日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 253

神がなすことはすべて実践的で、空虚なものはなく、そのすべてを自ら経験する。神は人類の終着点と引き換えに、苦痛を体験するという代価を払う。これは実践的な働きではないか。親が子のために真剣な代償を払うのは誠実さを表す。受肉した神は当然、そうすることで人類に最も誠実で信実である。神の本質は信実。神は言うことをなし、なすことは必ず成る。神が人のためになすことはすべて誠実。ただ語るだけではない。代価を払うと言うときは本当に代価を払う。人の苦しみを負い、代わりに苦しむと言うとき、本当に人の間で暮らし、身をもってこの苦しみを味わい、体験する。こうして、神がなすことはすべて正しく、義であると宇宙の万物が認める。神がなすことはすべて現実だと。これは力強い証拠と言える。加えて、人類はいずれ美しい終着点をもち、留まる者はみな神を讃える。神の業はまさに人への愛ゆえだと賛美するだろう。神は普通の人として、謙虚に人のもとへ来る。単に多少の働きを行ない、いくばくかの言葉を語り、そして立ち去るというのでなく、本当に人のもとへ来て世の苦痛を経験するのである。この苦痛を経験して初めて、神は立ち去る。神の働きはかくも現実的、実践的であって、留まる者はみなそれゆえに神を讃え、人に対する神の誠実さと親切さを目にするのである。美と善という神の本質は神の受肉の意義の中に見ることができる。神のなすことはすべて誠実であり、言うことはすべて真剣で信実である。神は自身が意図する一切のことを実際に行ない、代価を払うときは実際に払う。ただ語るだけではない。神は義なる神。信実な神である。

『終わりの日のキリスト講話集』「受肉の意義に関する第二の側面」(『言葉』第3巻)より

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 38

当時、イエスの働きは全人類を贖う働きだった。イエスを信じるすべての人の罪は赦され、あなたがイエスを信じる限り、イエスはあなたを贖っただろう。イエスを信じるなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということ、信仰によって義とされるということである。しかし、…

日々の神の御言葉: 宗教的観念を暴く | 抜粋 296

イエスの受肉という真実が明るみにでて初めて人は、天の父がいるだけではなく、子とさらには霊がいるということに気づいた。これが、天には父と子と聖霊のすべてを一つにした三位一体の神がいるという、人の抱いている従来の観念である。すべての人間が次のような観念を持っている。神は一人だが、三つ…

日々の神の御言葉: 終わりの日における裁き | 抜粋 81

どの時代においても、神は自身の働きを繰り返さない。終わりの日が到来したので、神は終わりの日に行なう働きを行ない、終わりの日における自身の性質を余すところなく現わす。終わりの日と言うとき、それは別の時代を指しており、その際イエスは、あなたがたは必ずや災害に見舞われ、地震、飢饉…

日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 9

人の間で行う神の働きは人に隠されておらず、神を崇拝するすべての人に認識されるべきである。神は、人の間で人を救う三つの段階の働きを行ったのだから、人は、これらの三つの段階の働きの中で表現されている神が持つもの、また神であるものを認識すべきである。これは人がすべきことである。神…