日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 354
もともと、わたしはあなたがたにもっと真理を与えたいと望んだが、真理に対するあなたがたの態度があまりにも冷たく無関心なので、わたしはあきらめざるを得ない。自分の努力が無駄になることは望まないし、人々がわたしの言葉をもちながら、あらゆる点でわたしに逆らい、わたしを中傷し、わたしを冒涜…
神はその働きを人間の創造の時からずっと行ってきている。最初、その業はとてもシンプルだった。だがシンプルであったにしても、神の本質や性質はその業に内包されている。今になって、神の仕事が高まり、神は自分に付き従う者に対して膨大な量の具体的な働きを行い、大量の言葉を語った。しかし始めのときから今まで、神の本当の姿というものは人間から隠されてきたのである。神は二度、受肉したが、聖書の記述から現代まで、神の真の姿を見たという人はいるだろうか。あなたがたの理解する範囲で、神の真の姿を見たことがある人がいるだろうか。いない。神の本当の姿を見たことがある人はいないということは、だれも真の神自身を見たことがないということだ。この点では誰もが同意するだろう。そこからいえるのは、神の真の姿あるいは神の霊というものは、神が創造したアダムとエバや、神が受け入れた義人ヨブも含めたすべての人に隠されたものであるということである。彼らですら、神の真の姿を見てはいない。しかしなぜ神は意識的に神の姿を隠しているのだろうか。ある人たちは「神は人々を怖がらせたくないのだ」と言う。またある人たちは「神がその真の姿を隠しているのは、人間は小さすぎて、神は大きすぎるからだ。人間には神を見ることは許されていない。見ることがあれば、人は死んでしまう」と言う。「神は御業を行うのに忙しすぎて、人々の前に現れる時間がないのかもしれない」と言う人たちもいる。あなたがたがどのように信じようが、わたしはここにひとつの結論を提示する。その結論とは何か。それは、神は人々にその姿を見てもらいたいとは思っていない、ということである。人が神を見ることができないのは、見ることができないように神が故意にしているからである。別の言い方をすれば、人が神の真の姿を見ることができないのは、神の意図によるところなのである。これではっきりしたと思う。神がその本当の姿を誰にも見せたことがないとしても、あなたがたは神の本当の姿が存在すると思うか。(存在する。)もちろん神の本当の姿は存在する。神の本当の姿が存在するということに関しては議論の余地はない。では神の本当の姿がどれだけ大きなものか、あるいはどのような姿なのか、ということは人間が調査すべき問題か。否。そうではない。もし神の本当の姿に関することがわたしたちの探究するテーマではないとすれば、わたしたちが学ぶべき話題は何なのだろうか。(神の性質)。(神の業)。では正式なテーマとして交流する前に、今話したことをもう一度おさらいしよう。神はなぜ本当の姿を人に現したことがないのか。なぜ神はあえて自身の姿を人間から隠しているのか。その理由はただひとつ。即ち、創造された人類は何千年ものあいだ、神の働きを経験してきたが、誰一人として神の働き、神の性質、神の本質を知った者はいない。そのような人間は神の眼中で神に敵対する存在であり、自分に敵対する者たちに神は姿を現すことはない。これが、神がその姿を人間に現さず、また意図的に人間に対し姿を隠している唯一の理由である。ここまで話してきたことで、神の性質を知ることの重要性がはっきりしただろうか。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 1」(『言葉』第2巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
もともと、わたしはあなたがたにもっと真理を与えたいと望んだが、真理に対するあなたがたの態度があまりにも冷たく無関心なので、わたしはあきらめざるを得ない。自分の努力が無駄になることは望まないし、人々がわたしの言葉をもちながら、あらゆる点でわたしに逆らい、わたしを中傷し、わたしを冒涜…
どのような中でも神を褒めたたえることにより、ヨブの神への畏れと悪を避ける姿勢が再び明示される サタンによる破壊を経験したヨブは、それでもヤーウェ神の名を捨てなかった。サタンの代わりにヨブを最初に攻撃したのは彼の妻であった。聖句には次のようにある。「時にその妻は彼に言った、『あな…
この一団に神が行おうとしている働きが何かを見ただろうか。千年神の国にあってもなお、人々は神の言葉に従い続けなければならず、将来も神の言葉はカナンの良き地で人々の生活を直接導くであろうと神は言った。モーセが荒野にいたとき、神は直接彼に指示を与え、語った。神は天から人々に食べ物と水と…
今日、気づいているべきことは、どのように征服されるのか、征服された後、人はどのように振る舞うのかである。あなたは自分はすでに征服されていると言うかもしれないが、死に至るまで服従できるのか。自分の前途があるかどうかにかかわらず、最後まで従うことができなければならない。また、まわりの…