日々の神の御言葉「神を愛する人は永遠に神の光の中に生きる」抜粋502

人々はよく、神が自分のいのちだと言うが、まだそうなるところまで経験していない。人々は単に神が自分のいのちであり、毎日自分を導いてくれる。自分たちは毎日神の言葉を飲み食いし、毎日神に祈っているのだから、神が自分のいのちになってきていると言う。こうしたことを言う人々の認識は表面的なものに過ぎない。多くの人々は基礎ができていない。神の言葉は植えつけられたが、まだ芽を出しておらず、まして実を結んでなどいない。今日、どの程度まで経験しているだろうか。ここまで神が強引に連れてきてやっと、神と離れることはできないと感じているのだろうか。いつか、一定のところまで経験したところで、神があなたを去らせようとするなら、あなたは立ち去ることができなくなるだろう。あなたはいつでも、神がいなければ生きていられないと心の中に感じるだろう。夫や妻、子供、家族、父母、肉の喜びはなくとも生きることはできるだろう、しかし、神なしでは、いられない。神なしでいるのは命を失うようなもので、神なしでは生きていられない。こういう状態になるまで経験を積むと、神への信仰の到達点の一つに至ったと言える。そして、このようにして神はその人のいのちとなり、存在の基礎となると、決して二度と神と離れることができない。こうしたところに至った人は、真に神の愛を喜んでいる。神との関係は真に密接になり、神があなたのいのち、愛となり、あなたはこう祈る。おお、神よ。あなたから離れることができません。あなたはわたしのいのちです。他のすべてがなくともやっていけます。でも、神なしでは、生きていけません。これが人々の真の姿、これがまことのいのちである。中には、今日まで、強制されてきた人々もいる。その人たちは望むと望まざるとに関わらず進まなければいけない。その人たちは、いつでも苦難の板挟みなっていると感じる。神が自分のいのちであること、神を奪われることは、命を失うようなものであることを経験しなければいけない。神は自分にとっていのちであって、神から離れることはできないという状態でなければならない。そうすれば、ほんとうに神を経験することができ、その時に、再び神を愛するようになれば、真に神を愛すのであり、それは唯一の純粋な愛であるだろう。いつの日か、そうした経験をして、いのちのある点に至り、神に祈り、神の言葉を飲み食いし、心が神を離れることができず、たとえそうしたいと思っても、神を忘れることができない。神はあなたのいのちになる。世界を忘れることはできる。妻や子供を忘れることはできる。しかし、神を忘れるのは難しいだろう。不可能なのだ。それがあなたの真のいのちであり、神への真の愛なのだ。神への愛がある点に至ると、他のどんなものへの愛も神への愛には及ばなくなる。神が最も愛するものなのであり、そうなると、あなたは他のすべてを捨て去れる。そして、神からなら、どんな取り扱いも刈り込みも受け入れられるようになる。神への愛が他のすべてより重要になったなら、あなたは現実の中に神の愛の内に生きるようになる。

『言葉は肉において現れる』より引用

神の言葉は本当にあなたのいのちとなったか

人々はよく、神を自分のいのちにさせることを口にするが、彼らの経験はまだそこまで至っていない。あなたは単に、神は自分のいのちで毎日自分を導いてくれる、自分は毎日神の言葉を飲み食いしている、そして自分は毎日神に祈っているのだから、神が自分のいのちになったと言う。こうしたことを言う人の認識は極めて表面的である。多くの人には基礎がない。神の言葉は植えつけられたが、まだ芽を出しておらず、まして実を結んでなどいない。

いつか、あなたの経験が一定のところに達した際には、神があなたを去らせようとしても、あなたはそうすることができないはずだ。あなたはいつでも、自分の中に神がなくてはいられないと感じるだろう。

神なしでいるのはいのちを失うようなもので、神なしでは生きていられないはずだ。あなたの経験がここまでになると、神に対するあなたの信仰は一定の基準に達したことになる。そして、このようにして、神はあなたのいのちとなり、あなたの生存の基礎となっている。あなたは二度と神から離れられない。

この程度まで経験を積むと、あなたは真に神の愛を享受したことになり、また神との関係が十分親密になると、神があなたのいのちと愛になり、これが人の真の霊的背丈、そしてまことのいのちである。

あなたは、神が自分のいのちになり、自分の心から神を奪われたなら、それはいのちを失うようなものである、というところまで経験しなければいけない。神は自分のいのちであって、神から離れることはできないという状態にならなければならない。そうすれば、あなたは本当に神を経験したことになり、そのとき神を愛するなら、真に神を愛するのであって、それは唯一の純粋な愛である。

いつの日か、自分のいのちがある程度に達するほど経験を積み、神に祈り、神の言葉を飲み食いしたとき、あなたは自分の中で神から離れることができず、たとえそうしたいと思っても、神を忘れることができない。

神があなたのいのちになったのである。世界を忘れることはできる。妻や夫や子供を忘れることもできる。しかし、神を忘れるのは難しい。そうすることは不可能であって、それがあなたの真のいのちであり、神への真の愛である。神への愛がある程度に達すると、神への愛に匹敵する愛はなくなり、神への愛が最優先となる。そのようにして、他のすべてを捨て去ることができるようになり、神によるすべての取り扱いと刈り込みを進んで受け入れるようになる。神への愛が他のすべてを超えるまでになると、あなたは現実の中で、神の愛の内に生きるようになる。

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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