識とは一体何であろうか。それは皆が話題にしていることではないだろうか。それは神があなたに伝えた事ではないだろうか。あなたは、理論上、教義上の側面しか知らないが、神の実際の側面を体験したことがあるだろうか。あなたには、主体的な知識があるだろうか。あなたには、実践的な知識と経験があるだろうか。神が伝えなかったとしたら、その知識を得られたであろうか。あなたの理論上の知識は、本当の知識ではない。つまり、あなたにどれほど知識があるか、あなたがその知識をどのようにして得たかを問わず、神に関する真の知識を得る以前において、神はあなたの敵であり、あなたが神を神として取り扱うまで、神はあなたに敵対する立場に置かれている。なぜなら、あなたはサタンの化身だからである。

 あなたがキリストと共にあるのであれば、あなたはキリストに毎日3回の食事を振る舞い、おそらくお茶も振る舞い、生活に必要な物事を手配し、外見上キリストを神として扱うだろう。何か起きると、人間の観点は、常に神の観点と相反するものになる。人間は神の観点を理解できず、受け入れられない。人間は表面上では神と折り合いが付くかも知れないが、それは神と一致することを意味するものではない。何かが起こるとすぐに、人間の不服従の真実が現れ、人間と神の間にある敵対心が確認される。この敵対心は神が人間に敵対しているのでも、神が人間に敵対することを望んでいるのでも、神が人間を敵対する立場に置き、敵対するものとして扱っているのでもない。むしろ、それは人間の主体的意志と無意識の精神に潜む、神に敵対する本性の問題である。人間は神に由来するもの全てを研究対象とみなすので、神に由来する物事や神が関与する物事に対する人間の反応は、何よりも推測し、疑念を抱き、すぐに神と矛盾し神に反する姿勢を取ることである。その後、人間はそうした受動的な精神状態となり、神と対立し、神と争い、そうした神は人間が従うに値するかどうか疑念を抱くことさえある。人間の理性は、今後はそのようにあるべきでは無いと言うものの、人間はそうすることを選び、何も躊躇せずに、最期まで一貫してそのまま続行する。たとえば、神に関する噂や悪口を人間が聞いた時の最初の反応は、どのようなものであろうか。最初の反応は、その噂の真偽を知らないし、実在するかどうかも分からないので、様子を見よう、というようなものであろう。その後、人間は、それを確かめることは出来ないが、それは存在するのだろうか、その噂は本当だろうか、と考える。この者は、そのような思いを表に出さないが、その者の心には既に疑念が生じ、神を否定し始めている。こうした姿勢や観点の本質は、何であろうか。それは裏切りではなかろうか。人間がそうした問題に遭遇する以前は、その者の観点を知ることは出来ず、その者は神と敵対しておらず、神を敵とみなしていないように思われる。しかし、その者が、その問題に直面するとすぐに、人間はサタンの味方をして、神と敵対する。このことにより示されている事は、何であろうか。それは、人間と神が敵対していることを示している。それは、神が人間を敵として扱っているのではなく、人間の本質自体が神に敵対するものだからである。どれ位の期間神に付き従っているか、どの程度の代償を支払うか、どの程度神を称えるか、どう神を拒否せずにいるか、それだけでなく自らに対して神を愛すよう促しているかを問わず、人間は決して神を神として扱うことができない。それは人間の本質により決定されることではなかろうか。あなたが神を神として扱い、神が神であることを心から信じている場合、あなたは依然として神に対して疑念を抱くであろうか。自分の心の中の神に対して疑問があり得るであろうか、というと、それは有り得ない。この世の傾向は極めて邪悪であり、人類も極めて邪悪である。こうした人間に関して、あなたが何も認識していないのは、何故だろうか。あなた自身、極めて邪悪である。あなたにはその認識が無いのは、何故だろうか。しかし、一部の噂や悪口には、神に関する極めて大きな概念を生み出し、極めて大量の考えを生み出すものもあり、それにより、あなたの背丈がどれほど未熟であるかが示されている。何匹かの蚊や煩わしい蝿の「羽音」だけで、あなたを欺くには十分であろうか。これはどのような種類の者であろうか。神がこのような者をどう思っているかを知っているだろうか。実際には、こうした者を神が取り扱う姿勢は、極めて明瞭である。こうした者に対する神の処遇は、単に冷遇されるだけである。神の姿勢は、そうした者に留意せず、そうした無知な人々を本気で相手にしないことである。それは何故であろうか。それは、神の心では、そうした意を決して最期まで神に反抗し、神と親和する方法を求める計画が一切無い人間を得る計画は、一切無いからである。わたしが述べた事により傷付く者が少なからずいるであろう。あなた方は、わたしの言葉で常に傷付くことを望むであろうか。あなた方がそう望むか如何を問わず、わたしの述べた事は全て真理である。わたしが常にあなた方を傷つけ、あなた方の傷を露わにするようであれば、それはあなた方の心の中にある高尚な神の姿に影響を与えるのではなかろうか。(そのようなことは無い。) わたしもそのような事が無いと思う。なぜなら、単にあなた方の心には、神が存在しないからである。あなた方の心の中にいる高尚な神、あなた方が守ろうとする神は、神ではない。それは、人間の想像の産物であり、その神は存在しない。したがって、この問題の答えをわたしが述べた方が、格段に良い。それが真実の全てではないだろうか。真の神は、人間の想像物ではない。あなた方全員がこの事実を認めることが出来ることを願っている。そうすることは、あなた方の神に関する認識に役立つ。

『言葉は肉において現れる』より引用

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