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終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

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終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

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言葉は肉において現れる(続編)朗読

実際、今なされている働きは人々にサタンを捨てさせ、先祖を捨てさせることである。言葉による裁きのすべては人間の堕落した性質を暴露し、人々に人生の本質を理解させることを目的としている。繰り返されるこれらの裁きは全て、人々の心を刺し通す。ひとつひとつの裁きは人々の運命に直接影響を与え、人々の心を傷つけるためのものだ。その結果、彼らがこれらすべてのものを手離し、それによって、人生を知り、この汚れた世界を知り、また神の知恵と全能を知り、このサタンが堕落させた人類を知ることができるからである。この種の刑罰や裁きがあればあるほど、人の心は傷つき、人の霊はもっと目覚めることができる。これらの極端に堕落し、その欺きが最も深い人々の霊を目覚めさせることが、この種のさばきの目標である。人には霊がなく、つまり人の霊はとうの昔に死んでしまっている。そして、人は天が存在し、神が存在するということを知らないし、確かに人は死の奥底で葛藤していることも知らない。人は地球上でこの邪悪な地獄に生きているということをどのようにして知ることが可能だろうか。彼は自分の腐った死体が、サタンの堕落を通して、死のハデスに落ちたのをどのように知ることができるだろうか。彼は地上にあるものはすべて人類によって修復ができないほど長い間堕落されてしまったことをどのように知ることができるだろうか。そして今日、創造主が地に来て堕落した人々の集まりを救おうと探していることを、どのように知ることができるだろうか。人はあり得る限りの精錬と裁きを体験した後でさえ、彼の鈍った良心はほとんど奮い立つこともなく、事実上反応しない。人間は本当に堕落している!この種の裁きは空から降って来る残酷なひょうのようだけれど、それは人にとって多大な利益がある。もしこのように人々をさばかないなら、何の結果もなく、苦悩の地獄から人々を救うのは全く不可能であろう。もしこの働きのためでないなら、人々がハデスから出てくるのは非常に難しいだろう。なぜなら、彼らの心はずいぶん前に死んでおり、彼らの霊はずいぶん前にサタンによって踏みにじられたからである。堕落の深淵に沈んでしまったあなたがたを救うには、熱心にあなたがたを呼んだり、裁いたりすることが必要で、その時初めて氷のように冷たいあなたがたの心が呼び起こされるだろう。あなたがたの肉体、途方もない欲望、貪欲、肉欲はあなたがたの内にあまりにも深く根づいている。これらのものは絶えずあなたがたの心を支配するので、これらの封建的で堕落した考え方のくびきを捨て去る力があなたがたにはない。あなたがたは現状を変えたいと思わず、暗闇の影響から逃げたいとも思わない。ただこれらのものに縛られているだけである。そのような人生はあまりにも苦しく、そのような世界はあまりにも暗いと知っているとしても、あなたがたのうちたったひとりでさえこの種の人生を変える勇気はもっていない。あなたがたはただこの種の実生活から逃れ、煉獄からあなたがたの魂を解放し、平和で、幸せな天国のような環境で生きるようあこがれるだけである。あなたがたは現在の生活を変えるため進んで困難に耐えようとしないし、あなたがたが入るべき人生のために、裁きや刑罰の中で進んで探し求めることもしない。むしろ、あなたがたは肉を越えた美しい世界について、全く非現実的な夢を見ている。あなたがたが憧れている生活とは苦痛をこうむることがなく、努力しなくても望むものを得られるような生活である。それは全く非現実的だ!というのは、あなたがたが望んでいるのは肉において意義深い生涯を生きることや、生涯の歩みにおいて、真理を得ること、すなわち、真理のために生き、正義のために立ち上がることではないからだ。このような人生はあなたがたが考える光り輝く人生ではない。あなたがたはこのような人生は魅惑的で意義深い人生にはならないと感じている。あなたがたにとって、そのような人生を生きることは、実に自分たちを軽視している!たとえ今日あなたがたがこの刑罰を受けるとしても、あなたがたが追求しているものは、今生きる中で真理を獲得することでも、真理を生きることでもなく、むしろ後に、肉を越えた幸せな生活を獲得することである。あなたがたは真理を求めてもいないし、真理のために立ち上がってもいないし、真理のために存在しているわけでも勿論ない。あなたがたは今日入ることを求めてはいないが、いつの日か青い空を見上げ、天国に連れて行ってくれと悲しみに涙する日が来るだろうと常に考えている。あなたがたがそのようなことを考えること自体すでに現実離れしていることを知らないのだろうか。あなたがたはどこまでも親切で憐み深い救い主が必ず、この世の困難や試練に耐えた自分たちを連れに来てくれると思い続けている。そして力づくで、苦しめられ圧迫されたあなたの仕返しをしてくれる、そう信じている。あなたは罪で満ち溢れていないだろうか。この世で苦しんだのはあなただけだろうか。あなたは自分でサタンの領域に落ちて苦しんでおいきながら、神によるあだ討ちを必要とするのだろうか。神の要求を満たすことができない人たちはすべて神の敵ではないだろうか。人となった神を信じていない人たちは反キリストではないだろうか。あなたの良い行いは何のためなのか。それらは神を礼拝する心に取って代わることができるだろうか。あなたはただ少し良い行いをしたからと言って、神の祝福を受けることはできないし、神はあなたが苦しめられ、圧迫されたからと言ってあなたに対する不正の仇討ちをすることはないだろう。神を信じるがまだ神を知らず、良い行いをする人たちもまた――すべて懲らしめられないだろうか。あなたはただ神を信じており、ただ神があなたに対する不正を矯正し、復讐してくれることを望んでおり、また神が苦悩から逃れる道を与えてくれるよう望んでいるだけである。しかし、あなたは真理に注目することを拒否し、真理を生きることに渇いてもいない。ましてや、この辛いむなしい人生から逃れることなどできていない。それどころか、肉の人生、そして罪の人生を生きていながら、神が不満を正し、あなたの存在の霧を引き離してくれるよう期待して神を見上げている。これはどうして可能だろうか。もしあなたに真理があるなら、神に従っていくことができる。もしあなたが神の言葉に生きているなら、神の言葉の顕れとなることができる。もしあなたがいのちを持っているなら、神の祝福を楽しむことができる。真理を持っている人たちは、神の祝福を楽しむことができる。困難や苦しみに耐え、神を心から愛している人たちに神は補償を確実にするが、自分のことしか愛さず、サタンの欺きの餌食となってしまった者にはそれはない。真理を愛さない人たちに、どのように善が存在できようか。肉体しか愛さない人たちに、どのように義が存在出来ようか。義と善はすべて真理に関わってはいないのか。それらは神を心から愛している人たちのために、取って置かれているのではないだろうか。真理を愛さない人たちや腐敗した死体でしかない人たち――これらの人たちは悪を心に抱いているのではないか。真理を生きることができない人たち――彼らはすべて真理の敵ではないだろうか。そしてあなたがたはどうだろうか。

もしあなたが暗闇の影響から逃れ、これら汚れたものから離れることができ、聖くなることができるなら、それはあなたには真理があることを意味する。それはあなたの本性が変えられるということではなく、ただあなたは真理を実践することが出来、肉を捨てることができるということである。これが清められた人たちの状態である。征服する働きの主な目標は人間を清めることで、そうして人は真理を持つことができる。なぜなら、人は今ほとんど真理を持っていないからだ!このような人たちを征服するのはとても深い意味がある。あなたがたは暗闇の影響下に落ち、深く傷つけられた。だから、この働きの目標は、あなたがたに人間の性質を理解できるようにさせ、それによって真理を生きることができるようにするためである。完全にされることとは、すべての被造物が受け入れるべきことである。この段階の働きが人々を完全にすることだけに関わっているなら、それは、イギリス、アメリカ、イスラエルなどどこにおいてもできる。それはどの国の人々にもすることができる。しかし、征服する働きは選ばれたものでなくてはならない。征服する働きの第一ステップは短期間である。さらに、それはサタンを辱しめ、全宇宙を征服するために用いられる。これは征服する最初の働きである。神を信じる人ならだれでも完全にしてもらうことができる、と言うこともできる。なぜなら、完全になることは長期間の変化の後でしか成就することができないからだ。しかし、征服されることはべつのことである。征服される人の良い見本は、最後方でのろのろと歩き、最も深い闇に生きており、最も堕落して、最も神を受け入れ難く、最も神に不従順な人でなければならない。このような人こそ、征服されたことを証拠立てることができる。征服する働きの主な目標はサタンを打ち負かすことである。もう一方で、人々を完全にする主な目標は人々を神のものとすることである。それは征服する働きがここであなたがたのような人たちに対してなされたと、人々が証しするためである。征服された人々、後になって証しをさせることが目的である。これら征服された人々はサタンを辱しめるという目的を達成するために用いられる。それでは、征服の主要方法は何だろうか。刑罰、裁き、呪い、顕示――人々を征服するために義の性質を用いて、その結果、彼らは神の義なる性質の故に、彼らの心と口は確信で満たされ、彼らは完全に確信する。人々を征服し、彼らを完全に確信させるために、言葉の現実性を用い、言葉の権威を用いること――これが征服されるという意味である。完全にされた者たちは、征服されたあと服従することが出来るだけでなく、認識を持ち、彼らの性質を変えることもできる。彼らは神を知っており、神を愛する道を体験しており、真理で満たされている。彼らは神の働きを体験する方法を知っており、神のための苦難を物ともせず、自分たちの意思を持っている。完全にされた者たちは真理を体験したおかげで、真理を実際に理解している人たちのことである。征服された者たちとは真理について知っているが、まだ真理の本当の意味を受け入れていない人たちのことである。征服されてから、彼らは従うが、彼らの従順さは彼らが受けた裁きのすべての結果である。彼らは多くの真理について実際の意味は全く理解していない。彼らは口頭では真理を認めるが、真理に入っているわけではない。彼らは真理を理解するが、真理を体験してはいない。完全にされる者たちに行われる働きとは、いのちの備えと共に刑罰と裁きが含まれている。真理に入ることに価値を認める人は、完全にされる人である。完全にされる人たちと征服される人たちとの違いは彼らが真理に入るかどうかである。真理を理解し、真理に入っており、真理を生きている人たちは完全にされた人たちである。真理を理解せず、真理に入らず、真理を生きていない人たちは完全にされることができない人たちである。もしそのような人たちが、今、徹底的に服従することができるなら、彼らは征服されるのである。もし征服された人たちが真理を求めず――もし彼らは付き従っているが、真理を生きていないなら、もし彼らは真理を見て聞いているが、真理を生きる価値がないと思っているなら――彼らは完全にされることはできない。完全にされる人たちは、完全への道に従って、真理を実践する。すなわち、彼らは完全への道に基づいた真理を実践するのである。これを通して、彼らは神の心を成就し、彼らは完全にされる。征服する働きが終わる前に、最後まで従う者は征服された者であるが、完全にされたものとは言えない。完全にされた人たちとは、征服される働きが終わってから、真理を追求し、神のものとされることができる人たちのことである。それは、征服する働きが終わってから、患難においてしっかり立ち、真理どおりに生きる人たちのことを意味する。完全にされることと征服されることの違いは働きの方法が違い、真理を持つ度合いが違う。完全への道にまだ歩みだしていない人たち、つまり、真理を持っていない人たちは、やはり最終的には排除される。真理を持ち、真理を生きている人たちだけが完全に神のものとしてもらうことができる。すなわち、ペテロの似姿を生きている人たちこそ完全にされた人たちで、その他の人たちは征服された人たちである。征服されている人たちすべてになされている働きは単に、呪い、刑罰、怒りの顕示などから構成されている。彼らにやって来るのは単に、義と呪いである。そのような人に働きを行うこととは、遠慮なしに示すこと――彼が自分自身それを認め、完全に確信するよう彼の内にある堕落した性質を示すことである。人がいったん完全に従順になると、征服の働きは終わる。ほとんどの人たちが依然として真理を理解するよう求めてはいなくても、征服の働きは終わったことになる。

もしあなたが完全にされることができるなら、見合わねばならない基準がある。あなたの決意、忍耐、良心を通して、またあなたの追求を通して、あなたはいのちを体験し、神の心を成就することができる。これらはあなたの入ることで、完全への道に要求されることである。完全になるための働きはすべての人々に成すことができる。神を追い求める人は誰でも、完全にされることができ、完全にされるための機会と資格が備わっている。ここには鉄則はない。人が完全にされるかどうかは、主にその人が追い求めているものによる。真理を愛し、真理を生きることができる人たちは確かに完全にされることができる。そして、真理を愛さず、神に褒められない人たちは、神が要求するいのちを持っていない。このような人たちは完全にされることはない。完全のための働きは人々を獲得するためだけにあり、サタンとの戦いのステップではない。征服の働きはサタンと戦うためだけに、つまり、サタンを打ち破るために人の征服を用いることを意味する。後者が主な働きであり、どんな時代にも決して成されることはなかった最新の働きである。サタンを打ち負かすよう全ての人たちを征服することがこの段階の主な働きの目標であると言うことができる。人々を完全にする働き――それは新しい働きではない。神が肉において働いている期間中での全ての働きは、人々の征服をその主要目標として持っている。これは恵みの時代の時と同様である。十字架の磔による全人類の贖いが主な働きであった。「人々を獲得すること」とは肉における働きに追加されたもので、十字架の磔の後だけになされた。イエスがやって来て、その働きをした時、イエスの目標は十字架の磔によって死のくびきとハデスに対して勝利することで、サタンの影響に勝利し、サタンを打ち負かすことだった。ペテロが一歩ずつ完全への道に乗り出したのは、イエスが十字架にかかった後のことだった。もちろん、ペテロはイエスが働いている間、イエスに従った人たちの中にいたが、彼はその時はまだ完全にされていなかった。ペテロが次第に真理を理解し、そして完全にされていったのは、むしろイエスが働きを終えた後だった。肉となった神は、重要できわめて重大な働きの段階を完了するためだけに短期間地上にやって来る。彼は地上の人々の中に長い間住んで、意図的に人々を完全にするのではない。彼はそのようには働かない。人が彼の働きを終えるために完全にされるその時まで、彼は待つことはしない。それが神の受肉の目標や意義ではない。彼は人間を救うために短期間の働きをするためにやって来たのであって、人間を完全にするため長期間働くためにやって来たのではない。人間の救いの働きは代表的なものであり、新しい時代に突入することができ、短期間に終わることができる。しかし、人間を完全にするには人をある程度のレベルまで持ってくる必要があり、長い時間がかかる働きである。この働きは神の霊によって成されなければならないが、肉において働いている間、神が語る真理に基づいて成される。あるいはその上に、神が人間を完全にする目標を達成するために、長期間の人の牧養を目的として、使徒たちを育てる。人となった神はこの働きをしない。神が人に真理を実践させるにあたり、常に人に付き添うというのは本来の使命ではないため、神はそのようなことはせず、ただいのちの道について語り、人々に理解させ、真理を与えるだけである。だから、神は人が真理を完全に理解し、真理を完全に手に入れるまで、人に同行するということはしないだろう。人が正式にいのちの真理の正しい道に入るとき、そして人が完全にされるための正しい道に踏み出すとき、肉における神の働きは終わりとなる。これはもちろん神が完全にサタンを負かし、世界に勝利する時でもある。神は人がその時、最終的に真理に入ったかどうかを気にするのでもなく、人のいのちが大きいか小さいかを気にするのでもない。それらのうちどちらも、肉の中の神が管理すべきことではない。肉となった神の働きにあるのでもない。神が一旦意図した働きを終えると、肉における神の働きを終える。だから人となった神がする働きは、神の霊が直接できない働きのみである。さらに、それは短期間の救いの働きで、地上での長期にわたる働きではない。

あなたがたの品格を育でるのはわたしの働きの範囲ではない。わたしはあなたがたの品格があまりにも劣っているので、このことをお願いしたい。実際、これは人を完全にする働きの一部ではない。むしろ、あなたがたに成される余分な働きである。今日あなたがたに成される働きは、あなたがたが必要とすることに応じて成される。それは個人の特性に合わせられ、完全にされる全ての人が入るような道ではない。あなたがたの品格はかつて完全にされた他の人たちより、劣っているので、この働きが、あなたがたに成される時、あまりにも多くの障害に遭遇する。わたしはあなたがたの間で、この余分な働きをしている。なぜなら、完全にされることの目標が違うからである。通常、神が地上に来る時、神は自身の働きをすべき狭い範囲内に留まり、他の仕事であまり時間を無駄にしない。神は家族の問題に係わることはなく、人々の生活に係わることもない。神はそのような些細なことには全く関心を払わない。それらは神の働きの一部ではない。しかし、あなたがたの力量はわたしが要求したものとは比較にならないほど劣っているので、わたしの働きに難題をもたらす。さらに、この働きはこの中国に住む人々の間で成されなければならない。あなたがたはあまりにも教養が低いので、あなたがたが教育を受けるよう要求するしかない。わたしはあなたがたにこれは余分な仕事であると言ったが、しかし、それはあなたがたがどうしても必要なもので、あなたがたが完全になるために役立つものである。実際、あなたがたは教育を受け、人間としての常識、生活に関する基本的知識などを身につけるべきである。これらの事に関して、あなたがたにあえて話す必要はないはずだ。しかし、あなたがたはこれらを身につけていないので、わたしはあなたがたに事後にそれらを付け加えるという働きをする以外はない。たとえあなたがたがわたしについて多くの固定観念を抱いているとしても、わたしは依然としてこれを要求し、あなたがたの品格を上げるよう要求する。ここに来てこの働きをするのはわたしの意図ではない。なぜなら、わたしの働きはただあなたがたを征服し、あなたがたを裁いて完全な確信を獲得することであり、それによってあなたがたが入るべきいのちの道を示すことであるからだ。言い換えると、わたしの言葉によってあなたがたを征服しなければならないという事実以外には、あなたがたがいかに教養があり、生活について知識があるかどうかなどは全くわたしとは関係がない。これら全てのことは征服する働きからの結果を確かめるためと、あなたがたのその後の完全さのために付け加えられている。それは征服する働きのひとつの段階ではない。あなたがたは品格に乏しく、怠け者で、無頓着で、愚かで、飲み込みがおそく、活気がなく、大ばかであるので――あなたがたは極端に異常なので――わたしはまずあなたがたの品格を上げるよう要求する。完全にされたいと思う者は誰でもある基準を満たさなければならない。完全になるためには、人は明白で冷静な心を持ち、意義深い人生を生きたいと思うようでなければならない。もしあなたがむなしい人生を生きることを望まず、真理を求め、全てのことに熱心で、特に普通の人間性を持っているなら、あなたは完全にされる資格がある。

あなたがたの間で行うこの働きは、必要に沿ってあなたがたに対して行われている。このような個々人ごとの征服が終わってから、あるグループの人たちが完全にされる。よって、現在の働きの多くは、あなたがたを完全にするための準備でもある。完全にされることが可能な人で、真理に飢えた人は多いからである。もし征服する働きがあなたがたになされ、そのあとさらなる仕事はなされないなら、真理を待ち焦がれている人がそれを獲得しないことにならないだろうか。現在の働きはあとで人々を完全にするための道を開くことを目的としている。わたしの仕事は征服だけだけれど、わたしによって語られたいのちの道はあとで人々を完全にするための準備である。征服の後に来る働きは人々を完全にすることが中心となり、よって征服は完全になるための基盤を敷くためになされる。人は征服されてからしか完全にされることはできない。今ここでの主要な働きは征服することで、その後、真理を求め待ち焦がれる人たちが完全にされる。完全にされるためには、いのちに入ることに関する人々の積極的な面が係わって来る。あなたは神を愛する心を持っているだろうか。あなたがこの道を歩いたとき、どれくらい深く経験したのだろうか。あなたの神への愛はいかに純粋だろうか。あなたの真理の実践はいかに正確であろうか。完全にされるためには、人は人間性のすべての側面に関して基本的知識を持っていなければならない。これが基本要件である。征服されてから完全にされることができない人たちは奉仕する「物」となり、最終的にはやはり火と硫黄の池に投げ込まれ、地獄に落ちるだろう。なぜならあなたの性質は変わっておらず、依然としてサタンに属するからである。もし人が完全になるための資格を欠いているなら、その人は役立たない――火の試練に耐えることができない屑で、道具のひとつでしかない。今、神へのあなたの愛はどれくらい大きいだろうか。あなたは自分自身をどのくらい嫌っているだろうか。あなたはサタンのことをどのくらい深く知っているだろうか。決心はさらに固くなっただろうか。人間としてのあなたがたの生活は規則正しいだろうか。あなたがたの生活は変わったろうか。あなたがたは新しい生活を生きているだろうか。あなたがたの人生の見方は変わったろうか。もしこれらのことが変わっていなかったら、あなたはたとえ退かなくても完全にされることはない。あなたはただ征服されただけである。あなたに試練が訪れるとき、あなたの状態は、真理が欠けており、その人間性は異常で、獣並みに下等である。あなたはただ征服されただけで、わたしによって征服されたひとりでしかない。主人のむちを経験したろばは、主人を恐れるあまりに、主人を見るたびに恐怖から行動できなくなる。あなたも征服されたろばと同じである。人がこれらの積極的局面に欠き、消極的で、おびえていて、臆病で、全てに弱気で、何ごともはっきり識別できず、真理を受け入れることもできず、依然として実践の道がなく、神を愛する心はなおさらなく――もし人が神をどのように愛するかを知らず、どのように意義深い人生を生き、どのように本当の人間になるかというようなことが分からなければ――そのような人はどのようにして神の証人になり得るだろうか。これはあなたの人生にはほとんど価値がなく、あなたは征服されたろばでしかないということを示している。あなたは征服されたが、それはあなたが大きな赤い竜を捨て、その支配への服従を拒否することを意味しているだけである。それはあなたが神の存在を信じ、神の采配のすべてに従うことを望み、何ら不満がないことを意味する。しかし、積極的な局面はどうだろうか。神の言葉を生きる能力、神を顕す能力――いずれもあなたには持ち合わせていない。つまりあなたは神のものとされていないことを意味し、ただの征服されたろばにすぎないということだ。あなたには望ましいものは何もなく、聖霊はあなたの中で働いていない。あなたの人間性は、あまりにも欠けが多く、神があなたを用いるのは不可能である。あなたは神に承認され、不信仰な獣や歩く死人より100倍良い存在にならなくてはいけない――このレベルにまで到達する者たちだけが完全にされる資格がある。もし人間性があり、良心がある人なら、神に用いられるのにふさわしい者である。あなたがたは完全にされてのみ、人間と見なされる。意義深い人生を生きることができるのは、完全にされた人たちだけである。そのような人たちだけが、更に力強く神の証人となることができる。

終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

神の現れによる新時代の到来 神は人のいのちの源である 神の裁きと刑罰に神の出現を見る 神の経営の中でだけ人は救われる 七つの雷が轟く -- 神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言 救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である キリストに味方しない者は確実に神の敵だ 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない キリストと融和する道を探せ あなたは本当に神を信じているのか キリストは、真理を以て裁きの働きを行う 神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか 終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる あなたは誰に忠実か 三つの忠告 神の性質を理解することの並ならぬ重要性 神は全人類の運命を支配する 全能者のため息 信者はどんな見解を持つべきか 堕落した人間は神を体現することができない 宗教奉仕を取り締まるべきである 神を信じているなら神に従うべきだ 完全にされた人々への約束 悪人は罰せられなければならない 現実をどのように知るか 神の心にかなう奉仕とは 千年神の国は訪れた 実践的な神は神自身であることを知るべきである 今日の神の働きを知るということ 神の働きは人間が想像するほど簡単か あなたは神を信じているので真理のために生きるべきである 肉となった神と神に使われる人々との間の本質的違い 神の信仰は宗教的儀式でなく現実に焦点を合わせるべきである 今日の神の働きを知る人々のみ神に仕えることができる 神の国の時代は言葉の時代(前半) 神の国の時代は言葉の時代(後半) すべてが神の言葉によって達成される(前半) すべてが神の言葉によって達成される(後半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (前半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (後半) 「千年神の国は訪れた」についての短い話 神を知る者だけが、神の証人となることができる ペテロはどのようにイエスを知るようになったか 神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる あなたは生かされたか 性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである 二度の受肉が受肉の意義を完成させる 三位一体は存在するのか(前半) 三位一体は存在するのか(後半) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート1) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート2) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート3) 将来の使命にどのように取り組むべきか 神について何を理解しているのか 本物の人とは何を意味するか あなたは信仰について何を知っているか 肉なる者は誰も怒りの日を逃れることはできない 福音を広める働きは、人を救う働きでもある 律法の時代における働き 贖いの時代における働きについての真実 あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (前半) あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (後半) 呼び名と身分について(前半) 呼び名と身分について(後半) 自己の観念で神を規定している人がどうして神の啓示を受けることができるだろうか 神とその働きを知る者だけが神の心にかなう 受肉した神の職分と人間の本分の違い( 前半) 受肉した神の職分と人間の本分の違い ( 後半) 神はすべての被造物の主である 神の働きと人の働き(前半) 神の働きと人の働き (後半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(前半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(後半) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート1) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート2) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている(パート3) 神の宿る肉の本質 (前半) 神の宿る肉の本質 (後半) 神の業と人間の実践(前半) 神の業と人間の実践(後半) キリストの本質は父なる神の心に従うことである 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (前半) 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (後半) 神と人は共に安息に入る(パート1) 神と人は共に安息に入る(パート2) 神と人は共に安息に入る(パート3) 祈りの実践について 新時代の戒め 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋 (パート1) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート3) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート4) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋( パート1) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋 パート2 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート1) 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋( パート1) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋 (パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート3) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート4) 神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 パート1 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 (パート2) 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋( パート3) 四番目の言葉 五番目の言葉 六番目の言葉 七番目の言葉 八番目の言葉 九番目の言葉 十番目の言葉 十一番目の言葉 十二番目の言葉 十三番目の言葉 十四番目の言葉 十五番目の言葉 十六番目の言葉 十七番目の言葉 十八番目の言葉 十九番目の言葉 二十番目の言葉 二十一番目の言葉 二十二番目の言葉 二十三番目の言葉 二十四番目の言葉 二十五番目の言葉 二十六番目の言葉 二十八番目の言葉 二十九番目の言葉 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている (後半) 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている(前半) 地上の神をどのように知るか 神の働きを経験する者のみが真に神を信じる 完全にされた者だけが意義ある人生を送ることができる 二十七番目の言葉

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