日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 161
今は終わりの日における神の働きの時となり、神はもはや最初のように恵みと祝福を人間に与えるのみではなく、また人間をなだめることもありません。この働きの間に、人間は経験した神の働きのあらゆる側面から何を認識したでしょうか。人間は、神の愛と神の裁きと刑罰を認識したのです。この時、神は人…
人間の本性はわたしの本質とまったく異なる。人間の堕落した本性はすべてサタンに由来しており、人間の本性はサタンに操られ堕落させられているからである。つまり人間は、サタンの邪悪と醜悪さの影響下で生きながらえている。人間は真理の世界や聖なる環境で育つものではなく、ましてや光の中で生きてはいない。ゆえに、誰も生まれつきその本性の中に真理を備えていることはあり得ず、ましてや神を畏れ神に従う本性を持って生まれることはあり得ない。その逆に、人間は神を拒み、神に反抗する本性を備えており、真理への愛は抱いていない。わたしが話したいのはこの本性、すなわち裏切りという問題についてである。裏切りは各人の神への反抗の根源である。これは人間だけが有する問題であり、わたしにはない。人によっては、「すべての人間はキリストと同様この世界に生きているのに、なぜすべての人間は神を裏切る本性を備えており、キリストは備えていないのか」と問う者がいる。この問題について、あなたがたに明確に説明しなければならない。
人間の存在の基本は、魂が繰り返し生まれ変わることである。言い換えれば、各人は魂が生まれ変わると、肉としての人間の命を得る。人の身体が生まれると、その命は肉が最終的に限界に達するまで、すなわち最後の瞬間まで続き、そして魂はその殻を離れる。この過程は何度も繰り返され、人間の魂は幾度となく行っては戻り、人類の存在が維持される。肉の命は人間の魂の命でもあり、人間の魂はその肉の存在を支えている。つまり各人の命はその者の魂に由来し、本来肉に宿っているものではない。したがって、人間の本性は人間の肉ではなく魂に由来する。各人がサタンの誘惑や苦悩、堕落をどのように経験したかを知っているのは、各人の魂のみである。人間の肉がそれらを知る由はない。そのため人間は無意識のうちにますます汚れ、邪悪にかつ暗黒になってゆくと同時に、わたしと人間の間の距離もますます広がり、人間の日々もますます暗黒になってゆく。人間の魂はサタンに掌握されており、そのため人間の肉もまたサタンに占領されたのは言うまでもない。このような肉、このような人間が、どうやって神に反抗せずにいられようか。どうやって生来、神に適合する者であり得るだろうか。わたしがサタンを中空へと投げ落としたのは、サタンがわたしを裏切ったからだが、ならばどうして人間がその影響から逃れ得るだろうか。これが、人間の本性が裏切りである理由だ。あなたがたはこの理由を理解すれば、キリストの本質も信じることができるはずだ。神の霊が纏っている肉は神自身の肉である。神の霊は至高であり、全能で、聖く、義である。同様に、神の肉も至高であり、全能で、聖く、義である。このような肉は、人間にとって義であり有益なこと、聖いこと、栄光あること、そして力あることしか行えず、真理や道義に反することはできず、ましてや神の霊を裏切るようなことはできない。神の霊は聖なるものであるため、神の肉はサタンが堕落させることのできないものであり、人間の肉とは本質が異なる。サタンにより堕落させられているのは人間であって神ではないため、サタンが神の肉を堕落させることは一切できない。このため、人間とキリストは同じ空間にあるにもかかわらず、人間だけがサタンにより占有され、利用され、囚われている。それに対し、キリストはサタンによる堕落の影響を永久に受けることがない。なぜならサタンが最も高い場所に昇れることは決してなく、神に近付くことも決してできないからである。今日あなたがたは全員が、わたしを裏切るのはサタンにこのように堕落させられた人間だけであることを理解しなければならない。裏切りの問題がキリストに関わることは一切ないのである。
『神の出現と働き』「極めて深刻な問題――裏切り(2)」(『言葉』第1巻)より
神の霊をまとった肉は神自身の肉である。全能 崇高 聖にして正しい、それはまさに神の霊と同じである。人々のためこのような肉は、善き事だけを為す事が出来る。聖なる偉大で栄光に満ちた。栄光に満ちた事のみを為す事が出来る。肉なる神は真理に背いたり、正義に背を向ける事は出来ない。彼は決して神の霊を裏切らない。肉なる神はサタンの堕落から自由である。その肉は普通の人の肉体とは異なる、神の霊をまとった肉は神自身の肉である。全能 崇高 聖にして正しい、それはまさに神の霊と同じである。人々のためこのような肉は、善き事だけを為す事が出来る。聖なる偉大で栄光に満ちた。栄光に満ちた事のみを為す事が出来る。
地上でキリストは人々と共に生きているが、サタンの罠に落ち利用されるのは人だけである。それはキリストには起こらない。決して起こる事はない。サタンは神の高みには及ばず、神自身に近づく事は出来ない。サタンは神に近づく事は出来ないのだ。人間だけが 、ただ人間だけが神を裏切る、しかしそれはキリストとは全く関係がない。神の霊をまとった肉は神自身の肉である。全能 崇高 聖にして正しい、それはまさに神の霊と同じである。人々のためこのような肉は、善き事だけを為す事が出来る。聖なる偉大で栄光に満ちた。栄光に満ちた事のみを為す事が出来る。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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今は終わりの日における神の働きの時となり、神はもはや最初のように恵みと祝福を人間に与えるのみではなく、また人間をなだめることもありません。この働きの間に、人間は経験した神の働きのあらゆる側面から何を認識したでしょうか。人間は、神の愛と神の裁きと刑罰を認識したのです。この時、神は人…
人の働きは人の経験と人間性を意味する。人が提供するものと人が行う働きは人を表す。人の見識、論法、論理、豊かな想像力はすべて人の働きに含まれる。人の経験は特に人の働きを意味することがあり、ある人の経験はその働きの構成要素になる。人の働きはその人の経験を表すことがある。人が消極的な経…
肉となった神は、その働きを自ら実行する間、自分に付き従う人にだけ自身を示すのであり、すべての被造物に示すのではない。神は働きの一段階を完成させるためにだけ肉となったのであり、人に自身の姿を見せるためではない。しかし、神の働きは神自身によって実行されなければならず、よって神が肉にお…
わたしは人々の間で多くの働きをしてきた。わたしがその間に発した言葉は数多くある。これらの言葉は人間の救済のためで、人間がわたしと融和するようにと発したものである。しかし、わたしと融和する者は、地上ではほんの数名しか得ていない。だから、人間はわたしの言葉を重んじないとわたしは言う。…