日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 133
神の働きはあなたには理解できないことである。あなたの決定が正しいかどうか理解することも、神の働きが成功するかどうか知ることもできないのなら、どうして、この普通の人があなたにとって大いに助けとなるかどうか、また、神は偉大な働きを行ったかどうかを運をためしてでもいいから見てみよう…
信仰において人が求めるのは、自分に適切な終着点と、自分に必要なあらゆる恵みを神が与えるようにさせ、神を召使にし、神に自分との平和で友好的な関係を維持させ、いかなるときも両者の間に決して対立がないようにさせることである。すなわち、聖書で読んだ「わたしはあなたがたのすべての祈りに耳をかたむける」という言葉通りに、人の神への信仰は、神が人のすべての要求を満たすことを約束し、祈り求めるものは何でも人に与えることを要求するのである。人は神が誰も裁かず、誰も取り扱わないことを期待する。神とはいつも憐れみ深い救い主イエスであり、いつでもどこでも人と良い関係を保つ方だからである。人は次のように神を信じている。いつも臆面もなく神に要求するばかりで、自分が反抗的であろうと従順であろうと、神はなんでも見境なく自分に授けてくれると信じている。絶えず神から「負債を回収」し、神はまったく抵抗せずに「返済」しなければならず、そのうえ二倍の額を払わなければならない。人から何かを得ていようといまいと、神はただ人に操られるだけで、思いのままに人を指揮することはできず、ましてや人の許可なく神が望む時に、長年隠されてきた神の英知や義なる性質を人に現すことはできない。人はただ自分の罪を神に告白し、神はただそれを赦すだけで、そうすることにうんざりもせず、これが永久に続くと信じている。人は神に命令するばかりで、神は自分にただ従うと信じている。なぜなら、神は人間に仕えられるためではなく、仕えるために来たとか、神がここにいるのは人間の召使になるためだなどと聖書に記されているからである。あなたがたはいつもこのように信じてきたのではないのか。神から何か得られないと、あなたがたは必ず逃げたがる。何か理解できないことがあると、ひどく憤慨し、あらゆる種類の悪態を神に浴びせかけさえする。あなたがたは神自身が知恵と不思議を充分に表現することをどうしても許そうとせず、その代わりにただ一時的な気楽さと心地よさを楽しむことを望む。今まで、自分の神への信仰におけるあなたがたの態度は相変わらずの古い見解からなるだけである。神があなたがたにほんの少しでも威厳を見せれば、あなたがたは不機嫌になる。あなたがたにはいま自分の霊的背丈がどれほど低いのか正確にわかっているのか。あなたがたの古い見解は実のところ変化していないのに、自分たちは皆神に忠実だなどと思い込んではいけない。何も自分に降りかからなければ、あなたはすべてが順調に進んでいると考え、神への愛は高まる。しかし、些細なことが起こると黄泉の国にまで落ちる。これは神に忠実であることだろうか。
『神の出現と働き』「地位の祝福は脇に置き、人に救いをもたらす神の心意を理解するべきである」(『言葉』第1巻)より
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神の働きはあなたには理解できないことである。あなたの決定が正しいかどうか理解することも、神の働きが成功するかどうか知ることもできないのなら、どうして、この普通の人があなたにとって大いに助けとなるかどうか、また、神は偉大な働きを行ったかどうかを運をためしてでもいいから見てみよう…
人々は、神は義なる神であり、人間が最後まで神に付き従う限り、神は最も義である故に、神は人間に対して公平であると言う。人間が最後まで神に付き従ったならば、神は人間を退けられるであろうか。わたしは全ての者に対して公平であり、全ての者を自分の義なる性質により裁くが、わたしは人間に対…
人はわたしに信仰を持っているが、わたしの証人にはなることができない、そして、わたしがわたし自身のことを知らせる前には、人はわたしの証人となることはできない。人はわたしが被造物やすべての聖人たちより優れているということしか見ず、わたしが人にはできない働きをするということしか見ない…
終わりの日の神の裁き、懲らしめの働き、すなわち、最後の清めの働きの中でゆるがず耐え抜ける人たちが、神と共に最後の安息の中に入る人たちである。したがって、安息の中に入る人はみな、神の最後の清めの働きを経て初めて、サタンの支配から振りほどかれ、神によって得られたに違いない。最終的に神…