30. 悪霊の働きを内部にもつ人々や悪霊に取り付かれている人々をなぜ神は救わないのか。

関連する神の言葉

以前、しばらくの間(生まれて以来)悪霊に憑かれていた者はみな、今露わにされる。わたしはあなたを放り出す。あなたはわたしが言ったことをまだ覚えているか。わたし──聖なる汚れなき神──は、汚く穢れた神殿には住まない。悪霊に憑かれた者たちは自分で知っているので、わたしがはっきり説明する必要はない。わたしはあなたを予め定めなかった。あなたは古いサタンであるが、あなたはわたしの国に侵入しようとするのだ。絶対だめだ。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第八十一章」より

わたしは長い間、悪霊どもの様々な行いをはっきりと見てきた。そして、悪霊どもに用いられる人々(誤った意図を持つ者、肉や富を渇望する者、自分を高める者、教会を混乱させる者など)もわたしはそれぞれ見透かしてきた。悪霊たちが追い出されたら、すべてが良くなると思ってはならない。わたしはあなたに告げる。これから後、わたしはそれらの人々を一人ひとり処分し、二度と用いない。つまり、悪霊によって堕落させられた人は誰であれ、わたしによって用いられることはなく、追い出されると言うことである。わたしに感情がないと思ってはならない。このことを知りなさい。わたしは聖なる神であり、わたしは汚れた神殿には住まない。わたしは、わたしに完全に忠実で、わたしの重荷に配慮することができる、正直かつ賢明な人々だけを用いる。なぜなら、そのような人々はわたしによって予め定められているからだ。悪霊はそれらの人々の上には絶対に働いていない。一つのことを明確にしておこう。今から後、聖霊の働きのない者はすべて、悪霊の働きを持つ。あらためて言う。わたしは悪霊が働きかけているような者は一人も望まない。彼らは皆彼らの肉と一緒にハデスに投げ込まれなければならない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十六章」より

人々はしばしば地獄やハデスのことを口にする。しかし、これらの二つの言葉は何を意味しているのか。また、二つの違いは何であるのか。本当にそれらはどこかにある冷たくて暗い片隅を意味しているのか。人間の心は常にわたしの経営を妨害し、自分の気ままな考えがかなり良いと思っている。しかし、それらはすべて人間独自の想像である。ハデスと地獄の両方は、以前サタンや悪霊が住んでいた汚れた宮を指している。すなわち、以前サタンや悪霊によって占領された者は誰でも、彼ら自身がハデスであり、地獄なのである──これに間違いはない。だからわたしは、過去に繰り返し、汚れた宮には住まないと強調したのである。わたし(神自身)がハデスや地獄に住めるだろうか。それは理不尽な戯言ではないか。わたしはこのことを何度も言ったが、あなた方はまだわたしの言う意味を理解していない。地獄に比べると、ハデスはサタンによってもっとひどく堕落している。ハデスに行く者たちは最も深刻な例であり、わたしはただこれらの人々を予め定めなかった。地獄に行く者たちは、わたしが予め定めた人々だが、彼らは取り除かれた。簡単に言えば、わたしはこれらの人々のひとりさえ選ばなかったのだ。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第九十章」より

説教と交わりの参考箇所

悪魔に取り憑かれた人は悪魔的な本性を生きますが、その悪魔的な本性はその人に巣くう悪霊から生じます。悪霊の本性は、悪魔に取り憑かれた人の内なる本性になります。人に特有の本性はその人の内にある特有の霊に左右され、その本性の特徴はその人の堕落した性質の特徴を決定します。これは絶対に真実です。神様に予め定められ、選ばれた人はみな人間の霊の持ち主です。人間の霊を持たない人は、その内側にありとあらゆる悪霊が巣くっています。ゆえに、そのような人は汚れた悪魔と悪霊に属するのであり、神様の救いの対象ではありません。神様の救いの対象は人間の霊を持つ人です。そうした人はサタンによって堕落させられ、神様に抵抗する本性を育んできたものの、完全に清められて救われることができます。それは、その人の中に人間の霊があり、生来の人間的な特性と本質に良い面があるからです。人間の霊を持たない人は人間の皮を被った獣、悪魔、怪物であり、ゆえに神様はそのような人をお救いになりません。それは彼らが人類に属していないからです。神様がお話しになる人類に彼らは含まれていません。

兄弟の交わりより

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