日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 24

エバの創造

 (創世記2:18-20)またヤーウェ神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。そしてヤーウェ神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

 (創世記2:22-23)ヤーウェ神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。

 この箇所にはいくつかの鍵となるフレーズがある。次の部分に印をつけてほしい。「人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった」。ここで全ての生き物に名前をつけたのは誰だったか。それは神ではなく、アダムだった。この部分は人類にある事実を示している。神は人間を知性的な存在として創造した。つまり、人間の知恵は神によるものだということである。これは間違いなく事実である。しかし、なぜだろうか。アダムは神に創造された後、学校へ行っただろうか。アダムは字を読むことができただろうか。神が様々な生き物を造った後、アダムは神が創造した数々の生き物を全て認識することができたのだろうか。神はアダムにそれらの生き物の名前を教えたのだろうか。もちろん、神はアダムに対して生き物にどのような名前をつけたらよいかを教えていない。間違いない。ではアダムはどうして動物に名前をつけることができ、またどのような名前をつけたらよいのかがわかったのだろうか。これらの問いは、神が創造の際にアダムに何を与えたのかという問いに関わるものだ。この「アダムが動物たちに名前をつけることができた」という事実は、神がアダムを造った時に、アダムに知恵を与えたことを証明している。これは鍵となるポイントだ。あなたがたは注意深く聞いていただろうか。もうひとつ、はっきりさせておかなければならない重要な点がある。それは、アダムが生き物に名前を与えた後、神はそれらの動物を、アダムがつけた名前で呼ぶようになったということである。なぜわたしはこのことをわざわざ述べるのか。それは、このこともまた、神の性質に関わることで、わたしが説明する必要がある事柄だからである。

 神は人間を創造し、人に息を吹き込み、また自身の知恵、能力、そして自身が持っているものと自身であるものを一定程度与えた。神が人間にこれらのものを全て与えた後、人間は自分で行動することができるようになり、自分で考えられるようになった。もし人間が神の目によいことを思いつき、行うのであれば、神はそれを受け入れ、人のすることに介入することはない。人間の行うことが正しいことである限り、神は人間の思うようにさせておくのである。ではこの「人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった」という言葉はいったい何を示唆するのだろうか。ここからわかることは、神は人間がつけた動物の名前を変えることは一切なかったということである。アダムがその名前で呼んだのならば、神はその名前を認め、神もその名前で呼んだのだ。神はアダムに意見しただろうか。絶対にそのようなことはない。ではここから、何を読み取ることができるだろうか。神は人間に知恵を与え、人間は様々なことを行うためにその知恵を用いた。そして人間のすることが神の目にあってよいことである限り、神はそれを一切の評価や批判をすることなく受け入れ、理解し、承認したということだ。これは人間や悪魔、あるいはサタンには絶対にできない。ここに神の性質を見ることができるだろうか。人間に、堕落した人間に、あるいはサタンに、他者が自分の目の前で行ったことを自分の行動として認めることができるだろうか。そんなことはもちろんできない。自分達と異なる他者もしくは他の力と彼らは戦うだろうか。勿論戦う。そのとき、もしアダムと一緒にいる者が堕落した人間かサタンであったなら、彼らは間違いなくアダムのしたことを拒否したであろう。自分で考えることができ、独自の見解があることを証明するために、アダムのしたことを全て否定しただろう。「この名前でどうか。」、「いや、私はその名前では呼ばない。私は別の名前で呼ぶ。君はそれをトムと呼んだが、私はハリーと呼ぶことにする」。私は自分の能力を誇示しなければならない。これはどのような本性だろうか。あまりに傲慢ではないか。しかし神にそのような性質は見られるだろうか。神はアダムがしたことに対して、特に反対しただろうか。決してそのようなことはない。神の性質には、論争、傲慢、独善などは一切みられないのである。それは実に明確だ。些細なことだが、神の本質を認識していなければ、そして心から神がどのように働き、どのような態度であるかを理解しようとしなければ、神の性質を認識することはできないし、神の性質に関する表現や明示を見出すことはできない。違うだろうか。今わたしが説明したことに同意できるだろうか。アダムがしたことに対して、神は高圧的に「よくやった。お前は正しいことをした。お前に同意する」とは言わなかった。しかし神は心の中ではアダムを認め、受け入れ、アダムのした事を褒めたのである。これが、人間が神の命令に基づいて行った最初のことであった。神の代理として、神の代わりに人間が行ったことだ。神の目には、これは、神が人間に与えた知性から来るものであった。神はその知性をよいものとして、肯定的に捉えていた。この時アダムが行ったこのことは、神の知恵が人間を通して現れた最初の出来事であり、神の目から見て、よい現れだったのである。ここであなたがたに伝えたいのは、神が自分の持っているものと神であるもの、その知恵の一部を与えたのは、人間が神の性質を現す存在となるためであったということである。このように、生きる被造物が神の存在を体現する者として物事を行うことこそ、まさしく神が人間に望んでいたことなのである。

『言葉は肉において現れる』より引用

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 89

創造主の権威のもとでは、万物が完璧である鳥や魚、木や花、神により造られた物は、移動する物と移動しない物を含め、第六の日に造った家畜や昆虫や、野生動物を含め、すべて神にとって良いものであり、また神から見て、神の計画によれば完璧に達しており、神が望む基準を満たしていた。創造主は、自身…

日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 117

創造主の人類への真摯な思い 人は神を知ることは簡単ではないとよく言いますが、わたしは、神を知ることは全然困難なことはないと言います。なぜなら神は人間にその業を頻繁に見せているからです。神は人類との対話を止めたことはなく、人間から隠れたことも、人間に知られないようにしようとしたこと…

日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 58

神の試みに疑念を抱いてはならない 試練を経験した後にヨブから証しを受けた神は、ヨブのような人々の集まりをひとつあるいは複数獲得しようと決心したが、ヨブに対してしたように、サタンが神に賭けをして誰かを誘惑し、攻撃し、虐げることは決して再びさせないと決心していた。神はサタンが弱く愚…

日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 17

人間の運命は、神への人間の姿勢で決まる 神は生きている神であり、人間が様々な状況において様々にふるまうように、様々なふるまいに対する神の態度も異なります。なぜなら神は操り人形でも、中身のない空気でもないからです。神の態度を知るようになることは、人類にとって意義があることです。神の…