日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 20
事実、神の性質というのは隠されたものではなく、いつでもわたしたちに開かれているものだ。というのは、神は決して意識的に何人を避けるのではなく、自分が人に知られないように、あるいは理解されないように敢えて自分を隠すようなことはしないからである。神の性質はいつでも開かれており、いつでも…
正常な霊的生活を送るには、日々新たな光を受け取ることができ、神の言葉を真に認識しようと求めなければならない。真理をはっきりと見すえ、すべてにおいて実践の道を見出し、日々神の言葉を読んで新たな問題を発見し、自分の不備に気づかなければならない。それは自分の全存在を揺り動かすほど慕い求める心をもち、遅れをとることを深く恐れて、いつでも神の前に静まることができるようになるためである。そのような慕い求める心を持ち、絶えず入って行こうとしている人は、霊的生活において正しい道を歩んでいる。聖霊に動かされ、さらなる向上を願い、神による完成を進んで求め、神の言葉をさらに深く認識することを切望し、超自然的なものを求めず、むしろ実際の代価を払い、真に神の心意を思いやり、自分の体験がさらに純粋で実際的になるよう実際に入り、空しい言葉や教義を求めたり超自然的なものを感じようとしたりせず、偉人を崇拝しない人、このような人が正常な霊的生活に入っているのである。彼らがすることはすべて、いのちのさらなる成長を達成し、霊において新鮮で生き生きとするためであり、それゆえ彼らは常に積極的に入って行くことができる。知らず知らずのうちに真理を認識し、現実性に入るのである。正常な霊的生活を送っている人は、日々に霊の解放と自由を見出し、神の言葉を自由に実践して神を満足させることができる。このような人にとって祈りは形式でも手続きでもない。日々彼らは新たな光に歩調を合わせることができる。たとえば、神の前に心を静めるように訓練し、実際に神の前で心を静めることができ、誰にも邪魔されない。このような人の正常な霊的生活を阻止できる人、出来事、ものは何もない。そのような訓練は成果を上げるためであって、人を規則に従わせるのが目的ではない。この実践は、規則に従うためではなく、人のいのちにおける成長を促すために行われるのである。このような実践を単に従うべき規則ととらえるなら、いのちは決して変わらない。他の人たちと同じように実践していて、その人たちがついには聖霊の働きと歩調を合わせて歩むことができるようになっても、あなたは聖霊の流れから除外されるとすれば、自分を欺いていることにはならないのか。こういうことを言う目的は、人が神の前に心を静め、心を神に向けることで、人の中の神の働きが妨げられることなく実を結ぶためである。その時はじめて人は神の心意にかなうことができる。
『神の出現と働き』「正常な霊的生活について」(『言葉』第1巻)より
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事実、神の性質というのは隠されたものではなく、いつでもわたしたちに開かれているものだ。というのは、神は決して意識的に何人を避けるのではなく、自分が人に知られないように、あるいは理解されないように敢えて自分を隠すようなことはしないからである。神の性質はいつでも開かれており、いつでも…
神自身の働きは、人が知らなければならないビジョンである。神の働きは人には達成できないし、人には備わっていないものだからである。三つの段階の働きが神の経営の全てであり、人が認識すべき最大のビジョンである。もし人がこの偉大なビジョンを知らないとすれば、神を認識することも神の心を理解す…
今日神の働きを知るということは、大方は、終わりの日の受肉した神を知ること。神の主要な務めが何であるか、何をするために地上に来たかを知ることである。わたしは以前、神は(終わりの日に)地上に来、去る前に模範を示すと述べた。神はどのように模範を示すのか。言葉を発し、地のいたるところ…
神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は…