日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 416
あなたがたは日常生活において祈りに心を留めることが全くない。人々はいつも祈りを見過ごしてきた。従来彼らが祈る時は、いい加減にひととおりの身振りをするだけで、誰ひとり自分の心を完全に神の前に捧げて真の祈りをする者はなかった。人々が神に祈るのは、自分に何かあった時だけである。あなたは…
人がサタンの影響下に陥ると、その人の中に神への愛はなく、それまでのビジョン、愛、そして決意は消え去ってしまう。人々はかつて、自分は神のために苦しまなければならないと感じていたのに、今はそうすることを恥と考え、不平不満に事欠かない。これがサタンの働きであり、人がサタンの支配下に陥ったしるしである。この状態に陥ったならば祈りを捧げ、できるだけ早くそれをひっくり返さなければならない。そうすればサタンの攻撃から守られる。人がサタンの支配下に最もたやすく陥るのは苦しい精錬のさなかである。では、そのような精錬において、あなたはどのように神を愛するべきなのか。自分の意志を奮い立たせ、自分の心を神の前で晒し、自分の時間を残らず神に捧げるべきである。神がどのようにあなたを精錬しても、あなたは真理を実践して神の旨を満たし、自ら神を求め、交わりを求めるべきである。そのようなときは消極的になればなるほど否定的になり、容易に後退してしまう。自分の役割を果たすことが必要なときは、たとえうまくそれを果たせないにしても、ただ神への愛を使ってできる限りのことを行ないなさい。あなたがうまく行ったとか失敗したなどと他人は言うだろうが、他人が何を言おうとあなたの意図は正しく、あなたは独善的ではない。あなたは神のために行動しているからである。他人があなたを誤解しても、あなたは神に祈り、このように言うことができる。「ああ、神よ。他人が私に寛容であることも、私をよく扱うことも私は願いませんし、私を理解したり認めたりすることも願いません。心の中であなたを愛することができ、心穏やかになり、良心が澄み切っていることだけを願います。他人が私を賞賛することや高く評価することを私は願いません。あなたに満足していただくことを心から願うだけです。私はできる限りのことを行なって自分の役割を果たします。私は愚かで分別がなく、素質に乏しく盲目ですが、あなたが素晴らしいことはわかっておりますので、私がもつすべてのものを喜んであなたに捧げます」。このように祈ったとたん、神に対するあなたの愛が現われ、あなたの心は大いに安心する。これが神への愛を実践するということである。経験を重ねるにつれ、二回失敗しても一回成功し、五回失敗しても二回成功するようになるだろう。このように経験を重ねるうち、あなたは失敗の中でのみ神の素晴らしさを理解し、自分に欠けているものを見出すだろう。次にこのような状況に遭遇したら、自分自身に注意を払い、歩みを加減し、より頻繁に祈るべきである。そうすれば、そのような状況で勝利する力を徐々に得るだろう。そうなったとき、あなたの祈りには効果があったのである。今回勝利したのがわかれば、あなたは内なる喜びを感じ、祈るときに神を感じることができ、聖霊の存在が自分のもとを去っていないことがわかるだろう。そのとき初めて、自分の中で神がどのように働くのかがわかるのである。このように実践することで、あなたは経験に至る道を得る。真理を実践しなければ、あなたの中に聖霊の存在はない。しかし、ありのままの物事に遭遇した際に真理を実践すれば、たとえ内側で傷ついても、その後は聖霊があなたと共にいて、祈りの際に神の存在を感じることができ、神の言葉を実践する力をもつ。そして、兄弟姉妹との交わりにおいて、あなたの良心の重荷となるものはなくなり、あなたは平安を感じる。このようにして、自分が行なってきたことを明らかにできるのである。他人が何を言おうと、あなたは神との正常な関係をもつことができ、他人に制約されず、あらゆるものを超越する。そしてその中で、神の言葉の実践が効果的であったことを実証するのである。
『神の出現と働き』「精錬を経験することでのみ、人は真の愛をもつことができる」(『言葉』第1巻)より
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