日々の神の御言葉: 終わりの日における裁き | 抜粋 77

人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。人は言葉による裁きと刑罰を通じて神のものとされる。また言葉を用いて精錬し、裁き、露わにすることで、人の心にある汚れ、観念、動機、そして個人的な願望がすべて完全に暴かれる。人は贖われ、罪を赦されたが、それによって見なし得るのは、神は人の過ちを記憶せず、その過ちに応じて人を取り扱わないということだけである。しかし、肉体において生きる人間が罪から解放されていないと、人は罪を犯し続けることしかできず、堕落したサタン的性質をどこまでも示し続ける。これが人の送る生活であり、罪を犯しては赦されるという終わりのないサイクルなのである。人類の大多数は昼間に罪を犯し、夜になると告白するだけである。このように、たとえ罪の捧げ物が人のために永久に有効だとしても、それで人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人にはいまだ堕落した性質があるからである。たとえば、自分たちがモアブの子孫であることに気づいた人々は、不満の言葉を述べ、いのちを追い求めることをやめ、すっかり否定的になってしまった。これは、人々がいまだ神の支配に完全に服従できないでいることを示しているのではないか。これがまさに、人々の堕落したサタン的性質ではないのか。あなたが刑罰を受けていなかったとき、あなたの手は他の誰よりも高く、イエスの手よりも高く上げられていた。そしてあなたは大声で叫んだ。「神の愛する子になりたまえ。神と心を通わす者になりたまえ。サタンにひれ伏すくらいなら死ぬほうがましだ。あのいまいましい悪魔に対抗したまえ。赤い大きな竜に対抗したまえ。どうか赤い大きな竜が惨めにも完全に権力の座から落ちるように。どうか神がわたしたちを完全にするように」。あなたの叫び声は他の誰よりも大きかった。しかし、刑罰の時が訪れ、人間の堕落した性質が再び明らかになった。やがて人々の叫びは途絶え、彼らの決意は失われた。これが人間の堕落である。それは罪より根深く、サタンによって植えつけられ、人の奥深くに根ざしたものである。人が自分の罪に気づくのは容易なことではない。人には自分に深く根ざした本性を認識する術がなく、そうするには言葉による裁きに頼らなければならない。そうして初めて、人はその時点から次第に変わってゆくのである。

『神の出現と働き』「受肉の奥義(4)」(『言葉』第1巻)より

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