日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 167
聖霊に用いられる人でさえ、神自身を表わすことはできない。そのような人は神を表わすことができないというだけでなく、その人が行なう働きも直接神を表わせないのである。言い換えると、人の経験が神の経営(救い)の内部に直接置かれることはできないし、神の経営を表わすこともできない。神自身が行…
誰でも自分の言葉や行動により、自分の本当の顔を表すことができる。この本当の顔とはもちろん、その者の本性である。もしあなたがひねくれた話し方をするなら、あなたはひねくれた本性をしている。あなたの本性が狡猾なら、あなたは狡賢く振る舞い、人々を容易に手玉に取る。あなたの本性が陰険なら、あなたの言葉は聞こえが良いかもしれないが、あなたの行動はその陰険さを隠せない。あなたの本性が怠惰なら、あなたの言う事はすべて自分のいい加減さや怠惰さの責任を逃れるためのものであり、あなたの行動は遅くおざなりで、真実を隠すことに長けている。あなたの本性が同情的なら、あなたの言葉は合理的であり、行動もまた真理によく則したものになるだろう。あなたの本性が忠実なら、あなたの言葉は間違いなく誠実であり、あなたの行動のし方は堅実で、主人を不安にするようなことはない。あなたの本性が好色あるいは金銭に貪欲なら、あなたの心は大抵それらのことで一杯であり、人が簡単に忘れられず、かつ人に嫌悪感を与えるような、常軌を逸した不道徳な行動を無意識のうちにとるだろう。そしてさきほど言ったように、裏切りの本性を持っているなら、その本性から抜け出すことはまず不可能であろう。自分が誰にも不正を行ったことがないからといって、自分に裏切りの本性がないと楽観してはならない。そのように考えるなら、あなたは本当に胸がむかつくような人間だ。わたしが語る言葉は、その都度すべての人々に向けて語ったものであり、一個人や特定の種類の人間にだけ向けたものではない。あなたが一つのことについてわたしを裏切ったことがないからといって、別のことでわたしを裏切れないという証明にはならない。真理の追求においては、結婚生活での挫折の中で自信を失う人々もいる。また、家族の崩壊によってわたしへの忠誠の義務を投げ捨ててしまう人もいる。またつかの間の喜びや興奮を求めて、わたしを見捨てる人もいる。光の中に生き、聖霊の働きの喜びを自分のものとするよりも、暗い谷底に落ちることを選ぶ人もいる。またある人々は、富への欲を満たすために友人の助言を無視し、現在もなお自分の過ちを認めて道を正すことができずにいる。さらに、わたしの保護を受けるため一時的にわたしの名のもとで生きる人々もいれば、命にしがみつき死を恐れるために、やむを得ず少しだけ献身する者もいる。これらをはじめとする、不道徳かつ見苦しい行動は、まさに人々が心の奥底で長い間わたしを裏切ってきた行為ではなかろうか。もちろん、人々が前もってわたしを裏切ることを計画していたわけではないことは知っている。彼らの裏切りは彼らの本性の自然な現れなのだ。わたしを裏切りたいと思う者は誰もおらず、わたしを裏切るようなことをして喜ぶ者もいない。それどころか、彼らは恐怖に震えているではないか。ではあなたがたは、こうした裏切りをどうやって埋め合わせ、現在の状況をどうやって変えられるか、考えているだろうか。
『神の出現と働き』「極めて深刻な問題――裏切り(1)」(『言葉』第1巻)より
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聖霊に用いられる人でさえ、神自身を表わすことはできない。そのような人は神を表わすことができないというだけでなく、その人が行なう働きも直接神を表わせないのである。言い換えると、人の経験が神の経営(救い)の内部に直接置かれることはできないし、神の経営を表わすこともできない。神自身が行…
復活後にパンを食べ、聖句を説明するイエス ルカによる福音書 24:30-32 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互に言った、「道々お話しになったと…
当時、イエスの働きは全人類を贖う働きだった。イエスを信じるすべての人の罪は赦され、あなたがイエスを信じる限り、イエスはあなたを贖っただろう。イエスを信じるなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということ、信仰によって義とされるということである。しかし、…
わたしは自分の業の顕示で天空を満たし、地上のあらゆるものがわたしの力の下にひれ伏し、そうして「世界統一」に向けたわたしの計画を実行し、わたしのその願いを実現するようにさせる。それにより、人々が地表を「さまよう」ことはなくなり、すぐに適切な終着点を見つける。わたしはあらゆる方法で人…