日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 542
あなたが神の旨に配慮すればするほど、あなたの重荷は大きくなり、その重荷が大きければ大きいほど、あなたの経験は一層豊かになる。あなたが神の旨に配慮するとき、神はあなたに重荷を与え、あなたに委ねた務めについてあなたを啓いてくださる。神があなたにこの重荷を与えると、あなたはそれに関連す…
(ヨブ記 2:3)ヤーウェはサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。
(ヨブ記 2:6)ヤーウェはサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。
(ヨブ記 2:4-5)サタンはヤーウェに答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
自分へのヤーウェ神の質問を聞いたサタンは密かに喜んだ。神の目に完全である人間をもう一度攻撃できるだろうと思ったからだ。サタンにはまたとないチャンスだ。この機会を利用してヨブの確信を揺るがせ、ヨブが信仰を失って神を畏れることもヤーウェの名前を讃えることもなくなることを望んでいたのだ。サタンにとっては、いつでもどこでもヨブを思いのままもてあそぶことができるチャンスだった。サタンは悪意に満ちた企てを完全に隠すことはできても、その邪悪な性質を抑えることはできなかった。聖句に書かれているサタンのヤーウェ神への返答からそれが事実であることがうかがえる。「サタンはヤーウェに答えて言った、『皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう』。」(ヨブ記2:4-5)。神とサタンのやりとりから、サタンの邪悪さをはっきりと理解し、感じることができるだろう。真理を愛し悪を憎む者であるなら誰でも、このサタンの惑わしを聞いて更にサタンの下劣さと無恥さを嫌悪し、ぞっとするであろう。同時に、ヨブに対して心からの祈りと願いを捧げ、ヨブという正しい人が完全にされ、サタンの誘惑に負けずにどこまでも神を畏れ悪を避けることができるように、そして光の中を歩み、神の導きと祝福の中を歩むことができるようにと願うであろう。そしてヨブの義なる行いが、神を畏れ悪を避ける道を追い求める人々の励みとなり続けることを願うであろう。サタンの邪悪な意図はこの言葉から明らかだが、神はサタンの「要求」を快諾した。ただ、ひとつだけ条件を提示した。それは、「彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ。」(ヨブ記2:6)ということである。サタンは次にはヨブの肉と骨に触れようとしていたので、神は「ただ彼の命を助けよ」と言ったのである。神はヨブをサタンに渡したが、命は守ったということである。サタンはヨブの命を奪うことはできなかったが、それ以外のことであれば、ヨブに対してどんな事もでき、それをどのようなやり方でもできたのである。
神の許可を得たサタンはヨブのもとへ急ぎ、ヨブの皮膚を傷めた。ヨブの身体中の皮膚が腫れ、痛みを伴った。だがヨブはヤーウェ神の素晴らしさと聖さを讃えたため、サタンは更に手荒になった。人を傷つけることを喜びとしたサタンは、ヨブの肉を痛めつけ、腫物が彼の身体を覆うようにした。ヨブはすぐに痛みを感じ始め、それは他に匹敵するものがないほどの痛みであり、ヨブは頭の先からつま先までをさすった。肉体の痛みが彼の魂までも打つことのないようにしていたかのようであった。ヨブは神が彼とともにいることを知ってたので、苦難に耐えられるように自分の感情を殺そうとした。ヨブは再び地に伏して言った。「あなたは人の心を見られ、苦悩を見られます。あなたはなぜ人の弱さを心配されるのでしょう。ヤーウェ神の御名はほむべきかな。」ヨブはサタンの目の前で耐え難い苦しみを経験したが、それでもヤーウェ神を捨てることはしなかった。そこでサタンはいそいでその手を伸ばし、全ての骨を砕くばかりの勢いでヨブの骨を痛めつけた。ヨブは瞬く間に経験したことのない苦しみに陥った。それはあたかもヨブの肉が骨から剥がされ、骨を徐々に砕かれるかのようであり、その痛みはヨブがいっそ死んでしまいたいと思うほどであった。彼の忍耐は限界に達していた。ヨブは叫び声を上げ、少しでも傷みを和らげるために自分の皮膚をはぎ取りたい程であった。それでもヨブは叫ぶこともなくこらえ、自分の皮膚を引き裂くことをしなかった。自分の弱さをサタンに見せたくなかったからだ。そして再びひざまずくと、今度はヤーウェ神の存在は感じなかった。ヤーウェ神はしばしばヨブの前に、もしくは後ろか左右どちらかにいることをヨブは知っていたが、今回はこの痛みの中で、神はヨブを見ていなかった。神はその顔を隠して隠れていた。神が人間を創造したのは、人間に苦しみをもたらすためではなかったからだ。この時ヨブは涙を流し、必死に痛みに耐えていたが、それ以上神に感謝せずにいることはできなかった。「人はひと吹きで倒れる。人は弱く、未熟で無知である。それでもなぜあなたは人を労り、心配されるのですか。あなたは私を打ちますが、あなたはそれに痛みを感じておられます。人のいったい何が、あなたの労りと思いやりにふさわしいのでしょう。」ヨブの祈りは神の耳に届いた。神は黙って見ていた。…あらゆる手を尽くしてヨブを試みたサタンは、効果がないことを知って静かに去った。だがヨブに対する神の試みはまだ終わっていなかった。ヨブに現された神の力はまだ公表されていなかったため、ヨブの話はサタンの退散では終わらなかった。別の登場人物によって、さらに壮大な場面が続くのである。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 2」(『言葉』第2巻)より
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