日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 535
暗闇の影響から脱するには、まず神に対して忠実であり、真理を追い求める熱意が心になければならない。そうして初めて、あなたは正しい状態になることができる。正しい状態で生きることが、暗闇の影響から脱する必要条件である。正しい状態にないというのは、神に忠実でなく、真理を求める熱意が心にな…
実践において、戒めを守ることは真理の実践と結びつけるべきである。戒めを守りながら真理を実践しなければならないのである。真理を実践する際は、戒めの原則を破ったり、戒めに反した行動をとったりしてはならない。神が自分に求めることは何でも行なわなければならない。戒めの遵守と真理の実践は相反するものでなく、相互に関連するものである。真理を実践すればするほど、より一層戒めの本質を遵守するようになれる。真理を実践すればするほど、戒めに示されている神の言葉をより深く理解することになる。真理を実践することと戒めを守ることは相反する行動ではなく、両者は相互に関連している。最初のころ、人間は戒めを守って初めて真理を実践し、聖霊の啓きを得ることができた。しかし、それが神の本来の意図ではない。神は、あなたが立派に振る舞うだけでなく、神への礼拝に心を捧げるよう求めている。とは言え、あなたは表面的にでも戒めを守る必要がある。経験を通じて神のことをよりはっきり認識したあと、人は次第に神への反抗と抵抗を止め、神の働きについてそれ以上疑いを抱かないようになる。そうすることでのみ、人は戒めの本質に従うことができる。ゆえに、真理を実践せず単に戒めを守るのは効果がないことであり、神に対する真の崇拝とはならない。なぜなら、あなたは真の霊的背丈を得ていないからである。真理がないまま戒めを守っても、それは規則を固く遵守することにしかならない。そうする中で、戒めが自分の律法となるだろうが、それはいのちの成長に役立たない。それどころか、戒めはあなたの負担となり、旧約の律法のように自分を固く束縛するものとなり、あなたが聖霊の臨在を失う原因となるだろう。したがって、真理を実践することでのみ、あなたは効果的に戒めを守ることができ、また真理を実践するために戒めを守る。戒めを守る過程の中で、あなたはさらに多くの真理を実践し、また真理を実践する際に、戒めの実際の意味をより深く理解するようになる。人間は戒めを守らねばならないという神の要求の裏にある目的と意義は、その人が想像するように、規則を遵守させることではなく、むしろその人のいのちへの入りに関連するものである。あなたのいのちの成長度によって、どの程度戒めを守れるかが決まる。戒めは人間が守るべきものだが、戒めの本質は、人間のいのちの経験を通じてでなければ明らかにならない。大半の人は、戒めを立派に守ることは「準備万端、あとは引き上げられるだけ」という意味だと思い込んでいる。これは突飛な考えであり、神の旨と一致していない。こうした発言をする者は進歩したがらず、肉を無闇に欲しがっている。これは馬鹿げている。現実離れしている。実際に戒めを守ることなく、単に真理を実践することは、神の旨ではない。そのようにする者は不具者であり、片脚のない人間も同然である。規則に従うかのごとく戒めを守るだけで、真理を自分のものにしていなければ、それもまた神の旨を満たすことはできない。そうする人たちも、片目を失った人間のように一種の障害に苦しむ。戒めを立派に守り、実践の神に関する明瞭な認識を得るのであれば、あなたは真理を自分のものにするだろうと言える。相対的に言えば、あなたは真の霊的背丈を得ているはずだ。実践すべき真理を実践するなら、あなたはまた戒めも守っており、これら二つは互いに矛盾しない。真理の実践と戒めの遵守は二つの異なる体系であり、いずれもいのちの経験における不可欠な部分である。人間の経験は戒めの遵守と真理の実践の分割ではなく、それらの統合により構成されるべきである。しかし、これら二つの事柄には、相違点と関連する点の両方がある。
『神の出現と働き』「戒めを守ること、真理を実践すること」(『言葉』第1巻)より
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