日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 520
ペテロがイエスに従っている間に、彼はイエスについて多くの意見を持ち、常に自からの見知からイエスを裁いた。ペテロはある程度は霊について理解していたけれども、あまり啓発されることもなかったので、彼は「天の父によって遣わされたお方に従わなければならない。聖霊によって選ばれたお方を認…
サタンはこれらの方法を用いて人間を堕落させます。人間には知識といくらかの科学的理論があり、伝統文化の影響下に生き、一人ひとりが伝統文化の継承者です。人間はサタンから与えられた伝統文化を継承するように縛られており、またサタンが人類に提供する社会動向に合わせて行動します。人間はサタンから切り離すことができず、サタンのすることすべてに常に協力し、その狡猾さ、傲慢、悪意、邪悪を受け入れます。人間が一度サタンのこれらの性質を身に付けるようになった後、人間はこの人類のあいだで、この世で生きて、幸福ですか。それとも悲しいですか。(悲しいです。)なぜそう言うのですか。(人間はそれらのことに束縛され、人生は苦闘だからです。)ふむ。眼鏡をかけて聡明そうな外観をしている人がいます。その人は決して声を荒げず、常に雄弁で、筋が通っていて、さらに、年輩なので多くの物事を経てきて、とても経験豊かかもしれません。その人は大小様々な事柄について詳細に話すことができ、その人の言うことに確固とした基盤があるかもしれません。また、物事の信憑性や理由を評価するための理論を一式もっているかもしれません。人々はこの人の行動や外観を見て、またその人の振る舞いや、高潔さ、性格を見て、その人に一切欠点を見出さないかもしれません。このような人は現代の社会動向に特に応答し、古臭いとみなされることは決してありません。その人が歳をとっていても、決して時代に遅れることなく、学ぶのに歳をとりすぎていることもありません。表面的には誰もその人の欠点を見つけることができませんが、内面はサタンによってすっかり完全に堕落させられています。表面的には何も問題はなく、その人は柔和で洗練され、知識があり、ある程度の道徳性も備えています。高潔で、その人が知っていることは若者の知っていることと同程度です。けれど、本性と本質に関しては、この人はサタンの完全な生ける模型で、サタンの完全な生き写しです。これはサタンによる人間の堕落の「成果」です。わたしが言ったことは、皆さんにとっては辛いことかも知れませんが、これはすべて本当です。人間が学習する知識、理解する科学、社会動向に合うように選ぶ手段は、例外なくサタンによる堕落の道具なのです。これは絶対に正しいことです。したがって、人間はサタンにより完全に堕落させられた性質の中で生き、神の聖さとは何なのか、あるいは神の本質とは何なのかを知る術は人間にはありません。なぜなら、表面的にはサタンが人間を堕落させる方法に欠点を見つけることはできず、誰かの振る舞いから何かが誤っていることがわからないからです。人は一人ひとり、普通に働き普通の生活を送り、普通に書籍や新聞を読み、普通に学習し話します。表面的には道徳性を装うことを覚え、挨拶をし、礼儀正しく、丁寧であり、他人に対してものわかりがよく、親しみやすく、他人の役に立ち、寛大で、他人に対して気難しくなったり、他人を利用したりすることを避ける人もいます。けれど、その人のサタン的な堕落した性質は内面深くに根ざしています。その本質は外部的な努力に頼って変えることができません。この本質ゆえに、人間は神の聖さを知ることができず、また神の聖なる本質が人間にむけて公けにされているにもかかわらず、人間はそれを真剣にとらえません。これは、様々な手段を通してサタンが既に人間の思いや考え、視点、思想を完全に占有しているからです。この占有と堕落は一時的なものでも偶発的なものでもありません。それはいたるところに常にあります。したがって、神を三、四年、または五、六年でさえも、信仰してきた多くの人々が依然としてサタンが彼らに教え込んだ思想や観点に、まるで宝にしがみつくように固執します。人間はサタンの邪悪で傲慢で悪意に満ちたものをサタンの本性から受け入れたため、必然的に人間関係においてしばしば対立、論争、不和があり、それらはサタンの傲慢な本性の結果として作り出されるのです。もしサタンが人類に肯定的なものを与えていたなら、つまり、例えばもし人間が受け入れた伝統文化の儒教や道教が良いものとみなされたなら、それらを受け入れた後、同じ種類の人間同士は互いに仲良くやっていけるはずです。そうですね。ではなぜ同じ物事を受け入れた人々のあいだにそれほどの大きな分裂があるのですか。なぜですか。それは、それらの物事がサタンから来て、サタンが人々のあいだに分裂を生み出すからです。サタンが提供する物事は、それらがいかに表面的には立派で偉大に見えたとしても、人間にもたらし、人間の生活において生み出すのは傲慢とサタンの邪悪な本性による惑わしでしかありません。そうではありませんか。自分の外観を偽ることができる人、豊かな知識をもつ人、あるいは育ちの良い人は、自分の堕落したサタン的な性質を隠すのに苦労するでしょう。つまり、どれほど多くの方法でこのような人が自分をおおい隠しても、あるいはあなたがその人を聖人だと思ったり、完璧である、天使であると思っても、その人がどれほど純粋だと思ったとしても、その人の生活は陰ではどのようなものでしょうか。その人の性質が明らかにされると、どのような本質が見えるでしょうか。疑いなく、サタンの邪悪な本性を見るでしょう。そう言うことができますか。(はい。)例えば、誰か親しい人を知っていて、あなたはこの人のことを善人だと思っていたか、ことによると偶像化していたとします。現在のあなたの霊的背丈では、その人のことをどう思いますか。まず、あなたはそのような人に人間性があるか否か、誠実か、人々に対して真の愛があるか、その人の言動は他の人のためになり助けになるかを観察します。(その人にそういうことはありません。)ここで明らかにされているいわゆる親切、愛、あるいは善は、本当は何ですか。それはすべて偽物で、見せかけです。この陰の見かけには、隠された邪悪な目的があります。それは、その人が愛され、偶像化されることです。皆さんにはこのことがはっきり見えますか。(はい。)
『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 5」(『言葉』第2巻)より
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この最後の段階の働きにおいて、成果は言葉によって達成される。人は言葉を通じ、多くの奥義や、過去の世代を通じて神が行なってきた働きを理解するようになる。人は言葉を通じて聖霊に啓かれ、過去の世代が解明し得なかった奥義、昔の預言者たちや使徒たちの働き、そして彼らの働きの原則を理解するよ…
今日の道はたやすく歩めるものではない。通るのが非常に難しい道だと言えるし、時代を通じてきわめて稀なものだった。しかし、人がその肉のみによって十分に滅ぼされうるなどとは誰が考えただろう。今日の働きは確かに、春の雨のごとく尊く、人への神の優しさのごとく価値あるものだ。しかし、人が神の…
イエスがその働きをする以前、イエスはただ普通の人間として生きた。誰一人、イエスが神であるとはわからなかったし、誰一人、イエスが受肉した神であることを気付かなかった。人々はただ、どこから見ても普通の人間としてイエスを知っていた。イエスのまったく平凡な普通の人間性は、神が受肉して人間…