日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 316
あなたがたの追求が効果的だったかどうかは、現在何を持っているかでわかる。そしてそれによりあなたがたの結末が判断される。つまり、結末は払ってきた犠牲と行なってきた物事に明らかにされるのである。結末は、追求、信仰、何をしてきたかによってわかる。あなたがたの間には、すでに救いようのない…
自分の良心的感情だけに依存するなら、人は神の愛しさを感じることができない。良心だけに依存するなら、神への愛は弱々しいものになるだろう。神の恵みと愛に報いることだけを語っているなら、あなたの神への愛には何の活力もないだろう。自分の良心的感情に基づいて神を愛することは受け身なやり方である。なぜそれは受け身なやり方なのか。これは現実的な問題だ。あなたの神に対する愛は、一体どんな愛なのか。それはただ神をたぶらかし、神を愛するふりをしているだけではないのか。ほとんどの人は、神を愛しても報酬はなく、どのみち神を愛さないことで同じ刑罰を受けるのだから、結局のところ罪を犯さないだけで十分だ、と考えている。それゆえ、良心的感情に基づいて神を愛し神の愛に報いるというのは受け身なやり方であり、心の中から神への愛が自発的に生じるのとは異なる。神への愛はその人の心の奥底からわき出る真の感情でなければならない。また、次のように言う人もいる。「私は神を追い求め、神に従う意志がある。もし今神が私を見捨てようとしていても、私はなお神に従いたい。神が私を求めていようがいまいが、私はなおも神を愛し、最終的には神を得なければならない。私は神に自分の心を捧げ、神が何をしようと、生涯を通して神に従うつもりだ。何があろうと、私は神を愛し、神を得なければならない。神を得るまで休むことはない」。あなたには、このような決意があるだろうか。
神を信じる道は、神を愛する道と同一である。神を信じるなら、神を愛さなければならない。しかし神を愛するということは、神の愛に報いることや、良心的感情に基づいて神を愛することだけを指すのではない。それは神への純粋な愛を意味する。時には、ただ自らの良心を基盤とするだけでは神の愛を感じられないこともある。わたしがいつも、「神の霊が私たちの霊を動かしてくださるように」と言っていたのはなぜだと思うか。なぜ、人々の良心を動かして神を愛させてくださるように、とは言わなかったのか。それは、人間の良心は神の愛しさを感じることができないからだ。この言葉に確信が持てないなら、自分の良心を使って神の愛を感じようとしてみなさい。一時的にある程度の活力を得ることはあるかもしれないが、それはすぐに消え去るだろう。良心のみで神の愛しさを感じているなら、祈っている時には活力を感じるが、それはすぐに消えてなくなってしまう。それはなぜか。良心だけを用いるなら、神への愛を呼び覚ますことはできない。心の中で本当に神の愛しさを感じると、霊が神によって動かされ、そのとき初めてあなたの良心は本来の役割を果たすことができるようになる。つまり、神が人の霊を動かし、人が認識を得て心に励ましを得たとき、すなわち経験を得たとき、初めて有効に良心で神を愛することができるようになるのだ。良心で神を愛することは誤りではないが、それは神に対する最も低いレベルの愛である。「神の恵みにかろうじて正当に応える」ような愛し方では、積極的な入りへと駆り立てられることはない。人々は聖霊の働きをいくらか得たとき、すなわち自分の実体験の中で神の愛を見て味わったとき、また神について多少の認識を得て、神がどんなに人間の愛にふさわしくいかに愛しい方であるかを真に知ったとき、人間は初めて神を心から愛することができるようになるのだ。
『神の出現と働き』「神への真の愛は自発的なものである」(『言葉』第1巻)より
神を信じる道は神を愛する道、神を信じるなら、神への愛を持つべきだ。
神を愛するということは、ただ神の愛に報い、良心から神を愛することではなく、純粋に愛するということだ。良心では神への愛は目覚めない。神の美しさを感じると、あなたの霊は神に触れ、あなたの良心は本来の役割を果たすだろう。神への真の愛は心の底から来る。その愛は神への真の認識に基づく。
人の霊が神に動かされ、その心に認識が得られると、人は経験を得た後に、良心から神を愛せる。良心による愛は間違いではないが、それは次元の低い愛であり、神の恵みを公正に扱うだけ、霊的成長を促しはしない。神への真の愛は心の底から来る。その愛は神への真の認識に基づく。
人が聖霊の働きを得て、神の愛を見てそれを味わい、神について認識するなら、神を真に愛せるようになる。神が愛されるに相応しい方で、またどんなに愛おしい方か分かれば、その時、人ははじめて神を真に愛することができる。神への真の愛は心の底から来る。その愛は神への真の認識に基づく。
神を理解しない、人の愛は観念や好みからのもので、それは真実の愛ではなく、心からのものでもない。人が神を理解するということは、心が神に向くということだ。心からの愛は真実で自発的、そんな人だけが心で神と一つになる。神への真の愛は心の底から来る。その愛は神への真の認識に基づく。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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人間の五つの種類 ここで、神の義なる性質に関する交わりを一旦終了します。次に、あなたがたが現在いる段階と、現在の霊的背丈を把握できるように、神に付き従う人を、その神についての認識、神の義なる性質に関する認識と経験に基づいて数種類に分類します。神についての認識と神の義なる性質に関す…
三つの段階の働きがこの三位一体の概念に従って評価されるならば、それぞれが行う働きは同じではないので、三つの神がいなければならない。あなたたちの中の誰かが三位一体は実際存在すると言うならば、この三位格で一つの神とは一体何か説明してみたまえ。聖なる父とは何か。子とは何か。聖霊とは何か…
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