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終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

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終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

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言葉は肉において現れる(続編)朗読

12.征服の働きで達成される成果は、主に人間の肉が反抗をやめることである。つまり、人間の知性が神について新たに理解できるようになり、人の心が完全に神に従うようになり、人が神のために存在することを決心することである。人の性格やその肉体がどのように変わるかによって、その人が征服されたか否かが決まるのではない。むしろ、考え、意識、理知が変化するとき、つまり、精神的態度全体が変わるとき、神に征服されたのである。従うことを決意し、新たな心的態度を自分のものとし、もはや神の言葉や働きに自分なりの観念や意図を持ち込まず、頭脳は普通に考えられ、つまり、神のために心から努力できるなら、このような人は完全に征服された人である。

13.宗教の領域では、多くの人々は肉体を抑制したり、十字架を負ったりして生涯にわたって大いに苦しみ、最期の息を引き取るまで苦しみ忍耐することさえする。中には死ぬその朝まで断食を続けている者もいる。このような人々はよい食物やよい衣服を生涯自らに否定し、苦しみだけを重視する。彼らは肉体を抑制し、自らの肉を捨てられる。彼らの苦しみに耐える精神は賞賛に値する。しかし、彼らの考え方、観念、精神的態度、そしてまさに古い本性は、まったく取り扱いを受けていない。彼らは自らを真に理解していない。彼らが心に抱いている神の姿は、伝統的な抽象的で漠然としたものである。彼らの神のために苦しもうという決意は、熱意と積極的な性格から来ている。彼らは神を信じてはいるが、神を理解していないし、神の心を知りもしない。彼らは神のためにただ盲目的に働き、盲目的に苦しんでいる。彼らは識別することを一切重視しないし、自分たちの奉仕が実際に神の心を満たすようにするにはどうするかということもほとんど考慮していない。また、神を理解するためにはどうするかということもほとんど知らない。彼らの仕える神は本来の姿のものではなく、自分たちが作り上げた神、彼らが人から聞いた神、あるいは、書物にある伝説的な神である。そして、彼らは生き生きとした想像力と信仰心から神のために苦しみ、神が望む働きに取り組む。彼らの奉仕はあまりに不正確で、実際にはほんとうに神の心を満たすような奉仕をしている人は誰もいない。どんなに苦しむことを厭わないとしても、彼らの元来からの奉仕についての考え方と彼らの想像する神の姿は変わっていない。彼らは神の裁きと刑罰、精錬と完成を経験していないからであり、誰も彼らを真理で導いていないからである。たとえ救い主イエスを信じていても、彼らの誰一人として救い主を見たことがない。彼らはただ伝説と噂で神を知っているだけなのである。だから、彼らの奉仕は目の見えない人が父親に仕えているように、目を閉じて行き当たりばったりに仕えているにすぎない。このような奉仕で最終的に何を達成できるであろうか。そして、誰がそれを認めるのであろうか。最初から終わりまで、彼らの奉仕はまったく変わらない。彼らは人間の作り出した教えを受け、自分たちの性質と好みとに基づいた奉仕をする。それでどんな褒美を受けられるのであろうか。イエスを見たペテロでさえ神の心にかなう奉仕の仕方を知らなかった。彼が理解したのは最後、老年になってのことである。このことから、取り扱いも刈り込みも経験したことがなく、導いてくれる人がいたことがない、目の見えない人々について何が言えるであろうか。現在のあなたたちの奉仕はそうした目の見えない人たちのもののようではないのか。裁きを受けていない人々、刈り込みと取り扱いを受けず変わらずにいる人々──こうした人々はまったく征服されていないのではないか。そうした人々が何の役に立つだろうか。考え方、人生の理解、神についての理解が何の変化もなく、少しも実際に得たものがないのなら、けっして奉仕によって顕著な成果を得られない。ビジョンなしで、神の働きについての新しい理解なしでは、征服された者にはなれない。そうであるなら、あなたの神に従う方法は、あの苦しみ断食する人たちと同じである。──それは少しも役に立たない。彼らのすることには証しがないからこそ、その奉仕が無駄だとわたしは言うのである。彼らは生涯をとおして苦しみ、監獄で過ごし、あらゆる瞬間に耐え、愛と優しさを重視し、十字架を負う。彼らは世の中からけなされ、拒まれ、あらゆる苦難を経験してきた。彼らは最後まで従うが、それでも征服されておらず、征服されたことについて何の証しもできない。彼らは少なからぬ苦しみを経ているが、心の中ではまったく神を知らずにいる。彼らの古い考え方、古い観念、宗教的実践、人間がつくった理解、人間の考えは取り扱いを受けていない。そこには新しい理解がまるでない。彼らの神についての理解は、少しも真実でも正確でもない。彼らは神の心を誤解している。それが神に仕えるということでありえるであろうか。あなたが過去にどのように神を理解していたとしても、あなたは今日も同じ理解をもち続けており、神が何をしようと、自分なりの観念や考えに基づいた神に関する理解をもち続けているとしよう。つまり、神について新しい本物の理解を何ももっておらず、神の真の姿や性質を知ることができないでいるとしよう。あなたの神についての理解がまだ封建的な迷信的な考え方に基づいていて、人間の想像や観念に導かれているとしよう。もしそうなら、あなたはまだ征服されていないのである。わたしがこうしたことを今述べているのは、あなたに理解させ、この認識によって正しく新たな理解へと導くためである。また、あなたのもっている古い考えや古い認識を捨てて、新たな理解をもてるようにするためでもある。もしほんとうにわたしの言葉を飲み食いするなら、理解は大きく変わるであろう。神の言葉を飲み食いするときに従順な心を持ち続けるなら、考え方は変わるであろう。繰り返し刑罰を受け入れられる限り、古い考え方は徐々に変化するであろう。古い考え方が新たなものに置き換えられるなら、実践もまたそれに伴って変わっていくであろう。このようにして、奉仕はますます適切なもの、ますます神の心にかなうものになっていくであろう。もし自分の生活、人生の理解、神についての多くの観念を変えられるなら、持って生まれた性質は徐々に減じるであろう。これが、そしてこれこそが、神が人間を征服した結果なのである。これが人間に見られる変化である。神を信じていながら、あなたの知っていることが、自分の体を抑制し、耐え、苦しむことだけで、自分のしていることが良いのか悪いのか、まして、それが誰のためなのかはっきりわかっていないのなら、どうしてそのような実践が変化につながるであろうか。

14.あなたたちは、わたしがあなたたちに要求していることが、あなたたちの体が縛り付けられ、あなたたちの脳が支配され、自由に考えることが妨げられることではないということを理解なければいけない。これは働きの目標でもなければ、現在行わなければいけない働きでもない。……あなたたちは神の働きを理解し、自分の本性、本質、古い生活を理解する必要がある。あなたたちはとりわけ、過去の誤った実践と人間の行いについて知らなければいけない。変わるためには、自分の考え方を変えることから始めなければいけない。まず、古い考えを新しいものに変え、新しい考えにあなたたちの言葉と行動、生活を支配させなさい。これが、今あなたたちの一人一人に求められていることである。盲目的に実践し、盲目的に従うのはやめなさい。あなたたちは根拠と目標をもたなければならない。自分を騙すのではない。あなたたちは、自分の神への信仰が何のためなのか、それから何が得られべきなのか、今あなたたちは何に入っていかなければならないかがわかっていなければならない。これらすべてをあなたは知らなければならない。

15.神の業についての理解が変わり、神の語ることすべての真理について新たな理解を得、内面の理解が向上すれば、生活はより良い方向に変化するであろう。今、人々のすること、言うことは、みな実際的である。これらは教義ではなく、人間のいのちに必要なこと、もっているべきことである。これが征服の働きの間に人間に起こる変化、人間が経験するべき変化であり、これが人間が征服された結果である。あなたが考え方を変え、新しい精神的態度を身につけ、観念や意図、過去の論理的な論法を捨て、あなたの内に深く根ざした諸々のことを捨て、神への信仰についての新たな理解を得るとき、あなたの示す証しは向上し、あなたの人となりのすべては真に変わるであろう。こうしたことはみな、最も実践的で最も現実的で最も基本的な事がら、つまり以前は人々が触れるのが難しく、かかわることのできなかった事がらである。これらが霊の真の働きである。

16.すべての征服の働きの終わりに、あなたたちみなが神はイスラエル人だけの神ではなく、むしろあらゆる被造物の神であることを理解していなければならない。神はイスラエルの民だけではなく人類すべてを創造した。神がイスラエル人だけの神だとか、イスラエル以外の国で神が受肉するのは不可能だと言うのなら、まだ征服の働きにおける何らの理解にもいまだに到達しておらず、神が自分の神だと全く認めていないのである。あなたが認めているのは、神がイスラエルから中国に移り、あなたの神であることを強いられているということだ。まだこのような見方をしているのなら、わたしの働きはあなたにおいて無益で、あなたはわたしの言ったことを何一つ理解していないのである。結局、マタイのようにわたしの系図を書き、わたしに適切な祖先をみつけ、わたしに正しい系統をみつけ、そのゆえに二度の受肉に二つの系統をもつことになるならば、これは世界最大の冗談にならないであろうか。わたしの系図を発見した「善意の人」としてあなたは、神を分割した人になってしまっていたのではないのか。そんな罪の重荷をあなたは負えるだろうか。これだけの征服の働きの後でも、神があらゆる被造物の神であることをあなたがいまだに信じおらず、神はイスラエル人だけの神だといまだに信じているのなら、あなたは公然と神に抵抗していることになるのではないか。あなたを今日征服する目的は、神があなたの神であり、他者の神であり、最も重要なことに、神を愛するすべての人の神であり、すべての被造物の神であることをあなたに認めさせることである。神はイスラエル人の神であり、エジプトの人々の神である。神は英国人の神でアメリカ人の神である。神はアダムとエバだけの神ではなく、アダムとエバの子孫すべての神でもある。神は天のすべてのものと地上のすべてのものの神である。

17.イスラエル民族も異邦人の諸民族も一つの神の手の内ではみな同じである。神はイスラエルで数千年働き、かつてユダヤに生まれただけでなく、今日中国、赤い大きな竜の国がとぐろを巻いている場所に顕現した。もしユダヤに生まれることで神がユダヤ人の王になるのなら、あなたたちみなの間に顕現していることで、神はあなたたちの神となるのではないのか。神はイスラエルの民を導きユダヤに生まれたが、また、異邦人の国にも生まれる。神の働きはみな、神が創造した人類全体のためではないのであろうか。神はイスラエルの民を百倍愛し、異邦人を千倍憎んでいるのであろうか。それはあなたたちの観念ではないのか。神を認めないのはあなたたちである。神があなたたちの神ではなかったということではない。神を拒んでいるのはあなたたちである。神があなたたちの神でありたくないということではない。被造物の中の誰が全能者の手の中にいないのか。今日あなたたちを征服するのは、神があなたたちの神にほかならないとあなたたちに認めさせることが目標なのではないのか。もしあなたたちが神はイスラエル人だけの神であるといまだに言い張り、イスラエルのダビデ家が神の誕生の起源であり、イスラエル以外の民族はどれも神を「生む」資格がないどころか、異邦人の民族はヤーウェの働きを直接受けられはしないと信じているのなら──もし、まだこのように考えているのなら、それは、頑固に抵抗していることではないのか。いつまでもイスラエルにこだわるのではない。神は現在ここ、あなたたちのもとにいる。また、天を仰ぎ見てばかりいるのではない。天の神を慕い求めるのはやめなさい。神はあなたたちのもとに来たのだから、どうして天にいるのか。神を信じるようになって長くはないのに、あなたは神についていろいろな観念をもっている。イスラエル人の神があなたたちに現れて恵みをくださるとは、まるで考えようとしないほどである。まして耐え難いほど汚れている自分たちが神が現れるのを見られるとは考えようとしない。あなたたちはまた、神がどうして異邦人の国に直接顕現しえるということを考えてみたこともない。神はシナイ山かオリーブ山に下り、イスラエル人に現れるはずではないのか。異邦人(つまり、イスラエルの外の人々)はみな、神の嫌悪の対象ではないのか。どうして神が自らそうした者の間で働くのか。こうしたことはみな、あなたたちが長年の間にもつに至った根深い観念である。今日あなたたちを征服する目的は、あなたたちのそうした観念を打ち砕くことである。だから、あなたたちは神がシナイ山やオリーブ山ではなく、あなたたち、過去に神が導いたことのない民族の間に現れるのを見た。

18.神がイスラエルで二つの段階の働きをした後、イスラエル人とすべての異邦人は等しくある観念を抱くようになった。神は確かにあらゆるものを創造したが、神はイスラエルの民だけの神であり、異邦人の神になることは望まない。イスラエル人は次のように信じている。神は自分たちだけの神であり、あなたたち異邦人の神ではなく、また、あなたたちはヤーウェを崇めないので、ヤーウェ、私たちの神は、あなたたちを憎んでいる。こうしたユダヤ人はさらにこうも信じている。主イエスは私たちユダヤ人の姿をとり、ユダヤ民族のしるしをつけた神である。神が働くのは私たちのもとである。神の姿と私たちの姿は同じである。私たちの姿は神に近い。主イエスは私たちユダヤ人の王である。異邦人には、このような偉大な救いを受ける資格がない。主イエスは私たちユダヤ人の罪のための捧げ物である。イスラエル人やユダヤの人々がこうした多くの観念をもつようになったのは、単にあの二段階の働きに基づいたものである。彼らは神を自分たちだけのものと傲慢に主張して、神が異邦人の神でもあることを認めない。このように異邦人の心の中で神は空白になった。これは神は異邦人の神になることを望まず、イスラエル人──神の選ばれた民──そしてユダヤ人、とりわけ神に従った弟子たち、だけを好むのだと誰もが信じるようになったためである。ヤーウェとイエスの働きはすべての人間の存続のためであると知らないのか。あなたは今、神はあなたたちイスラエルの外に生まれた者たちみなの神であると認めるのか。神は今日ここあなたたちのもとにいるのではないか。これは夢ではありえない。そうではないか。あなたたちはこの現実を受け入れないのか。あなたたちはこれを信じることもこれについて考えることもしようとしない。あなたたちがどのように見ようと、神はここ、あなたたちとともにいるのではないのか。あなたたちはこれらの言葉を信じることをまだ恐れているのか。今日のこの日から、すべての征服された人々と神に従いたいと願う者はみな神の選ばれた民なのではないのか。あなたたち、今日信者である人々はみなイスラエルの外で選ばれた民なのではないのか。あなたたちの身分はイスラエル人と同じなのではないのか。これはみなあなたたちが認めなければいけないことではないのか。これはあなたたちを征服する働きの目標なのではないのか。あなたたちは神を見ることができるのだから、神は永遠に、始まりから未来まで、あなたたちの神である。あなたたちみなが神に従い、忠実で従順な被造物である限り、神はあなたたちを見捨てない。

19.完全にされるということは、どういう意味だろう。征服されるということは、どういう意味なのだろうか。征服されるには、どういう条件を満たさなければならないのか。また、完全にされるには、どういう条件を満たさなければならないのか。征服することと完全にすることは、いずれも人間が本来の姿に戻り、堕落したサタンのような性質とサタンの影響から自由になれるように人間を形成することにある。この征服は人間を形成する過程の初期に行われる。つまりそれは、その働きの一番最初の段階なのだ。完全にするのは第二の段階、あるいは終結の業である。人間はみな、征服される過程を経なければならない。そうでなければ、神を知ることができず、神がいることを知ることはない。つまり、人は神を認めることができないのだ。そして、もし神を認めることができないのなら、人が神に完全にされることは不可能である。なぜなら、その人はその完成の条件を満たさないからだ。もしあなたが神を認めもしないのなら、どうして神を知ることができよう。また、どうやって神を求めたらよいのか。また、あなたは、神について証しすることができない。まして、神を満足させるような信仰をもつことなどできようか。だから、誰でも完全にされたい者にとっての第一段階は、征服の働きを経ることでなければならない。これがまず最初の条件である。しかし、それが征服であれ、完全にすることであれ、それぞれが人間を形成し、変えることを目的としており、人間を経営する(救う)働きの項目なのだ。この二つの段階は、人を完全な人間に変えるうえで必要とされるものだ。どちらの段階も抜かすことはできない。確かに「征服される」というのは良い響きではないが、実際のところ、人を征服する過程とは、その人を変える過程なのだ。征服された後、あなたは、自分の堕落した性質をまだ完全には取り除くことができないかもしれないが、あなたは、そのことを知ることになるのだ。征服の業を通して、あなたは自分の低い人間性を知るようになり、自らのひどい不服従も知ることになるだろう。短期間の征服の業では、あなたはそれらを捨てることも変えることもできないだろうが、あなたは、それらを知るようになるであろう。このことが、あなたを完全にするための基礎を築く。だから、征服することと完全にすることとは、どちらも人間を変えるために行われることで、どちらも人間の堕落したサタンによる性質を取り除き、その結果、自身を神に完全にささげられるようにするものだ。ただ、征服されるということは、人間の性質を変える最初の段階であり、また、人間が完全に神に身を捧げることにおける第一段階であり、完全にされることより一段低い段階であるというだけだ。征服された人のいのちの性質は、完全になった人のものよりもずっと変化が少ない。征服されることと、完全にされることとは、概念的に互いに異なっている。何故ならそれは、違う段階の働きであって、人々を異なった水準に応じて扱う。だから、征服では低い水準に応じて扱い、完全にする段階では、より高い水準を適用する。完全にされた者は義なる人々、聖められ純粋にされた人々である。彼らは、人間を経営する働きの結晶化したもの、あるいは完成品である。彼らは欠点のない人間ではないが、意味のある人生を生きることを求める人々である。では、征服された者はどうなのか。彼らは、ただ言葉で神が存在することを認めるだけだ。彼らは神が受肉し、言葉が肉で現れ、神が裁きと刑罰の業を為すために地に来たことを認める。彼らはまた、神の裁きと刑罰、神の鞭と鍛錬は、すべて人間にとって有益であることを認める。つまり、彼らは、ちょうど人間の本来の姿を持ち始めたばかりで、人生について何らかの理解はしているが、それはまだ漠然としている。言い換えると、彼らは人間性をもち始めたばかりなのだ。これらが征服されることの成果である。人々が完全への道に踏み出すと、彼らの古い性質は変えられる。さらに、彼らのいのちは成長を続け、彼らは徐々により深い真理の中へ入っていく。彼らは世を忌み嫌うことができ、真理を求めないすべての者たちを嫌悪をすることができる。彼らはとりわけ自分自身を嫌悪するが、ただそれだけではなく、彼らは明らかに自分自身を知っている。彼らには真理によって生きる意欲があり、真理を求めることを自分たちの目標とする。彼らは自分たちの脳が生み出した考えの中で生きるつもりはなく、人間の独善、傲慢、うぬぼれに深い嫌悪感を持つ。彼らは礼節を強く意識して話し、識別力を持ってものごとに対処し、知恵を備え、神に忠実に従う。もし彼らが刑罰と裁きとを経験することがあると、彼らは受動的になったり弱くなったりしないどころか、そのことを感謝する。彼らは神の刑罰と裁きなしではやっていけない。彼らはそれを通して神の守りを受ける。彼らは平和と喜びと飢えを満たすパンの信仰を求めない。まして、彼らは一時的な肉の快楽を追いかけることもない。これこそが完全にされた者が備えているものである。

20.あなたは、受肉の神を認めると言い、言葉が肉となって現れることを認めると言うが、あなたは神の背後で物事を為し、神が望むように行動せず、神を恐れない。これが神を認めているということだろうか。あなたは、神が言うことは認めるが、自分ができることさえ実行に移すことを拒み、神の道に従わない。これが神を認めるということか。あなたは神を認めはするが、あなたの唯一のの態度は神を警戒し、神を畏れ敬うことなど決してない。たとえあなたが、神の働きを見て、その働きを認め、それが神であることを知ったとしても、あなたが生ぬるいままで、まったく変化しないのなら、あなたはまだ征服されていない人である。

21.征服された人は、自分ができることをすべてしなければいけない。その人は、たとえそれができなくとも、より高い真理に入り、そこに到達したいと願う。その人の実践が束縛され制限されているのは、ただ、その人が吸収できるものに限りがあるからである。しかし、最小限、自分の能力で可能なことは、どんなことでもしなければいけない。これらのことができるなら、それは、征服の働きの故であろう。仮にあなたが、「人間には語れない、それほど多くの言葉を彼は発することができると仮定して、もしそれが神でないのなら、いったい誰が神であるのか。」と言うとしよう。このような考えをもつなら、あなたが神を認めていることにはならない。もし神を認めるなら、あなたは行いによってそれを示さなければいけない。たとえ教会の指導者であっても、義を行う能力がなく、お金をむやみにほしがり、いつでも密かに教会のお金を着服しているなら──これは神が存在することを認めていることになるだろうか。神は全能であり、恐れられるべき存在だ。あなたがほんとうに神が存在することを認めているのなら、どうして恐れずにいられようか。どうしてそのような卑劣な行為ができるのか。それで信じていると言えるのか。あなたは、ほんとうに神を認めているのか。あなたが信じているのは神か。あなたが信じているのは漠然とした神だ。だから、あなたは恐れないのだ。ほんとうに神を認め、知っている者たちは、みな神を恐れ、神に逆らう行為や良心に反する行為は、どんなことでも恐れる。彼らは、どんなことであれ、特に神の心に反すると自分でわかっていることをすることを恐れる。これだけが、神の存在を認めていることであるとみなされる。あなたの両親が、あなたが神を信じるのを妨げようとしたら、あなたはどうすべきだろうか。あなたの信仰をもたない夫が、あなたによくしてくれるとき、あなたは、どのように神を愛すべきだろうか。また、兄弟姉妹があなたを嫌悪するとき、どのように神を愛すべきだろうか。もし神を認めるのなら、あなたは正しい適切な行為をし、これらすべての状況の中にあって、現実に基づいて生きるだろう。もし具体的に行動することができず、神の存在を認めると言うだけなら、あなたは口先だけの人間なのだ。あなたは神を信じていると言い、神を認めはする。しかし、あなたはどのように神を認めるのか。どのように神を信じているのか。あなたは神を恐れているのか。神を敬い畏れているのか。あなたは心の奥底で神を愛しているのか。あなたが苦悩し、頼る者が誰もいないときは、神を愛すべきだと感じるが、事が過ぎれば、すっかりそのことを忘れてしまう。それは神を愛していることでも、信じていることでもない。究極的に、神は人間が何を成し遂げることを望んでいるのだろうか。自分は大物だと思ったり、自分は物事を素早く理解できると感じたり、他人を支配したり、他人を見下したり、人を外見で判断したり、正直な人々をいじめたり、教会の金をむやみに欲しがったり、その他さまざまな、わたしがすでに述べた状態のすべて――このような一連のサタンのような性質を捨て去ることが、征服された後、あなたの内に見られるべきことである。

22.あなたたち人々に行われる征服の働きには、もっとも深い意義がある。一つには、この働きの目的は、一群の人々を完全にすることである。つまり、完全にされた最初の一群、言わば、初穂として、彼らを勝利者の会衆に仕上げることである。第二には、それは、被造物に神の愛を享受させ、神の最も偉大な救いを受けさせ、神の完全な救いを受けさせ、人間が憐れみと慈愛を享受するだけではなく、さらに重要なことだが、刑罰と裁きをも享受させることなのである。創世の時から今日に至るまで、神がその働きの中で行ったことは、みな愛であり、人間への憎しみは欠片ほどもない。あなたの見た刑罰と裁きでさえ愛なのだ。それはもっと真実で、さらに現実的な愛、人を人生の正しい道へと導く愛である。第三に、これはサタンの前で証しすることである。そして第四に、それは、将来の福音の働きを広めるための基礎を築くためである。神が行ったすべての働きは、人々を人生の正しい道へと導くことがその目的であり、人間として正常な生き方ができるようにするためである。何故なら、人間はどのように人生を歩むべきか知らないからだ。このような導きがなければ、あなたは虚しい人生しか送れないだろう。価値のない無意味な人生しか送られず、どうすれば正常な人間でいられるのか、まったく分からないだろう。これが人間を征服することの最も深い意味である。

23.あなたたちはみな、罪と放蕩の場所で生活している。あなたたちは皆みだらで罪深い人々だ。今日、あなたたちは神を見ることができるだけではなく、もっと重要なことは、刑罰と裁きとを受け、こんなにも深い救い、つまり、神の最大の愛を受けているのだ。神のすることはすべて、あなたたちへの真の愛である。神に悪意はまったくない。神があなたたちを裁くのは、あなたたちの罪の故である。それは、あなたたちが自分自身をよく吟味し、このすばらしい救いを受けられるようにするためである。これはみな、人間を形成するために行われる。始めから終わりまで、神は人間を救うために全力を尽くしている。そして、確かなことは、神には、自らの手で創造した人間を完全に破壊するつもりはない。今、神は働くためにあなたたちの間に来た。これは、より以上の救いではないか。もし神があなたたちを憎んでいるのなら、神はなおも自らあなたたちを導くという、このような大きな業を為すだろうか。なぜ神がそのように苦しむ必要があるのか。神はあなたたちを憎まないし、あなたたちに何の悪意ももたない。あなたたちは、神の愛が最も真実な愛であることを知らなければいけない。神が裁きを通して人々を救わなければならないのは、唯一、彼らの不服従の故である。そうでなければ、彼らは救われないだろう。あなたたちは、どうやって生活し、どのように生きていくのかを知らず、また、あなたたちは、このみだらで罪深い場所に住み、みだらで汚れた悪魔であるが、神は、あなたたちがいっそう堕落してゆくのを望まない。また神は、あなたたちがこのような汚れた場所で生活し、サタンの思うままに踏みつけられるのは見るにしのびない。あるいは、あなたたちがハデスに落ちてゆくままにすることなど望まない。神はただあなたたちの群れを獲得し、完全に救いたいと願っている。これが、あなたたちに征服の働きを行う主要目的である――これは正に救いのためなのだ。

24.もしあなたが、あなたの上に為されていることは、すべて愛であるということがわからないのなら、また、これが単なる一つの手段、人間を苦しめ苛む方法であり、信用できないものであると考えるのなら、自分の世界に戻り、苦痛と苦難を受けなさい。もしあなたが、喜んでこの流れの中に留まり、この裁きとこの大いなる救いを楽しみ、人間世界のどこにも見いだせない、この祝福のすべてと、この愛を享受したいなら、従順にこの流れの中に留まり、完全になれるように征服の働きを受け入れなさい。今、あなたは裁きのために苦痛と鍛錬を体験しているが、この苦痛は価値があり意味あることなのだ。人間にとって刑罰と裁きとは、罪を罰し、肉を罰するための鍛錬であり、容赦のない暴露であるけれども、この業のどれ一つとして、肉を罪に定めて滅ぼすことを目的としてはいない。言葉による厳しい暴露は、すべてあなたを正しい道に導くことを目的としているのだ。あなたたちは、この業の実に多くを個人的に体験した。そして、明らかに、それはあなたたちを悪の道へとは導かなかった。そのすべては、あなたたちが普通の人間性を実際に生きることができるようにするためだ。これはみな、あなたたちの普通の人間性が達成できるものだ。その業の一つひとつの段階は、あなたの必要、あなたの弱点、そして、あなたの実際の背丈に基づいて為され、あなたたちが荷えないような重荷は一つとしてあなたたちの肩に置かれていない。あなたは今、このことを明らかに見ることができず、わたしがあなたに厳し過ぎるように感じているかもしれない。わたしが毎日あなたを罰し、裁き、責めるのは、わたしがあなたを憎んでいるからだと思うかもしれない。また、あなたの受けているのは刑罰と裁きだが、実際は、すべてあなたへの愛であり、あなたを守るためのものなのだ。もしこの業のより深い意味が把握できないのなら、あなたがその経験において進歩する道はもうない。あなたは、このような救いを受けているのだから、慰められるべきだ。目を覚まし我に返るのを拒んではならない。あなたはここまで来たのだから、この征服の働きの意味がはっきりわかるはずだ。あなたは、もはやああだこうだと考えあぐねてはならない。

終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

神の働きを経験する者のみが真に神を信じる 神の現れによる新時代の到来 神は人のいのちの源である 神の裁きと刑罰に神の出現を見る 神の経営の中でだけ人は救われる 七つの雷が轟く -- 神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言 救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である キリストに味方しない者は確実に神の敵だ 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない キリストと融和する道を探せ あなたは本当に神を信じているのか キリストは、真理を以て裁きの働きを行う 神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか 終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる 終着点のために、善行を十分積まなければならない あなたは誰に忠実か 三つの忠告 神の性質を理解することの並ならぬ重要性 地上の神をどのように知るか 神は全人類の運命を支配する 全能者のため息 信者はどんな見解を持つべきか 堕落した人間は神を体現することができない 宗教奉仕を取り締まるべきである 神を信じているなら神に従うべきだ 完全にされた人々への約束 悪人は罰せられなければならない 現実をどのように知るか 神の心にかなう奉仕とは 千年神の国は訪れた 実践的な神は神自身であることを知るべきである 今日の神の働きを知るということ 神の働きは人間が想像するほど簡単か あなたは神を信じているので真理のために生きるべきである 肉となった神と神に使われる人々との間の本質的違い 神の信仰は宗教的儀式でなく現実に焦点を合わせるべきである 今日の神の働きを知る人々のみ神に仕えることができる 真心で神に従う者は確かに神のものとされる 神の国の時代は言葉の時代(前半) 神の国の時代は言葉の時代(後半) すべてが神の言葉によって達成される(前半) すべてが神の言葉によって達成される(後半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (前半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (後半) 「千年神の国は訪れた」についての短い話 神を知る者だけが、神の証人となることができる ペテロはどのようにイエスを知るようになったか 神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる あなたは生かされたか 性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである 二度の受肉が受肉の意義を完成させる 三位一体は存在するのか(前半) 三位一体は存在するのか(後半) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート1) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート2) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート3) 将来の使命にどのように取り組むべきか 神について何を理解しているのか 本物の人とは何を意味するか あなたは信仰について何を知っているか 肉なる者は誰も怒りの日を逃れることはできない 福音を広める働きは、人を救う働きでもある 律法の時代における働き 贖いの時代における働きについての真実 あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (前半) あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (後半) 呼び名と身分について(前半) 呼び名と身分について(後半) 完全にされた者だけが意義ある人生を送ることができる 自己の観念で神を規定している人がどうして神の啓示を受けることができるだろうか 神とその働きを知る者だけが神の心にかなう 受肉した神の職分と人間の本分の違い( 前半) 受肉した神の職分と人間の本分の違い ( 後半) 神はすべての被造物の主である 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている(前半) 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている (後半) 神の働きと人の働き(前半) 神の働きと人の働き (後半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(前半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(後半) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート1) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート2) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている(パート3) 神の宿る肉の本質 (前半) 神の宿る肉の本質 (後半) 神の業と人間の実践(前半) 神の業と人間の実践(後半) キリストの本質は父なる神の心に従うことである 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (前半) 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (後半) 神と人は共に安息に入る(パート1) 神と人は共に安息に入る(パート2) 神と人は共に安息に入る(パート3) 祈りの実践について 新時代の戒め 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋 (パート1) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート3) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート4) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋( パート1) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋 パート2 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート1) 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋( パート1) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋 (パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート3) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート4) 神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 パート1 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 (パート2) 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋( パート3) 四番目の言葉 五番目の言葉 六番目の言葉 七番目の言葉 八番目の言葉 九番目の言葉 十番目の言葉 十一番目の言葉 十二番目の言葉 十三番目の言葉 十四番目の言葉 十五番目の言葉 十六番目の言葉 十七番目の言葉 十八番目の言葉 十九番目の言葉 二十番目の言葉 二十一番目の言葉 二十二番目の言葉 二十三番目の言葉 二十四番目の言葉 二十五番目の言葉 二十六番目の言葉 二十七番目の言葉 二十八番目の言葉 二十九番目の言葉

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