日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 193
生物の死、すなわち物理的な生命の終焉は、その生物が物質世界から霊界へと移動したことを示します。一方、新たな物理的生命の誕生は、生物が霊界から物質世界に来て、その役割を引き受けて果たし始めることを示しています。それが生物の出発であろうと到着であろうと、いずれも霊界における働きと切り…
真理に関するあなたがたの理解は、自分自身の状態と一体となっていますか。実生活では、どの真理が、自分が遭遇した人や出来事や物事に関連しているかをまず考えなければなりません。こうした真理の中に神の旨を見出し、自分が遭遇した物事と神の旨を関連づけることができるからです。自分が遭遇した物事について、真理のどの側面がそれと関連しているかを知ることなく、神の旨を直接求めにいったところで、そのような盲目的なやり方で成果を得ることはできません。真理を求めて神の旨を理解したければ、まずは自分にどのようなことが起きているのか、それが真理のどの側面と関連しているかを検討してから、神の言葉の中に、自分が経験したことに関連する特定の真理を探し出す必要があります。次に、その真理の中から自分にふさわしい実践の道を探します。そのようにすることで、神の旨に関する間接的な理解が得られます。真理を探して実践することは、機械的に教義を適用することでも、公式に従うことでもありません。真理は公式のようなものでも、法則でもないのです。真理は死んだものではなく、いのちそのものであり、生きているものであり、被造物が人生において従うべき法則、生きる上でもたなければならない法則です。それは、あなたが経験によって可能な限り深く理解する必要があるものなのです。自分の経験がどの段階に達していようと、あなたは神の言葉や真理から離れることができず、神の性質についてあなたが理解していること、神が所有するものと神そのものについてあなたが知っていることはどれも、神の言葉の中に表わされています。それらには真理と切り離せないつながりがあるのです。神の性質、そして神が所有するものと神そのものは、それ自体真理です。真理は神の性質と、神が所有するものと神そのものを表わす真正なものです。それによって神が所有するものと神そのものは具体的なものになり、またはっきり述べられることになります。神が何を好むか、何を好まないか、あなたに何をしてほしいのか、あなたが何をするのを許すのか、どのような人を嫌ってどのような人に喜ぶかを、それはあなたにはっきり伝えるのです。神が表わす真理の背景から、人々は神の喜び、怒り、悲しみ、幸福、そして神の本質を理解することができます。これが神の性質の現われです。神の言葉から神が所有するものと神そのものを知り、神の性質を理解することを除いて最も重要なのは、実践的な経験を通じてこの理解に達する必要性です。神を知るために自分を実生活から切り離せば、その人は神を知ることができません。神の言葉から何らかの理解を得られる人がいたとしても、その理解は教義や言葉に限られ、本当の神自身と差異が生じることになります。
いま話し合っていることはどれも、聖書に記録された物語の範囲内にあるものです。これらの物語と、そこで起きたことの分析によって、人間は神が表わしてきた神の性質と、神が所有するものと神そのものを理解することができ、それによって神のあらゆる側面をより広く、深く、包括的に、そして徹底的に知ることができます。では、神のあらゆる側面を知るには、これらの物語を通して知るのが唯一の方法ですか。違います。それが唯一の方法ではありません。神の性質をより十分に知るには、神の国の時代における神の言葉と働きのほうが役立つからです。しかし、神の性質を知り、神が所有するものと神そのものを理解するには、人々が親しんでいる聖書の中の実例や物語を通して行なうほうがより簡単だと思います。裁きと刑罰の言葉、および神が現在表わしている真理を一語一語取り上げ、それによってあなたに神を理解させようとすれば、あなたはあまりに退屈で面倒だと感じ、中には神の言葉は型通りだと感じる人さえいるでしょう。しかし、こうした聖書の物語を例として取り上げ、神の性質を知る手助けとすれば、人々は退屈さを感じません。これらの例を説明する過程で、気分や感情、思いや考えといった、神の心にそのときあった事柄の詳細は人間の言葉で語られており、その目標はひとえに、神が所有するものと神そのものが型通りのものでないことを人々が理解し、感じ取るようにすることだと言えるでしょう。それは伝説でもなければ、人々が見たり触ったりすることができないものでもありません。それは実在するもの、人々が感じ取って理解できるものなのです。これが最終的な目標です。この時代に生きる人々は祝福されていると言えるでしょう。聖書の物語を用いることで、神の以前の働きについて認識を広げ、神が行なった働きを通して神の性質を知ることができるからです。そして神が表わしてきた性質を通じて、人類に対する神の旨を理解し、神の聖さと人間への配慮の具体的な現われを理解することができます。このようにして、人々は神の性質をより詳細に、より深く知ることができるのです。これはあなたがたの誰もがいま感じられることだと思います。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 3」(『言葉』第2巻)より
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富と名声を追究した人生は、人間を臨終時に途方に暮れさせる 創造主による統治と定めのために、影形の無いものとして誕生した孤独な魂は、両親と家族を得、人類の一員となる機会、そして人間の生活を体験して世界を見る機会を得る。またその魂は、創造主による統治を経験する機会、創造主による創造の…
神が行う働きは、神の肉の経験を表すのではない。人が行う働きは人の経験を表す。誰もが自分の個人的経験について話す。神は直接真理を表すことができる一方、人は真理を経験したことに対応する経験を表せるだけである。神の働きに規則はなく、時間や地理的制約に支配されない。神はいつでも、どこでも…
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