日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 116
神が人を救うとき、霊の手段を通したり、霊として直接行なわない。というのは、神の霊は人が触れることも見ることもできず、人が近づくこともできないからである。もし神が霊として直接人を救おうとするなら、人は神の救いを受け入れることはできないであろう。そして、もし神が造られた人の外形をまと…
現在、あなたがたが理解するようになったことは、歴史上の完全にされなかった他の誰よりも高度である。それが試練についての認識であろうと神への信仰であろうと、どれも神を信じる他の誰のものよりも高度である。あなたがたが理解しているのは、環境の試練を受ける前に知るようになったことであるが、あなたがたの実際の霊的背丈は、そのことと全く相容れない。あなたがたが知っていることは、あなたがたが実践することよりも高度である。あなたがたは、神を信じる人は神を愛すべきであり、祝福のためでなく、神の旨を満たすためだけに努力すべきであると言うが、あなたがたの生活に現れているものはそれとは程遠く、ひどく汚れている。ほとんどの人は、平穏やその他の利益のために神を信じる。自分の利益にならなければ神を信じず、神の恵みを受けられないのであれば不機嫌になる。あなたが言ったことが、どうしてあなたのほんとうの霊的背丈でありえようか。家庭において避けられない出来事、たとえば子どもの病気、家族の入院、農作物の不作、家族からの迫害等については、このようなよく起こる日常的なことさえもあなたには過剰である。このようなことが起きると、あなたは当惑してどうして良いかわからなくなる。そして大抵、神について不満の言葉をこぼす。神の言葉に騙されたとか、神の働きに振り回されたと不平を言う。あなたがたはこのような思いを抱いていないのか。このようなことは自分にはまれにしか起こらないと思っているのか。あなたがたは毎日こうした出来事のただ中に生きている。あなたがたは神への信仰を成功させることや、いかに神の旨を満たすかについては少しも考えない。あなたがたの真の霊的背丈は低すぎて、ひよこの背丈よりも低い。自分の家族の事業が損失を出すと神について不平を言い、神の守りがない環境に置かれると、やはり神について不平を言い、ひよこが一羽死んだり、囲いの中の年老いた牛が病を煩っただけでも不平を言う。息子が結婚する時になったものの家族に十分な資金がないときも、不平を言い、もてなしの本分を尽くしたいのにその余裕がないときも不平を言う。あなたは不満であふれており、そのために時折集会へ行かなかったり、神の言葉を飲み食いしなかったり、長期間にわたって否定的になったりする。今日あなたに起こる出来事は一つとしてあなたの将来の展望や運命と関係がない。このようなことは神を信じていなくても起こることだが、今日あなたはその責任を神に負わせ、神が自分を淘汰したと主張する。神への信仰はどうなったのか。あなたは本当に自らのいのちを神に捧げたのか。あなたがたがヨブと同様の試練を受けたなら、今日、神に付き従うあなたがたのうち、揺るぎなく立つことができる者は一人もおらず、みな倒れるであろう。あなたがたとヨブの間には雲泥の差がある。今日自分の資産の半分でも差し押さえられたなら、あなたがたは神の存在さえ否定するであろう。自分の息子や娘が自分から奪い去られれば、不当だと叫びながら町中を走り回るであろう。生活に行き詰まったならば、神に挑んで文句をぶつけようとするであろう。わたしが最初になぜ多くの言葉を語って脅したのかと疑問に思うことであろう。このようなとき、あなたがたはどんなことでもする。このことは、あなたがたがまだ真の識見も真の霊的背丈も得ていないことを示している。したがって、あなたがたの試練は大きすぎる。なぜなら、あなたがたは多過ぎるぐらいに知識はあるが、真に認識しているのは、気づいていることの数千分の一にも満たないからである。単に理解や知識を得ることに留まってはならない。どの程度を本当に実践でき、自分の労苦の汗がどれほどの聖霊からの啓きと照らしに結実し、自分の実践のうち幾つにおいて決意を実現したかを、検討してみるべきである。自分の霊的背丈と実践を真剣にとらえるべきである。神への信仰においては、誰かのために単に上辺だけの身振りをしようとしてはならない。最終的に真理といのちが獲得できるか否かは、あなた自身の追求により決まるのである。
『神の出現と働き』「実践(3)」(『言葉』第1巻)より
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