日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 303
人が神を得ることができないのは、神が感情を持っているからでも、神が人に得られるのを好まないからでもなく、人が神を得たくないからであり、人が緊急に神を探し求めていないからである。本当に神を探し求める人がどうして神に呪われるだろうか。健全な理知と繊細な良心を持つ人がどうして神に…
肉となった神は永遠に人に留まることはできないが、それは神にはすべきことが他にもたくさん存在するからである。神が肉に縛られることはない。神は自身がなすべき働きを肉のイメージで行うが、肉を捨ててそれをしなければならない。神は、この世に来る時、普通の人が死んで地上を離れるまでに達すべき状態まで待つことはしない。彼の肉体年齢に関係なく、自らの働きが完遂するとき、神は人を離れて行く。神には年齢というようなものはなく、人の寿命に基づいて自らの年齢を数えることはない。その代わり神は、自らの働きの段階に従って、肉での生涯を終える。肉となった神は、ある段階に発達し、大人になり、老年に達し、肉体が機能しなくなる場合にのみ去るはずだ、と思っている人がいるかもしれない。それは人の想像であり、神はそのようには働きを行わない。神は自身がすべき働きを行うためだけに肉となるのであり、両親のもとに生まれ、成長し、家族を形成し、就職し、子どもを持ったり、または人生の浮き沈みを経験したりといった、普通の人生のさまざまなことを経験することがその目的ではない。神が地上に来るということは神の霊が肉となることであり、肉に入るということであるが、神が普通の人間の生活をする訳ではない。神は自身の経営(救いの)計画の一部を遂行するのためだけに来る。その後、神は人間から去る。神が肉に入るとき、神の霊は肉における普通の人間性を全うすることはない。むしろ、神があらかじめ決めた時に、その神性は直接に働きを行う。それから、神が行う必要のあるすべての事柄を行い、自らの職分を完遂した後、その段階における神の霊の働きは完了し、神の肉がその寿命を全うしたか否かにかかわらず、肉となった神の人生が終わる。つまり、その肉が人生のいかなる段階に到達していようと、それがこの世で生きた期間がどれだけであろうと、すべては霊の働きによるのである。それは人が普通の人間性と見なすものとは関係がない。イエスを例にとってみる。イエスは肉となって33年と半年を過ごした。人間の体の寿命から言えば、その年齢で死に、去るべきではなかった。けれども神の霊にとってそれは問題ではなかった。神の働きが終わったとき、その体は取り去られ、霊とともに消えた。これが、神が肉で働きを行う原則である。そのため、厳密にいえば、肉となった神には普通の人間性がない。もう一度言うが、神がこの世に来るのは普通の人間の生活をするためではない。神は、初めに普通の人間生活を作り上げてから働きを始めるのではない。むしろ神は、普通の人間の家族に生まれる限り、神性の働きを行うことができる。神には人の考えが少しもない。神は肉的でなく、社会の流儀を適用したり、人の思考や観念に関わったりすることはなく、ましてや人生哲学とは関わらないのである。これが肉となった神が望む働きであり、神の受肉の実際的な意味である。神が肉に入るのは、主に、肉で行われる必要がある段階の働きを行うためである。神は他の取るに足りないプロセスを踏まず、普通の人の経験をすることもない。肉となった神が行う必要のある働きは、普通の人間の経験を含まない。それだから、神が肉に入る目的は、神が肉で達成する必要がある働きを達成することのみである。他の事柄は神とは関係がない。神はそのような取るに足りないプロセスを経験することはない。自身の働きが完了すれば、神の受肉の意味は終わる。この段階を完了することは、神が肉で行うことが必要な働きが終わり、神の肉の職分が完成したことを意味する。ただ、神はいつまでも肉で働きを続けることはできない。神は働きを行うべき他の場所へ向けて、その肉の外に出てゆかねばならない。そのようにしてのみ、神は自らの働きを完遂し、さらにその働きを拡大することができる。神は自身の計画に従って働きを行う。神は、自らが行う必要のある事柄と、自らが完遂した事柄をよく知っている。神は自身があらかじめ定義した道に沿って全ての人を導く。誰もそれを逃れることはできない。神の霊の導きに従う者だけが、安息を得られるだろう。後の働きにおいては、神が肉において語ることで人を導くのではなく、触れることのできる霊が人の生活を導くかもしれない。そのとき初めて人は実際に神に触れ、神を見、神が求める現実に入り、実際の神によって完全なものとされるだろう。これが神が成し遂げたい働きであり、神が長きに渡り計画してきたことである。そこからあなたがたはみな、進むべき道を知るべきである。
『神の出現と働き』「受肉した神と神に使われる人との本質的な違い」(『言葉』第1巻)より
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