日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 382

人が良い振る舞いをできても、それは必ずしもその人に真理があるということではありません。熱意があっても、教義を遵守し、規則に従うことしかできないのです。真理のない人は実質的な問題を解決することが一切できず、教義が真理に取って代わることもできません。性質の変化を経た人は違います。そのような人は真理を理解しており、あらゆる事柄を識別でき、神の旨に沿うにはどう行動するべきか、真理原則に沿うにはどう行動するべきか、神を満足させるにはどう行動するべきかを知っており、自身が示す堕落の性質を理解しています。そのような人は自分の考えや観念が露わになると、識別力を働かせて肉を捨て去ることができます。性質の変化はこのように現れます。性質の変化を経た人に関する主要な事柄は、その人が明確に真理を理解するようになっており、物事を実行するときにはある程度正確に真理を実践し、堕落をさほど頻繁には示さないということです。一般的に、性質が変化した人にはとりわけ理知と識別力があるように見え、真理を理解しているために独善や傲慢をさほど示しません。そのような人は自身において露わにされた堕落の大半を見通し、識別することができるので、傲慢さを生じさせることがありません。人間のあるべき立場をわきまえており、理知的に振る舞うにはどうすればよいか、忠実に本分を尽くすにはどうすればよいか、何を言って何を言わないべきか、誰に何を言い、何を行なうべきかをわきまえています。そのため、このような人は比較的理知的だと言われるのです。性質の変化を経た人は真に人間らしく生きており、真理を自分のものにしています。どのような時でも真理に沿って物事を語ったり見たりすることができ、何をするにも原則に基づいており、どんな人や物事にも影響されず、みな自分の見方をもち、真理原則を守ることができます。彼らの性質は比較的安定しており、熱しやすく冷めやすいということはなく、状況がどうであろうと、本分を正しく尽くすにはどうすればよいか、神を満足させるにはどう振る舞えばよいかを理解しています。性質が実際に変化した人は、表面的に自分を良く見せるために何をするべきかに重点を置いたりしません。神を満足させるにはどうすればよいかを心の中で明確に把握しているのです。したがって、外面的にはさほど熱心には見えなかったり、偉大なことを成し遂げたようには見えなかったりするかもしれませんが、彼らがすることにはすべて意味があり、価値があり、現実的な結果をもたらします。性質が変化した人は間違いなく数多くの真理を得ており、このことは物事に対する見方や原則に沿った行動を通して確認できます。真理を自分のものにしていない人は絶対に性質の変化を成し遂げていません。性質の変化は、経験豊かな成熟した人間性があるという意味ではありません。それはおもに、神に関する認識と真理に関する理解を得た結果、人の本性の中にあるサタン的な害毒の一部が変化することを指します。つまり、そのようなサタン的な毒素が清められ、神によって表される真理がそうした人に根付き、その人のいのちとなり、生存の基礎となるということです。そうなって初めて、人は新たにされ、そのようにして性質の変化を経験するのです。性質の変化は、人の外面的な性質が以前より柔和になったとか、傲慢だった人が理知的に意思疎通できるようになったとか、誰の話も聞かなかった人が他人の話を聞けるようになったとかということではありません。このような外面的変化を性質の変化と言うことはできません。もちろん、性質の変化にはそうした状態や表れも含まれますが、何よりも重要な要素はその人のいのちが内面的に変化したということです。神の表す真理が彼らのいのちそのものとなり、内なるサタン的な毒素が取り除かれ、ものの見方がまったく変わり、それらのどれも、この世のものとはまったく違うものとなります。このような人は赤い大きな竜の策略と毒をありのままに見ることができます。彼らはいのちの真の本質を把握しています。したがって、彼らのいのちの価値は変化していますが、これが最も基本的な変化であり、性質の変化の本質なのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」(『言葉』第3巻)より

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