第5節 聖霊の働きを認識し、悪霊の働きを識別することについて

471. 聖霊の働きは積極的な導きと肯定的な啓きの一種である。それは人々が受け身でいることを許さず、彼らに慰めをもたらし、信仰と決意を与え、彼らが神によって完全にされることを追求できるようにする。聖霊が働きを行なえば、人々は積極的に入ることができる。受け身でもなく、強制されることもなく、自分が主導権を握って行動するのである。聖霊が働きを行なうとき、人々は進んで従い、喜んで謙虚になる。内なる痛みや脆さがあっても、協力しようと決意し、喜んで苦しみ、従うことができる。そして人間の意志や人の考えによって汚されておらず、人間的な欲望や動機に汚されていないのは間違いない。人々が聖霊の働きを経験するとき、彼らの内面は特に聖い。聖霊の働きを有する人たちは神への愛、兄弟姉妹への愛を生きており、神を喜ばせることを喜びとし、神の嫌うことを嫌う。聖霊の働きに触れた人は正常な人間性をもち、常に真理を追い求め、人間性を自分のものにしている。聖霊が人々の中で働くとき、彼らの状態はますますよくなり、その人間性はより正常になる。そしてこうした人たちによる協力の中には愚かなものもあるかもしれないが、彼らの動機は正しいものであり、彼らの入りは肯定的で、邪魔しようと試みたりせず、彼らの中に悪意は一切存在しない。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

472. 聖霊はこの原則によって働く。人々の協調を通して、人々が積極的に祈り、探求して神に近づくことで成果が達成し、聖霊による啓発を受け、光に照らされる。聖霊が一方的に行動する、あるいは人が一方的に行動するということはない。両者の行動が必要不可欠である。人々が聖霊と協力すればするほど、そして、神の要求する基準に達することを求めれば求めるほど、聖霊の働きは大きくなる。聖霊の働きに人々の真の協力が伴ってのみ、神の言葉の本当の経験と実質的な認識が生まれる。このような経験を通して徐々に、完全にされた人が最終的に生み出される。神は超自然的なことは行わない。人は、神が全能で、全てのことが神によってなされるという観念を持っている。その結果、人々は消極的に待ち、神の言葉を読んだり、祈ったりせず、聖霊に触れられることを待っているだけである。しかし正しい理解を持っている人々は次のように信じている。「神の行いは私が協力する範囲にのみに及び、私の中における神の働きの効果は、私がどう神と協力するかにかかっている。神が語られるときには、私は神の言葉を求め、神の言葉に向かって突き進むために、あらゆる努力をすべきだ。これが私の達成すべきことだ」。

『言葉は肉において現れる』の「現実をどのように知るか」より引用

473. 聖霊の働きは正常かつ現実的であり、聖霊は人の通常生活の規則にしたがってその人の中で働きを行ない、正常な人々の実際の追求に応じて彼らを啓き、そして導く。聖霊は人の中で働きを行なうとき、正常な人々の必要に応じて彼らを導き、そして啓く。聖霊は人々の必要に応じて彼らに糧を施し、彼らに欠けているものに応じて、また彼らの欠点に応じて肯定的に導いて啓く。聖霊の働きは人々を現実の生活において啓き、導くことである。実生活の中で神の言葉を経験して初めて、人は聖霊の働きを見ることができる。日常生活において前向きな状態であり、正常な霊的生活を送っていれば、その人には聖霊の働きがある。そうした状態の中では、神の言葉を飲み食いすると信仰を得、祈ると鼓舞され、何かに突き当たっても受け身にならず、何かが起きるとその中から、神が彼らに学ぶよう求めている教訓を理解できる。彼らは受け身でもなければ弱ってもおらず、たとえ現実の困難を抱えていても、神のすべての采配に自ら従おうとする。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

474. 聖霊が働きを行なってあなたを啓くとき、それによってあなたが何かをすぐさま理解できることもあれば、聖霊があなたにしばらく経験させてから、徐々に理解させるようにすることもあります。それは、神があなたに何も経験させず、いくつかの無味乾燥な言葉を理解させるだけだ、ということではありません。聖霊はどのような原則に従って働きますか。聖霊は、あなたの環境、および人や出来事や物事を整え、あなたがそれらとともに成熟し、またそれらを経験する過程で徐々に真理を理解できるようにする、という原則によって働きます。あなたに二、三の単純な言葉を授け、霊感を与えたり、啓いたり、小さな光を施したりするのでも、単にいくつかの無味乾燥な言葉や教義を与えるのでもありません。むしろ、あらゆる事柄、様々な環境、そして様々な人や出来事や物事を経験することで、あなたが学び、徐々に成長できるようにするのです。聖霊は、あなたがこの成長過程で徐々に真理を理解するようにします。ゆえに、聖霊は極めて自然な原則によって働きを行ないます。つまり、人間の自然な成長パターンに完全に従って、何ら強制することなく働くのです。

『キリストの言葉の記録』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」より引用

475. 神は非常に多くを語っているので、あなたは神の言葉の飲み食いに最大限努めるべきであり、そうすることでいつの間にか理解できるようになり、いつの間にか聖霊があなたを啓くのである。聖霊が人を啓くとき、多くの場合人はそれに気づかない。聖霊があなたを啓き導くのは、あなたが渇き探し求めているときである。聖霊の働きの原則は、あなたが飲み食いする神の言葉を中心としている。神の言葉を一切重視せず、神の言葉に対して常に態度を変え、混乱した考えをもって、神の言葉を読むか読まないかなどどうでもいいと考えている人々は皆、現実を得ていないのである。そのような人の中には、聖霊の働きも聖霊による啓きも見ることができない。そのような人々はただ惰性で生きているのであり、ちょうど寓話の南郭氏[a]のように、真の資格を持たない偽善者なのである。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代は言葉の時代である」より引用

476. 神は、神の言葉を追い求め、それを貴ぶ者たちの中で働きを行なう。あなたが神の言葉を貴べば貴ぶほど、神の霊はますますあなたの中で働く。人が神の言葉を貴べば貴ぶほど、その人が神によって完全にされる確率も高くなる。神は、真に神を愛する者たち、心が神の前で安らいでいる者たちを完全にする。神のすべての働きを貴び、神の啓示を貴び、神の臨在を貴び、神の気遣いと加護を貴び、神の言葉が自分の現実となり、自分のいのちに糧を施すことを貴ぶのは、いずれも神の心に最もかなうことである。あなたが神の働きを貴ぶなら、つまり、神があなたに対して行なったすべての働きを貴ぶなら、神はあなたを祝福し、あなたが所有するすべてのものを何倍にも増やすだろう。あなたが神の言葉を貴ばないなら、神はあなたの中で働きを行なわず、あなたの信仰に応じてわずかな恵みを与えるか、もしくは、わずかな富であなたを、わずかな安全であなたの家族を祝福するだけだろう。あなたは、神の言葉を自分の現実とし、神を満足させ、神の心にかなうことができるよう努めるべきである。ただ神の恵みを享受するためだけに努力してはならない。信者にとって、神の働きを受けること、完全になること、そして神の旨を行なう者となること以上に重要なことはない。これがあなたの追求すべき目標である。

『言葉は肉において現れる』の「神は自身の心にかなう者を完全にする」より引用

477. 聖霊の流れの中にいる者たちは皆、聖霊の臨在と鍛錬を備えており、聖霊の流れの中にいない者たちはサタンの支配下にあり、そうした者には聖霊の働きがまったくない。聖霊の流れの中にいる人々は、神の新たな働きを受け入れ、神の新たな働きの中で協力する者である。現在において、その流れの中にいる者たちが協力できず、神に要求された通りに真理を実践できないとすれば、そうした者は鍛錬を受け、最悪の場合は聖霊に見捨てられるであろう。聖霊の新たな働きを受け入れる者は聖霊の流れの中で生き、聖霊の配慮と守りを授かるであろう。真理を実践することを望む者は、聖霊により啓かれ、真理を実践することを望まない者は、聖霊から鍛錬を受け、罰を受けることさえあるだろう。そうした者がどのような人間であれ、そうした者が聖霊の流れの中にいる限り、新たな働きを神の名において受け入れる者全てについて、神は責任を負うであろう。神の名を讃美し、神の言葉を実践することを望む者は、神の祝福を得るであろう。神に反抗し、神の言葉を実践しない者は、神の罰を受けるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人間の実践」より引用

478. 聖霊は各人において歩むべき道をもち、各人に完全にされる機会を与える。あなたは自らの消極性をとおして自らの堕落を知らしめられ、その後消極性から脱け出すことにより実践の道を見いだす。それはどれもあなたが完全にされる方法である。さらに、あなたの中にある肯定的なものの幾つかに継続的に導き照らされて、あなたは積極的に自らの役割を果たし、識見を増やして識別力を身に付ける。状態が良好な時、あなたは神の言葉を読むことや神に祈ることを殊更に望み、聞く説教を自らの状態と関連づけることができる。このような時、神は内側からあなたを啓き照らし、あなたに肯定的側面の幾つかについて理解させる。あなたはこのように肯定的側面において完全にされる。消極的な状態において、あなたは弱く消極的である。自分の心には神がいないと感じるが、神はあなたを照らし、あなたが実践の道を見いだすのを助ける。ここから出ることが、消極的側面における完全化の達成である。

『言葉は肉において現れる』の「実践に集中する者だけが完全にされることができる」より引用

479. 時として、神はあなたにある種の感覚を与える。それは、あなたが内なる喜びを失ったり、神の臨在を失ったりして、闇へと陥る原因になる感情である。それは一種の精錬である。何をしてもうまく行かなかったり、壁にぶち当たったりすることがある。これは神の鍛錬である。時として、神に従順でなく反抗的なことをしても、誰にも知られないことがある。しかし、神はそれを知っている。神はあなたを立ち去らせず、あなたを懲らしめる。聖霊の働きは極めてきめ細やかである。聖霊は人々の一つひとつの言動、一つひとつの行動と動き、人々のあらゆる思いと考えを注意深く観察し、それによって人々がこれらのことについて内面的な認識を得られるようにする。一度何かをしてうまく行かず、再びやってもまだうまく行かなければ、あなたは少しづつ聖霊の働きを理解するようになる。訓練の時を何度も経て、神の旨に適うためには何をすべきか、また、神の旨に適わないものは何であるかを知る。最終的に、自分の中から聖霊に導かれたとき、あなたは正確に反応するようになる。あなたは時として反抗的になり、内面から神によって叱責されることもあるだろう。それはどれも神の鍛錬から来るのである。

『言葉は肉において現れる』の「完全にされる者は精錬を経なければならない」より引用

480. たいていの場合、聖霊は働きを行なって人を啓くとき、その人に神の働きに関する認識、およびその人の真の入りと状態に関する認識を授ける。またその人に対し、今日における神の切実な意図と人に対する要求を理解させ、その人がすべてを犠牲にして神を満足させ、たとえ迫害や逆境に遭っても神を愛し、またたとえそれが血を流すこと、あるいは自分のいのちを捧げることを意味しても、後悔することなく神への証しに立つ決意をするようにさせる。あなたにそうした決意があれば、それはあなたに聖霊の鼓舞と働きがあることを意味する。しかしどの瞬間にもそうした鼓舞があるわけではないことを知っておきなさい。集会の際に祈り、神の言葉を飲み食いするとき、この上なく感動して鼓舞されることがある。他の人が神の言葉に関する経験や認識を交わると、それをとても新鮮だと感じ、心が完全に澄んで明るくなる。それはすべて聖霊の働きである。あなたが指導者で、教会に赴いて働きを行なうとき、聖霊があなたに並外れた啓きと照らしを与え、教会内の問題に対する洞察力を授け、真理に関する交わりをしてそれを解決する方法を知らしめ、また働きにおいてとてつもなく熱心で、責任感が強く、真剣にさせることがあれば、それはどれも聖霊の働きなのである。

『言葉は肉において現れる』の「実践(1)」より引用

481. 聖霊の働きによって成し遂げられる効果とは何か。あなたは愚かかもしれないし、識別力がないかもしれないが、聖霊が働きを行なえば、あなたの中に信仰が生まれ、どれほど神を愛しても愛しきれないといつも感じるようになる。前途にどれほど大きな困難があろうと、あなたは進んで協力するようになる。自分に何かが起こり、それが神に由来することなのか、それともサタンに由来することなのかはっきりわからないことがあっても、あなたは待つことができ、受け身にも怠惰にもならない。これが聖霊の正常な働きである。聖霊があなたの中で働きを行なう際、あなたはそれでも現実の困難にぶつかり、時には涙し、時には乗り越えられない問題が生じることもあるが、これらはすべて聖霊による普通の働きの一段階に過ぎない。たとえあなたがそうした困難を乗り越えられなくても、またその際に弱くなって不満で一杯だったとしても、後になれば絶対的な信仰をもって神を愛することができた。あなたが受け身だとしても、そのせいで正常に経験できないということはあり得ず、他の人が何と言おうと、あるいはどう攻撃しようとも、あなたは神を愛することができる。祈りの中では常に、自分はかつて神に借りがあったと感じ、そうしたことに再び出会うたび、神を満足させて肉を捨てようと決意する。この力は、聖霊の働きがあなたの中にあることを示している。それが聖霊の働きの正常な状態なのである。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

482. 神は同じ働きを繰り返しはしない。現実的でない働きは行なわない。神は人間に過分な要求をしない。また、神は人間の理知の外にある働きは行なわない。神が為す働きはみな、人間の正常な理知の範囲内で行われ、本来の人間の理知の外には及ばない。また、神の働きは人間の正常な必要に沿ったものである。もしそれが聖霊による働きであるなら、人間はずっと正常になり、その人間性はさらに正常になる。人々は堕落した自分のサタン的性質、および人間の本質についての認識を増し、また真理への渇望も更に大きくなる。これはつまり、人間のいのちがどんどん成長し、人間の堕落した性質においては、より一層の変化が可能となる。これら全てが神が人間のいのちになるということの意味である。

『言葉は肉において現れる』の「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」より引用

483. サタンに由来する働きとは何か。サタンに由来する働きの中で、人々の内なるビジョンは漠然としており、彼らは正常な人間性をもたず、彼らの行動の背後にある動機は間違っている。そして神を愛したいと願いはしても、心の中で絶えず咎められ、そうした咎めや思いが自分の中で常に干渉し、いのちの成長を制約するとともに、正常な状態で神の前に出られないようにする。つまり、人々の中にサタンの働きが存在するやいなや、その人の心は神の前で安らげないのである。そのような人は自分でもどうしたら良いかわからず、人々が集まっているのを見ると逃げたくなり、他の人が祈るときに目を閉じることができない。悪霊の働きは人と神との正常な関係を壊し、人々がそれまでもっていたビジョンや、以前のいのちの入りへの道を混乱させる。心の中で神に近くことが決してできず、妨害を引き起こし、足かせとなるようなことがいつも起こる。心は安らぎを見つけられず、神を愛する力が残らずなくなり、霊が沈んでいく。これらがサタンの働きの表われである。サタンの働きの表われは次のようなことである。堅く立って証しをすることができず、それがあなたを神の前で落ち度がある者、神への忠実さをまったくもたない者とさせる。サタンが干渉するとき、あなたは自分の中にある神への愛と忠実さを失い、神との正常な関係を奪われ、真理や自分を改善することを追い求めず、後戻りして受け身になり、自分を甘やかし、罪が広がるままにし、罪を憎まなくなる。さらに、サタンからの干渉はあなたをふしだらにし、神があなたの中で触れたものは消えてしまう。そしてあなたは、神への不満を漏らして神に反抗し、神を疑うようになる。さらに、あなたが神を捨てる危険すらある。そのすべてがサタンに由来するのである。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

484. 現在では超自然的なもので人を騙す悪霊がいる。これは、聖霊が現在行なっていない働きを通して人間を騙そうとする、悪霊による模倣に過ぎない。多くの人が奇跡を行ない、病人を癒やして悪魔を祓う。これらは悪霊の働き以外の何物でもない。現在、聖霊はもはやこのような働きをしないからであり、それ以降、聖霊の働きを模倣してきたのはすべて悪霊である。当時イスラエルで行なわれた働きはすべて超自然的な本質を有していたが、聖霊はいまやそのようなやり方では働かず、現在のそうした働きはどれもサタンによる模倣と扮装、そして妨害である。しかし、超自然的なものがすべて悪霊に由来するとは言えない。それは、神が働きを行なう時代に左右される。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(1)」より引用

485. 悪霊に取りつかれ、「私が神だ!」と声高に叫ぶ人がいる。しかし最後に、彼らは暴かれる。と言うのも、自分が表わすものについて、彼らは間違っているからである。彼らはサタンを表わし、聖霊は彼らに何の注意も払わない。どれほど高く自分を称揚しても、どれほど力強く叫んでも、あなたは依然として被造物であり、サタンに属する者である。わたしは決して、「わたしは神である、神の愛するひとり子である」と叫ばない。しかし、わたしが行なう働きは神の働きである。わたしに叫ぶ必要があるだろうか。称揚の必要はない。神は自身の働きを自ら行なうのであり、人に地位や敬称を与えてもらう必要はない。神の働きは神の身分と地位を表わすのである。バプテスマに先立ち、イエスは神自身ではなかったのか。受肉した神の肉体ではなかったのか。イエスは証しをされて初めて神のひとり子になった、などと言うことは到底できない。その働きを始めるずっと以前、イエスという名の人間がすでにいたのではないか。あなたは新しい道を生み出すことも、霊を表わすこともできない。霊の働きや、霊が語る言葉を表現することもできない。神自身の働きや霊の働きを行なうこともできない。神の知恵、不思議、計り難さ、そして人間を罰する神の性質全体を表現することは、どれもあなたの能力を超えている。ゆえに、自分は神だと主張しようとしても無駄である。あなたには名前があるだけで、実質がまったくないのである。神自身はすでに来た。しかし、誰も神を認識せず、それでいて神は働きを続け、霊を代表して働く。あなたが彼を人と呼ぼうと神と呼ぼうと、主と呼ぼうとキリストと呼ぼうと、あるいは姉妹と呼ぼうと、それは構わない。しかし、彼が行なう働きは霊の働きで、神自身の働きを表わしている。人にどのような名前で呼ばれるか、彼には関心がない。その名前が彼の働きを決定できるのか。あなたが彼を何と呼ぼうと、神に関する限り、彼は神の霊の受肉した肉体である。彼は霊を表わし、霊によって承認されている。あなたが新しい時代への道を切り開けないなら、あるいは古い時代を終わらせたり、新しい時代の到来を告げたり、新しい働きをしたりすることができないのであれば、あなたが神と呼ばれることはできない。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(1)」より引用

486. 中には聖霊が常に自分の中で働いていると言う者もいるが、それは不可能だ。聖霊が常に自分と共にあると言うのなら、それは現実的だろう。自分の考えや理知は常に正常だと言うのなら、それもまた現実的であり、聖霊がその者と共にあることを示すことになる。だが聖霊は常に自分の中で働きを行っており、どの瞬間にも自分は神により啓かれ、聖霊に触れられ、常に新たな認識を得ていると言うのなら、それはまったく正常ではない。それは極めて超自然的なことである。そうした人々は、疑いの余地もなく悪霊である! 神の霊が受肉した時でさえ、時には休息し、食事もする必要があったのだから、人間については言うまでもない。悪霊に取り憑かれた者は、肉の弱さがないように見える。そうした者はあらゆる物事を断念し捨て去ることが可能で、感情を持たず、苦悩に耐えることができ、肉体を超越しているかのようにまったく疲労を感じない。これは極めて超自然的なことではないか。悪霊の働きは超自然的であり、人間にはそのようなことはできない。判断力のない人々は、そうした者を見ると羨ましがり、彼らの神への信仰は極めて強く優れていて、彼らにはかけらほどの弱点も見えないと言う。実のところ、それはすべて悪霊の働きの表れなのだ。なぜなら正常な人間には必然的に人間の弱さというものがあり、それが聖霊の臨在を得ている者の正常な状態だからだ。

『言葉は肉において現れる』の「実践(4)」より引用

487. 神についていくらかの認識をもつとき、人間は神のために喜んで苦しみ、自分のいのちを神に捧げます。しかし、サタンはそれでも人間の中にある弱さを支配しており、人間を苦しませることができます。悪霊は今なお人々の中で働き、彼らに干渉したり、精神的な混乱状態に追い込んだり、気を狂わせたり、不安を感じさせたり、あらゆる点で当惑させたりします。人間の中には、依然としてサタンによって支配され操作され得る、精神または魂にかかわる物事があります。病気になって悩み、自殺することもあり得たり、時々、世界は荒れ果てているとか、人生には何の意味もないとか感じることもあったりするのはこれが理由です。言い換えると、こうした人間の苦しみはいまだサタンの支配下にあり、それが人間の致命的な弱さの一つを成しているのです。サタンは今でも自分が堕落させ、踏みにじったこれらの物事を利用することができます。それらは、サタンが人類に対して利用できる武器なのです。……悪霊はあらゆる機会にしがみついて働きを行ないます。悪霊は内側からあなたに語りかけたり、あなたの耳元にささやいたり、あるいはあなたの考えや精神をかき乱したりすることができるのです。さらには、聖霊がもたらす感動を抑えつけ、あなたがそれを感じられないようにするさえできます。その後、悪霊はあなたの考えや頭を混乱させ、不安かつ錯乱した状態に陥れることで、あなたへの干渉を始めます。これが、悪霊が人に対して行なう働きです。それを識別できない限り、その人は大きな危険に陥ります。

『キリストの言葉の記録』の「神が世俗の苦しみを味わうことの意義」より引用

488. 聖霊の働きは積極的な進歩だが、一方でサタンの働きは後退、消極、反逆、神への反抗、神に対する信仰の喪失、そして賛美歌を歌うことさえ望まず、本分を尽くせなくなるほど弱ることである。聖霊の啓きから生じるものはどれも極めて自然であり、あなたに強制されるものではない。それに従えば安息を得るし、従わなければ後に非難される。聖霊の啓きがあれば、あなたが行なう一切のことは干渉や拘束を受けず、あなたは自由にされ、行動における実践の道があり、何の制約も受けることなく、神の旨にそって行動できるようになる。サタンの働きは多くの事柄においてあなたに干渉し、あなたが祈りたくないようにさせ、神の言葉を飲み食いできないほど怠惰にさせるとともに、教会生活を送る気をなくさせ、あなたを霊的生活から引き離す。聖霊の働きはあなたの日常生活に干渉せず、正常な霊的生活にも干渉しない。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

489. 神から来るものはあなたに一層明瞭なビジョンを与え、ますます神に近づかせてくれる。あなたは兄弟姉妹と心からの愛を分かち合い、神の重荷に配慮できるようになり、決して弱まることのない神を愛する心を持つようになる。目の前には歩むべき道がある。サタンから来るものは、あなたのビジョンを消え去らせ、それまで持っていたものもすべて失わせる。あなたは神から離れ、兄弟姉妹に対する愛も失せ、憎しみの心を持つようになる。絶望して、もはや教会生活を望まなくなり、神を愛する心も失せる。それがサタンの働きであり、同時に邪悪な霊の働きがもたらす結末なのだ。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十二章」より引用

490. 人々の実際の行ないにおいては、多くのことが人間の意志から生じるが、人々は決まってそれが聖霊に由来すると信じている。悪霊に由来する物事があっても、人々はやはりそれが聖霊から来たものだと考える。時に聖霊は人々を内側から導くが、人々はそういった導きがサタンに由来するものだと恐れ、実はその導きが聖霊の啓きであるにもかかわらず、あえて従おうとしない。よって、識別をしない限り、実際の経験においてそれを経験することはできない。そして識別しなければ、いのちを得ることはできない。聖霊はどのようにして働きを行なうのか。悪霊はどのようにして働きを行なうのか。人の意志に由来するものは何か。聖霊の導きと啓きから生まれるものは何か。聖霊が人の中で行なう働きのパターンを把握すれば、あなたは日々の生活の中で、そして実際の経験のさなかに知識を育み、識別することができるようになる。あなたは神を知るようになり、サタンを理解して識別できるようになり、服従したり追求したりする際に混乱せず、思考がはっきりとした、聖霊の働きに従う者となるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

491. 日常生活で自分に何かが起きる際、それが聖霊の働きに由来するものなのか、サタンの働きに由来するものなのか、どのように識別すべきだろうか。状態が正常であれば、その人の霊的生活と肉における生活は正常であり、理知も正常で秩序がある。このような状態にあるとき、彼らが経験し、自分の中で知るようになる物事は、一般的には、聖霊に触れられたことに由来するものだと言える(神の言葉を飲み食いする際に洞察力があったり、多少の単純な認識を有していたりすること、あるいは何らかの物事において忠実であること、そして神を愛する力があることは、いずれも聖霊に由来するものである)。聖霊が人の中で行なう働きは特に正常である。人はそれを感じられないし、実際には聖霊の働きであるにもかかわらず、人自身から生じたもののように思われる。日常生活において、聖霊はすべての人の中で大小いずれの働きも行なうが、異なっているのはその働きの程度だけである。中には優れた素質をもつ人がおり、そのような人は物事を素早く理解し、聖霊による啓きは彼らの中で特に大きい。その一方で素質に乏しい人もおり、物事を理解するのにより時間がかかるものの、聖霊は彼らの内側にも触れ、彼らもまた神への忠実を遂げることができる。聖霊は神を追い求めるすべての人の中で働きを行なうのである。日常生活において人々が神に反対したり、反抗したりすることがなく、神の経営に反することを行なわず、神の働きに干渉しなければ、神の霊が一人ひとりの中で大なり小なり働きを行なう。神の霊は彼らに触れ、彼らを啓き、信仰と力を与え、彼らを感動させて積極的に入るようにし、怠惰になったり肉の楽しみをむさぼったりしないようにする。そして彼らが進んで真理を実践し、神の言葉を切望するようにさせる。そのすべてが聖霊に由来する働きである。

状態が正常でないとき、その人は聖霊に見捨てられ、心の中に不満を抱きがちで、動機は間違っており、怠惰で、肉の欲にふけり、心は真理に敵対する。そのすべてがサタンに由来している。状態が正常でなく、内面が闇で覆われ、正常な理知を失い、聖霊に見捨てられ、自分の中に神を感じられないとき、それはその人の中でサタンが働きを行なっているときである。一般的に言えば、内面に絶えず力があり、常に神を愛するなら、何かが起きたとき、その出来事は聖霊に由来しており、またその人が誰に会おうと、その出会いは神の采配の結果である。つまり、あなたが正常な状態にあるとき、また聖霊の偉大な働きの中にいるとき、サタンがあなたを揺るがすことは不可能なのである。それを基に、すべてのものは聖霊に由来しており、たとえ誤った考えをもっていても、あなたはそれを捨てることができ、それに従うことはないと言える。これはすべて聖霊の働きに由来している。どのような状況においてサタンは干渉するのか。あなたの状態が正常でなく、神に触れられておらず、自分に神の働きがなく、内面が乾いて荒れ果て、神に祈っても何も掴めず、神の言葉を飲み食いしても啓きや照らしを得られないとき、サタンがあなたの中で働きを行なうのは簡単である。言い換えれば、あなたが聖霊に見捨てられて神を感じられないとき、サタンの試みに由来する物事が数多く起きるのである。聖霊が働きを行なう間、サタンもずっと働いている。聖霊が人の内側に触れると同時に、サタンは人に干渉する。しかし、聖霊の働きが主導権を握り、正常な状態の人々は勝利することができる。これはサタンの働きに対する聖霊の働きの勝利である。聖霊が働きを行なう間、人々の中には依然として堕落した性質が存在する。しかし聖霊による働きのさなか、人々が自分の反抗心、動機、不純を見つけて認識するのは簡単である。そのとき初めて、人々は後悔を感じてますます悔い改めようと思う。このようにして、彼らの反抗的で堕落した性質は、神の働きの中で徐々に一掃される。聖霊の働きは特に普通のものであり、聖霊が人々の中で働きを行なっているときも、彼らは依然として問題を抱え、涙を流し、苦しみ、弱り、はっきり理解できないことが数多くあるのだが、それでもこの状態にあるとき、彼らは自分が後退するのを押しとどめ、神を愛することができる。そして涙を流したり、苦悩に苛まれたりしてもなお、神を賛美することができる。聖霊の働きは特に普通であり、超自然的なことは一切ない。大半の人は、聖霊が働きを始めるやいなや、人の状態に変化が生じ、その人の本質的なものが取り除かれると信じている。そうした考え方は誤りである。聖霊が人の中で働きを行なうとき、人に関する受動的な物事が依然として存在し、その人の霊的背丈は変わっていないのだが、聖霊の照らしと啓きを得るので、その人はより前向きになり、内なる状態は正常で、その人は急速に変化する。人は現実の経験の中で、おもに聖霊かサタンいずれかの働きを経験する。そしてこの二つの状態を把握できず、その違いを識別できないなら、現実の経験へと入ることなど問題外であり、性質の変化が不可能なのは言うまでもない。よって、神の働きを経験する上で鍵となるのは、そうした物事を見抜けるようになることであり、そのようにして、それを実際に経験することが容易になる。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

492. 聖霊の働きとは何か、サタンの働きとは何かを知ることで、あなたはこれらを、何かを経験している際の自分自身の状態と、また自分の経験と比べることができる。そのようにして、あなたの経験の中で、原則に関する真理がより多く生じる。原則に関するこれらの真理を理解したなら、あなたは自分の実際の状態を支配し、人々や出来事を識別することができ、聖霊の働きを獲得するためにそれほど大きな努力をしなくてもよくなる。もちろんそれは、あなたの動機が正しいかどうか、あなたに求めて実践する気があるかどうか次第である。このような言葉、すなわち原則に関わる言葉が、あなたの経験の中になければならない。それがなければ、あなたの経験はサタンの干渉と愚かな認識で満ちている。聖霊がどのように働きを行なうのか理解していなければ、どのように入るべきかも理解できないし、サタンがどのように働きを行なうのか理解していなければ、自分の一歩一歩にどう注意すれば良いのかも理解できない。聖霊はどのように働きを行なうのか、サタンはどのように働きを行なうのかについて、人々はその両方を理解すべきである。いずれも人々の経験において不可欠な部分なのだから。

『言葉は肉において現れる』の「聖霊の働きとサタンの働き」より引用

脚注

a. 原文に「寓話の」の語句は含まれていない。

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