日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 94

創造主の権威は、時間、場所、地理の制限を受けず、創造主の権威は計り知れない

 創世記22:17~18を検討する。この聖句は、ヤーウェ神がアブラハムに対して述べた言葉で「わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである」とある。ヤーウェ神はアブラハムを何度も祝福し、子孫が増えるとあるが、どの程度増えるのであろうか。それは、聖句に述べられている通り、「天の星のように、浜べの砂のように」であった。つまり、神はアブラハムに対して、天の星や海辺の砂のように多数の子供達を授けることを望んだ。神はイメージを用いて話し、そのイメージから、アブラハムに対して1人でも2人でも、1000人でもなく、神は多数の国の父となると約束しているので、多数の国ができるほど無数の子孫を授けられることは、容易に理解できる。それでは、その数を定めたのは、人間であろうか、神であろうか。人間がアブラハムの子孫の人数を支配できるであろうか。それは、人間次第だろうか。人間が数名の子孫を得るかどうかですら自分が決めることではないから、ましてや「天の星のように、浜べの砂のようにする」というのは、その人数を人間が決めることではない。子孫が星の数ほどになることを望まない者はいない。残念ながら、物事は常に自分の望み通りになるとは限らない。人間がいかに技能に優れていても、能力があっても、人間次第で決まることではなく、誰も神が定めた範囲から出ることはできない。神があなたに与えた数が、あなたが得る数である。神が少数を与えたのであれば、多数を得ることはできず、神が多数を与えたのであれば、多すぎて憤慨しても無駄である。そうではないだろうか。こうしたことは、すべて人間ではなく、神次第である。人間は神に支配され、そのことに例外は無い。

 神が「大いにあなたの子孫をふやして」と述べた場合、それは神がアブラハムと立てた契約であり、「虹の契約」と同様に、それは永遠に実現されるだけでなく、神のアブラハムとの約束でもある。この約束を実現させる資格があり、実現させることが可能なのは、神のみである。人間が信じるかどうか、受け容れるかどうか、どのように考えるかを問わず、これらの約束はすべて神の言葉通りに履行される。神の言葉は、人間の意志や考えの変化によって変わることが無く、人間や物事の変化によっても変わることが無い。万物は消え去るであろうが、神の言葉は永遠に存在する。これに対し、万物が消滅する日は、まさに神の言葉が完全に履行される日である。なぜなら、神は創造主であり、神には創造主の権威と力があり、万物とあらゆる生命力を支配しているからである。神は、無から何かを出現させることも、何かを無とすることも可能であり、神は万物の生から死への推移も支配しているので、神にとって誰かの種を増やすことは何よりも容易なことであった。これは人間にとっておとぎ話のように空想的なことに思えるが、神にとって、神が行うと決定したこと、約束したことは、空想でもおとぎ話でもない。それは、神が既に見た事実であり、確実に実現されるものである。このことが理解できるであろうか。アブラハムの子孫が無数にいたことは事実により証明されているだろうか。またそれは、どの程度多数なのであろうか。神が述べたように「天の星のように、浜べの砂のように」というほどに多数であっただろうか。その子孫は、あらゆる国々と地域、世界のいたるところに広まったであろうか。また、この事実は何によって実現されたであろうか。それは、神の言葉の権威により実現されたであろうか。神の言葉が述べられてから数百年あるいは数千年の間、神の言葉は継続的に実現され続け、事実となり続けてきた。これが神の言葉の力であり、神の権威の証である。最初に神が万物を創造した時、神は「光あれ」と述べ、それに続いて光が現れた。これは極めて迅速に起こった事で、極めて短時間のうちに実現され、その実現には全く遅延が無かった。神の言葉の効力は即時的なものである。これらは両方とも神の権威を示すものだが、神がアブラハムを祝福した時、神は神の権威の別の本質を、人間が理解できるようにし、創造主の権威が計り知れないことを理解させ、さらに神は創造主の権威のうち、一層現実的であり、絶妙な側面を理解させた。

 神の言葉が述べられた後、神の権威がこの業を支配し、神の言葉により約束された事実が次第に現実となっていった。その結果、春の到来とともに草が緑色に変わり、花々が咲き、木から芽が出て、鳥たちが歌い始め、ガチョウが舞い戻り、野原に人間が集うように、万物に変化が起こり始める。春の到来とともに万物が活気を取り戻すが、それは創造主の奇跡の業である。神が約束を果たした時、天と地の万物が、神の心に従って復活し、変化し、それに例外はなかった。神が約束を述べた時、万物がその実現に寄与し、その実現のために操作され、全ての被造物が創造主の支配により指揮され、準備されて、それぞれの役割を担い、それぞれの機能を果たした。これは創造主の権威の顕現である。このことから何が分かるであろうか。神の権威は、どのように理解できるだろうか。創造主の権威には、範囲が存在するだろうか。時間的制限はあるだろうか。神の権威には、特定の高さや長さがあると言えるだろうか。神の権威は、特定の大きさや強さがあると言えるだろうか。神の権威は、人間の寸法で計測できるだろうか。神の権威は点滅したりするものでも、行ったり来たりするものでもなく、神の権威がどの程度偉大であるかを計測出来る者はいない。どの程度時間が経過したかを問わず、神がある者を祝福した場合、その祝福は継続し、その継続は神の権威が計り知れないことの証拠となり、創造主の尽きることの無い生命力の再来を、人間が幾度となく目の当たりにすることが可能となる。神の権威の表示は、それぞれ神の言葉の完全な証明であり、言葉は万物と人間に対して証明された。さらに、神の権威により実現された全ての物事が比類無く優れており、完璧であった。神の心、神の言葉、神の権威、そして神が実現したあらゆる業は比類の無い美しい光景であり、被造物にとって、人間の言葉では、その重要性と価値を表現できなかった。神がある者と約束した場合、その者の住む場所、その者の行動、約束を受ける前または後のその者の背景、その者の経歴、あるいは生活環境での変動は全て、神自身の手の甲のように熟知されている。神の言葉が述べられてから経過した時間を問わず、その言葉は、神にとってたった今述べられたかのようである。つまり、神には、神が人間と約束したこと全てについて、その約束が何であるか、完全に実現するまでにどの程度時間を要するかを問わず、その約束を追跡し、支配し、実現する力と権威がある。また、その約束の実現が影響を与える時間、地理、人種などの範囲がどの程度であるかを問わず、その約束は実現され、現実となり、さらにその実現において、神は全く努力を必要としない。この事実により、何が証明されるであろうか。それは、神の権威と力が宇宙全体と人類全体の支配に十分であることである。神は光を造ったが、それは神が光を支配しているだけであることを意味するものではなく、また神は単に水を造ったので、水を管理しているが、それ以外の事は神と無関係であることを示すものではない。これは誤解ではないだろうか。神のアブラハムに対する祝福は、数百年後、次第に人間の記憶から消えていったが、神にとって、その約束は全く変わることが無いままである。この約束は未だに実現過程にあり、それは止まることが無い。人間は、この間に神がどのようにして神の権威を行使するか、万物を指揮し、計画するか、神の創造物の中で奇跡的な物語がいくつあったかを知らず、それを聞いたこともない。しかし、すばらしい神の権威の表示と神の業の明示は、すべて万物の間で語り継がれて讃美され、万物が現れて創造主の奇跡的な業を物語った。こうして何度も語られた創造主による万物の支配に関する物語は、万物により永遠に讃美される。神が万物を支配する権威と神の力は、神があらゆる場所に常に存在していることを、万物に対して示す。神の権威と力が遍在することを経験すると、神はあらゆる場所に常に存在していることを理解するであろう。神の権威と力には、時間、地理、場所、人間や物事による制約が無い。神の権威と力の範囲の広さは、人間の想像を超えるものであり、人間には計り知れず、想像を絶するものであり、人間が完全に知ることが不可能なものである。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 1」(『言葉』第2巻)より

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