日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 486

神の働きは時代ごとに異なるのである。もしあなたが、ある局面では立派に従うが、次の局面になるとそれ程従わないか全く従わないというのであれば、神はあなたを見捨てるだろう。今の段階を神が上がっていくにつれ神に付いて行っているのであれば、次の段階でも神に付いて行かなければならない。そうして初めて、あなたは聖霊に従順な者となる。あなたは神を信じているのだから、絶えず従順でなければならない。従いたい時にだけ従い、従いたくない時は従わないということではいけない。そのような従い方は神に認められない。わたしが語る新しい働きに付いて来ることができず、昔聞いたことに固執するのであれば、どうしてあなたのいのちが進歩できるだろうか。神の働きというのは、神の言葉を通してあなたに施すことなのだ。あなたが神の言葉に従って受け入れるのであれば、聖霊があなたの中で間違いなく働くのである。聖霊はわたしが語る通りに働く。わたしの言う通りを行いなさい。そうすれば聖霊はすぐにあなたの中で働く。わたしはあなた方のために新たな光を放ち、あなた方がその光を見て現在の光へ来るようにする。あなたがこの光の中へ入っていく時、聖霊はあなたの中で直ちに働く。「わたしはあなたの言う通りにはしない」などと言う扱い難い人もいるかもしれない。そのような人に言う。あなたの道は先がない。あなたはもうこれまでで、あなたの命は終わる。それだから、自分の性質の変化を経験するときに最も重要なのは、今の光に付いて行くことなのである。聖霊が働くのは神に用いられる特定の人々だけではなく、教会においてそれ以上に働く。聖霊はどんなところでも働くことができる。今はあなたの中で働いているが、あなたがその働きを経験すると、次には別の人の中で働くということがある。急いでついて来なさい。今の光にしっかりついて来るなら、あなたのいのちは更に成長し、成熟する。どのような人間であれ、聖霊がその人の中で働いているなら、必ず従いなさい。その人の経験を自分の経験と重ねてそこから学びなさい。そうすれば、あなたは更に高尚なものを受けるであろう。そうすることで、あなたの進歩は更に速まる。これが人間が完全にされる道であり、いのちが成長する道である。完全にされる道には、聖霊の働きに従うことで到達する。あなたは、神がどのような人を通してあなたを完全にする働きをするかを知らず、どのような人、どのような出来事や物事を通してあなたを獲得し、あなたが識見を得るようにするかを知らない。あなたがこの正しい道を進むことができるのであれば、それはあなたには神によって完全にされる望みが大いにあるということを示している。もしあなたが正しい道を進むことができないのであれば、あなたの将来は暗く、光りがないということである。あなたが正しい道に入れば、全ての事において啓示が与えられる。聖霊が他の人たちに何を啓示するかを問わず、その人達の認識を基盤にして前進し、自らも経験するのであれば、それはあなたのいのちの一部となり、その経験を通して他の人たちに施すことができる。ただ言葉を真似て他の人たちに施す者は何の経験もない者である。まず他の人が受けた啓示や照らしを通して実践の方法を見つけ出し、それから自分の実際の経験や認識を語るようにしなさい。これはあなた自身のいのちに大いに益となる。あなたは、神から出る全ての事に従い、このように経験しなさい。全ての事において神の旨を求め、全てのことを教訓とし、あなたのいのちが成長し、成熟するようにしなさい。このように実践するならば、極めて速い進歩が得られる。

 聖霊はあなたの実践的経験を通してあなたを啓き、あなたの信仰を通してあなたを完全にする。あなたは完全にされることを本当に願っているか。あなたが神により完全にされたいと本当に願っているのであれば、自分の肉を捨てる勇気をもち、消極的になることも弱ることもなく神の言葉を実行できる。神から出る全てのことに従うことができ、公の場であれ私的な場であれ、あなたの全ての行いは神の前に見せることができるものとなる。あなたが誠実な人間であれば、そして全てのことにおいて真理を実践するのであれば、あなたは全き者とされる。人前でする事と陰ですることが違うような偽りに満ちた者は、進んで完全にされようとはしていない。それは地獄と破滅の子であり、神ではなくサタンに属する者である。神に選ばれる種類の人間ではない。もしあなたの行動や振る舞いが神の前に見せられないものであったり、神の霊に見てもらえるものでない場合、あなたの何かが間違っていることの証拠である。神の裁きと刑罰を受け入れるのでなければ、そして性質の変化に重点を置くのでなければ、完全にされるための道に入ることはできない。もしあなたが本当に神に完全にされたいと願い、神の旨を行いたいと願っているのであれば、一切不平を言わず、あつかましくも神の働きを評価したり判定したりせず、神の全ての働きに従うべきである。これらが神に完全にされるための最低限の要求である。神によって全き者とされることを欲する者に必要なことはこれである。すなわち、全てのことを、神を愛する心で行うこと。「神を愛する心で行う」とはどう言う意味であろうか。それは、あなたの行動や振る舞いが全て、神に見せる事ができるものであるという事である。あなたの意図は正しいので、あなたの行いが正しいかどうかに関係なく、神の前に、そして兄弟姉妹の前に、行動や振る舞いを見せることをあなたは恐れない。あなたは神の前にて、あなたのあらゆる意図、考え、思いが神の前にて検討されるに相応しいものであると誓うことさえいとわない。あなたがこのように実践し、進入していくならば、あなたのいのちの進歩は速いであろう。

『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」(『言葉』第1巻)より

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