日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 223
世界においては、地震が災いの始まりとなる。まず最初に、わたしはこの世界、つまり地を変え、次に疫病と飢餓が続く。これがわたしの計画であり、これらがわたしの段階であり、わたしはあらゆるものを動員してわたしに仕えさせ、わたしの経営計画を全うする。こうして、わたしが直接関与することもな…
広大な宇宙に、どれほどの生ける物が、一つの普遍的な規則にしたがって生き、いのちの法則にしたがって、何度も何度も再生しているのか。死ぬ者は生きる者の物語を抱えて行き、生きている者は死んだ者と同じ悲惨な歴史を繰り返す。そこで、人は自問せずにはいられない─なぜわたしたちは生きているのか。そして、なぜわたしたちは死ななければいけないのか。誰がこの世界を支配しているのか。そして、誰が人間を創ったのか。人間はほんとうに母なる自然の生み出したものなのか。人間はほんとうに自分の運命を支配しているのだろうか。…数千年にわたり、人間はこうした問を何度も何度も発している。残念ながら、人間がこうした問に頭を悩ませるようになると、ますます科学を探究したくなる。科学はささやかな欲求充足と一時的な肉の楽しみを与えはするが、人間をかろうじて隠している、魂の奥底にある孤独や寂しさ、恐怖と無力感から解放することなど到底できない。人間は単に肉眼で見、脳で理解できる科学知識を用いて心を麻痺させている。しかし、そうした科学的知識は人間が奥義を探ることを止めはしない。人間は、宇宙万物の支配者が誰であるかを知らないし、まして、人間の始まりも未来も知らない。人間はこの法の中で、ただ生きている、否応なしに。誰一人、逃れることができないし、誰もこれを変えることはできない。あらゆる物事の間と天において、永遠から永遠にすべてを支配しているのは、ただお一方だけなのだから。彼は、かつて人間が見たことがないお方、人間が一度も知ることもないお方、その存在を人間は信じたこともない。しかし、彼は人間の祖先に息を吹き込み、人間にいのちを与えたお方である。彼は人間が存在するよう施し、養い、今日まで導いて来たお方である。さらに、人間が生き残るために頼める唯一のお方なのである。神は万物を支配し、天の下のすべての生ける物を支配している。神は四季を支配し、風と霜、雪、雨を呼ぶ。神は人間に陽光を与え、夜の訪れをもたらす。天と地とを整え、人間に山々と湖、川、すべての生き物を与えたのは神である。神の業はあらゆるところにあり、その力はいたるところにあり、その知恵はすべてに満ち、その権威はすべてに及ぶ。その律法や法則は神の業を示すものであり、そのすべては神の知恵と権威とを現している。誰が神の支配を免れよう。また、誰が神の配剤から逃れることができようか。万物は神の眼差しの下にあり、さらに、神の支配の下で生きている。神の業と力の前には、神がほんとうに存在し、万物を支配していると認めざるを得ない。神を除いては、他の何も宇宙を支配できず、まして、やむことなく人間に施すこともできない。神の業を認識できるかどうか、神の実在を信じているかどうかにかかわらず、あなたの運命は神の定めるところであって、神が常にあらゆるものの支配権を持っていることに疑いはない。神の存在と権威とは、人間が認め理解できるかどうかによって左右されるものではない。神だけが人間の過去・現在・未来を知り、神だけが人間の運命を定めることができる。この事実を受け入れられるかどうかに関りなく、人間は近い将来、すべてをその目で見ることになる。そして、これは神が間もなく実現することだ。人間は神の目の下で生き、死ぬ。人間は神の経営のために生きているのであり、その目がついに閉じる時もまた、神の経営のためなのである。人間は何度も何度も来ては去る。例外なく、すべては神が支配し、定めていることである。神の経営は常に進み続け、やむことがない。神は人間に自身の存在を知らせ、人間が神の支配を信頼して神の業を見、神の国に戻るようにする。これが神の計画であり、何千年にもわたって行われていることなのだ。
『神の出現と働き』「附録3:神の経営の中でのみ人は救われる」(『言葉』第1巻)より
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世界においては、地震が災いの始まりとなる。まず最初に、わたしはこの世界、つまり地を変え、次に疫病と飢餓が続く。これがわたしの計画であり、これらがわたしの段階であり、わたしはあらゆるものを動員してわたしに仕えさせ、わたしの経営計画を全うする。こうして、わたしが直接関与することもな…
終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日にキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエ…
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