日々の神の御言葉「唯一無二の神自身 2」抜粋119

日々の神の御言葉「唯一無二の神自身 2」抜粋119

0 |2020年7月29日

うことに変化することが、いのちがあることの顕著な徴候である。この段階において、人間は神に対する自分の誤解や誤った追求と信仰のあり方を認識するようになる。こうした人々は、真理と神の裁き、懲らしめ、訓練を受けることや、自らの性質を変えることを欲するようになる。やがてこうした人々は、この段階において、神に関する観念と想像を徐々に捨てるようになる。それと同時に、こうした人々は神に関する自分の誤った認識を正し、神に関する正しい基本情報を得る。この段階の人々が持つ認識は、それほど詳細でも正確でも無いが、少なくとも神に関する自分の観念や誤った認識や誤解を徐々に捨てるようになり、神に関して自分の観念や想像を保持しなくなる。こうした人々は、捨てる術を覚える。すなわち、自らが持つ観念に含まれる事柄や、知識やサタンから得たものを捨てる方法を知る。こうした人々は正しく、肯定的な事柄、神の言葉に由来する物事にも従うこと、真理に適合することを望むようになる。また、こうした人々は神の言葉を体験して、神の言葉を知り、実行して、自らの行動の原則そして自らの性質を変更する際の基礎として神の言葉を受け容れようとするようになる。この時期に、こうした人々は無意識のうちに神の裁きと刑罰、そして神の言葉を自分のいのちとして受け容れる。こうした人々が神の裁き、刑罰、そして神の言葉を受け容れる時、こうした人々は、自分の心の中で信じる神が実在されることを認識し、感じることができるようになってゆく。神の言葉と自分自身の経験と生活の中で、こうした人々は、自分の運命の上には、神が常にあり、人間を導き、人間に必要なものを施していることを、次第に強く感じるようになる。自分と神との関係のなかで、こうした人々は次第に神の存在を確認するようになる。したがって、こうした人々は神の業と言葉を、自分で気付く前に、無意識のうちに既に受け容れている。人間がひとたび神の言葉と業を受け容れると、人間は自分自身や、自分の持つ観念、自分の知識、想像を、終わること無く否定し続けると同時に、真理とは何か、神の心とは何かを終わること無く求め続けるようになる。人間が持つ神に関する認識は、発達のこの時期では極めて表層的であり、その認識を明確に説明したり、具体的に説明したりできない。また、この時期の人間は、感覚的にしか理解していない。しかしながら、この段階と、その前の3段階を比較すると、この段階は未熟ではあるが、既に成長に必要な要素と神の言葉による施しを享受して芽が出始めている。この段階は、地中の種のようなもので、水分と栄養素を得ると、土を割って芽を出す。そしてこの萌芽が、新たないのちの誕生を意味する。新たないのちの誕生により、人間はいのちの徴候を感じることができるようになる。いのちを得た人間は、そのいのちにより成長する。したがって、こうした基礎の上で、人間は次第に神への信仰の然るべき道へと進み、自分の持つ観念を捨て、神の導きを得て、必然的に一歩ずつ成長を遂げてゆく。この成長は、何を基準として計測されるであろうか。この成長は、神の言葉に関する人間の経験と、神の義の性質の真の理解にしたがって計測される。この成長段階では、神と神の本質に関する自分の認識を自分自身の言葉で正確に説明するのが極めて困難であると感じるものの、こうした人々は神の恵みにより悦楽を追求しようとすることも、神への信仰の背後にある自分自身の目的、すなわち神の恵みの獲得を追求することも無くなる。その代わりに、こうした人々は、神の言葉に基づいて生活することを求め神の救いの対象となることを求める。さらに、こうした人々は自信を持って神の裁きと懲罰を受ける準備が出来ている。これが、この成長段階にある人々を示す徴候である。

この段階にある人々は、神の義なる性質に関する認識を一部持っているものの、その認識は極めて不明瞭である。こうした人々は、その認識を明瞭に説明することができない一方、自分自身の中に何かを得たと感じる。なぜなら、神の刑罰と裁きにより神の義なる性質に関して、ある程度の認識と理解を得たからである。しかしながら、その認識は極めて表面的であり、初歩段階のものに過ぎない。こうした人々には、神の恵みを取り扱う上での具体的な意見を持つ。この意見は、自分が追求する目的とその追求方法に表出される。こうした人々は、もし自分達が神の言葉を体験してなお、自分達が真理を追究せず、現実的に真理に入ることを追求せず、神を満足させ、知ろうとしないままで居たならば、神への信仰に莫大な損失が生まれるということを、神の言葉や業、人間に対する様々な必要条件や露呈により、理解している。これらの人々は、神の恵みを享受している量にかかわらず、自分の性質を変えること、神を満足させ、神を知ることは不可能であることを心得ており、自分達が引き続き神の恵みのなかで生活したならば、自分達が成長し、いのちを獲得し、救いを得ることが出来ないことを、心得ている。要するに、神の言葉を真に体験することが出来ず、神の言葉を通して神を知ることが出来ない場合、永遠に赤子の段階に留まり、いのちにおいて一歩も成長することが無い。あなたが永遠に赤子の段階に留まり、神の言葉の現実に入ることが出来ず、あなたのいのちとして神の言葉を持つことがなく、神に対する真の信仰と認識を持つことがない場合、あなたには、神により完全な者とされる可能性があるだろうか。したがって、神の言葉の現実に入る者、神の言葉を自分のいのちとして受け容れる者、神の刑罰と裁きを受け容れ始める者、腐敗した性質が変化を始めている者、真理を求める心があり、神を知りたい、神の救いを享受したいという望みがある者は、全て真のいのちを持つ人々である。これが、4番目の種類の成長する子供の段階、少年期にある人々である。

5番目の種類の人間は、成熟した、成年の段階である。

この成長段階では、まだよちよち歩きの前進と後退を繰り返す幼児期を終え、人々のいのちは安定し、停滞することなく前進し、前進を阻むことが出来るものは誰も居ない。前途には依然として険しい苦難が待ち受けているが、これらの人々はもはや弱くもなく、恐れることもなく、手探りで前進することも、方向を見失うことも無くなる。こうした人々の基礎は神の言葉の実経験に深く根ざしている。こうした人々の心は、神の威厳と偉大さに引かれ続けている。こうした人々は、神の後に続き、神の本質を知り、神の全てを知ることを切望する。

この段階の人々は、自分が信じている相手のこと、神を信じるべき理由、自分のいのちの意味を、既に明確に認識しており、また神が表出することがすべて真理であることも、明確に認識している。こうした人々は、長年の経験から、神の裁きと刑罰無しでは、神を満足させることも、神を知ることも、神の前に実際に出ることも決して出来ないことを理解している。こうした人々の心には、試されることにより神の義なる性質を知り、純粋な愛を得ると同時に、神を真に深く理解し知るために、神によって試されたいという強い願望がある。この段階の人々は、神の恵みを享受してパンを食べて満足する幼児の段階に、既に完全に別れを告げている。こうした人々は、もはや神に対して寛容さと憐れみを求めて法外な望みをかけるようなことはせず、むしろ自分達の腐敗した性質を離れ、神を満足させるために、終わることの無い刑罰と裁きを受けることを望むだけの自信を身に付けている。こうした人々の神に関する認識や追求、そして自分の最終目標の追求は、全て自分の心の中で完全に明瞭な状態にある。したがって、成人期段階の人々は、おぼろげな信仰の段階、その後の恵みにより救いを獲得する段階、試練に耐えられない未熟な段階、不明瞭な段階、手探りで進む段階、頻繁に進むべき方向を見失う段階、突然の高熱や低温が繰り返される不安定な段階、目隠しされたまま神に付き従う段階を、既に完了している。この種の人々は、神の啓示と光を頻繁に受け、神との真の関係と交わりを頻繁に行う。この段階で生活する人々は、神の心の一部を既に把握し、自分達の行動の中に、真理の原則を見出すことが可能であり、神の望みを満足させる方法を心得ている、と言えるであろう。それに加えて、既にこうした人々は神を知る道を見出し、自分が持つ神に関する認識について証をし始めている。段階的な成長過程のなかで、こうした人々は、人間を創造した神の心、人間を経営する神の心など、神の心に関する漸進的な理解と認識を身に付けて来た。さらに、こうした人々は、本質という意味での神の義なる性質に関する漸進的な理解と認識も身に付けてきた。この認識は、人間の観念や想像により代えることの出来ないものである。この段階では、ある者のいのちが完全に成熟している、またはその者を義である、完全であるとは言えないものの、こうした人々は、既にいのちの成熟段階に向けて歩み出している。こうした人々は、既に神の前に来て、神と、その言葉と向かい合うことが出来る。この種の人間は、従前に沢山の神の言葉や、多くの試練と鍛錬、裁きと刑罰を極めて多く経験しているため、この種の人間の神への服従は、相対的ではなく、絶対的である。こうした人々の神に関する認識は、無意識から明瞭かつ正確な認識へ、表面的なものから深層的なものへ、不明瞭から詳細かつ具体的なものへ、と変化している。また、困難な手探りによる前進と受動的な要求から、努力不要の認識と積極的に証をすることへと変化している。この段階の人々は、神の言葉の真理に関する真実を持ち、ペテロのような完全への道を歩み始めていると言えるであろう。これが、成熟した成人の段階、5番目の種類の人間である。

『言葉は肉において現れる』より引用

さらに表示
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
連絡先
Line経由で連絡する

コメントを残す

シェアする

キャンセル