日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 21
最初、旧約聖書の律法の時代に人間を導くのは、子どもの生活を導くようなものだった。原初の人類はヤーウェから生まれたばかりで、彼らこそイスラエル人だった。彼らはいかに神を崇めるべきかも、いかに地上で生きるべきかも分からなかった。言うなれば、ヤーウェは人類を創造したが、つまりアダムとエ…
神は、それぞれの時代において自身の言葉を語り、自身の働きをする。そして異なる時代において、神は異なる言葉を話す。神は規則に従わず、同じ働きを繰り返さず、また過去の事柄に対し懐旧の念を抱かない。神は常に新しく、古さとは無縁であり、そして毎日、神は新しい言葉を話す。あなたは、今日従うべきことに従うべきである。これが、人の責任であり本分である。神の現在の光と言葉を軸として実践することが不可欠である。神は規則に従わず、そして自身の知恵や全能性を明らかにするために多くの異なる視点から話すことができる。神が霊の視点から話すか、人の視点から話すか、あるいは第三者の視点から話すかは問題ではない。神は常に神であり、神が人の視点から話すことを理由に、神が神ではないと言うことはできない。神が様々な側面から話す結果、一部の人たちの間である観念が生まれてしまった。そのような人々は神について何の認識ももっておらず、神の働きについても何の認識もない。神がいつも一つの視点から話せば、人は神に関して規則を定めたりしないだろうか。神は、人がそのように振舞うことを許すことができるだろうか。神がどの視点から話すにせよ、神はそれぞれの視点に対して自身の目的を持っている。もし、神がいつも、霊の視点から話すようなことがあったなら、あなたは神と関わりをもつことができるだろうか。したがって、神は自身の言葉をあなたに与え、そしてあなたを現実性へと導くために、第三者の立場で語る。神が行う万事が適切である。要するに、すべては神によってなされているのであり、あなたはこのことについて疑いを抱くべきではない。神が神であるのなら、どの視点から話しても、神は依然として神である。これは、不変の真理である。どのような形で神が働きをしたとしても、神は依然として神であり、神の本質は変わることがない。ペテロは深く神を愛し、神自身の心に叶う人であったが、神はペテロを主あるいはキリストとして証しすることはなかった。なぜなら、あるものの本質とは、今そこにあるそれ自体以上のものでも以下のものでもなく、決して変わることはできないからである。自身の働きにおいて、神は規則に従うのでなく、自身の働きを効果的にし、人が自身についての認識を深められるように、種々の方法を用いる。神が働きをする方法のすべてが、人が神を知るのを助け、そして人を完全にするという目的を持っている。神がどのような働きの方法を用いても、それぞれが、人を作り上げ人を完全にするという目的を持っている。神が働きをする方法のうちの一つが非常に長い時間続いたかもしれないが、それは、神への人の信仰を固めさせるためである。したがって、あなたがたは疑いをもつべきではない。これらはすべて神の働きの段階であり、あなたがたはそれらに従わなければならない。
『神の出現と働き』「すべては神の言葉が達成する」(『言葉』第1巻)より
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以前の時代に比べると、神の国の時代における神の働きはより実践的であり、ますます人間の実質や人間の性質の変化に向けられており、神に従う全員のために、より一層神自身を証しすることができる。言い換えれば、神の国の時代において、神は働きを行なう際、過去のいかなる時点にも増して自身に関する…
受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知…
マクロ的観点とミクロ的観点から神の権威を理解すること 神の権威は、唯一無二である。神の権威は、神自身の身分の性質の表出であり、特定の本質である。創造物やそれ以外の物事のうち、そうした性質の表出と特別な本質があるものは存在しない。その種の権威があるのは、創造主のみである。すなわち、…