日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 598
追い求める人々と追い求めない人々は今や、2つの異なるタイプの人々であり、彼らは2つの異なる終着点をもつ2つのタイプの人々である。真理に関する知識を追求し、真理を実行する人々は神に救われる者である。真の道を知らない人々は、悪魔であり敵である。彼らは、天使長の後裔であり、滅ぼされ…
四番目は、人間の目に関係しています。それは光です。光もまた極めて重要です。眩しい光を見て、その光の明るさがある程度に達すると、人は失明します。つまるところ、人間の目は、肉の目なのです。損傷に耐えられません。誰か太陽の光を敢えて直視しますか。中には試した人がいます。サングラスをかければ大丈夫ですが、道具を使う必要があります。道具なしには、人間は裸眼で太陽を直視する能力がありません。けれど、神は人類に光を与えるために太陽を創ったのであり、この光も操作しました。神は単に太陽を創り終え、それをどこかに置き、あとは放っておいたのではありません。神はそのように物事を行いません。神は自身の業において極めて慎重であり、それを徹底的に考え抜きます。神は人類のために目を創って彼らが見えるようにし、また人間がものを見るための光についても、その特性を前もって定めました。光があまりに薄暗ければ、何の役にも立たないでしょう。目の前にある自分の指も見えないほど暗い場合、人間の目は機能せず、役に立ちません。明る過ぎる場所は人間の目には耐えられず、何も見えなくなります。したがって、人類の生活環境において、神は人間の目に適した量の光を与えました。この光は、人間の目に損傷を与えません。さらに、この光は人間の目の機能を失わせることもありません。神が太陽と地球の周囲に雲を加えたのは、このためであり、また空気の濃度も人間の目や肌を傷つける光を普通に除去することができます。これは相互に関連しています。さらに、神が創った地上の色彩もまた太陽光やあらゆる種類の光を反射させ、人間の目を不快にする光の明るさの一部を除去します。こうしたわけで、人間は屋外を歩きまわり生活を営めるようにと、色の濃いサングラスを常時着用する必要がないのです。通常の条件下では、人間の目は視界内の物を見ることが可能であり、光により妨害されることはありません。つまり、光は眩しすぎても暗すぎてもいけないのです。あまりに薄暗ければ人の目は損傷を受け、少し使えば駄目になるでしょう。光があまりに明るければ、人の目はそれに耐えられないはずです。人間が目にしているまさにこの光は、人間が見るのに適したものであり、神は様々な方法を通して、光が人間の目に与える損傷を最小限にしてきたのです。そしてこの光が人間の目に恩恵をもたらそうと、あるいは不都合をもたらそうと、人間が自分の目の機能を維持しつつ、寿命を迎えるようにするのに十分です。神はそれを徹底的に考慮したのではありませんか。しかし、悪魔サタンはそうした考慮を一切せずに行動します。サタンにとって、光は常に眩しすぎるか、暗すぎるかのどちらかです。これがサタンの物事の行ない方です。
神は視力、聴力、味覚、呼吸、感覚など、人体の全側面にこのようなことを行ない、人類の生存のための順応力を最大限にし、人間が普通に生き、そうし続けることができるようにしています。つまり、神が創った、こうした現存する生活環境は、人類の生存に最適かつ最も有益な生活環境なのです。これは大したことではなく、すべて至って普通であると考える人もいるでしょう。音、光、そして空気は、人間が生来もっているもの、生まれた瞬間から享受できるものと感じるものです。しかし、人間がこれらのものを享受する陰で神が行った業は、人間が知り理解するべきことです。これを理解し知る必要があると感じるかどうかに関わらず、簡潔に言うと、神がこれらのものを創った時、神は配慮し、計画をもち、ある考えをもっていたのです。神は単純に、何気なく、あるいは何も考えることなしに、そうした環境の中に人間を置いたわけではないのです。わたしがこうした些細な物事の一つひとつをあまりに大げさに話したと、あなたがたは考えるかも知れませんが、わたしの考えでは、神が人類に施した一つひとつの物事は人類の生存に必要なものです。ここに神の業があります。
『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 8」(『言葉』第2巻)より
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これで裁きとは何か、真理とは何かを理解できたか。もし理解できたなら、あなたが裁きに従うよう熱心に勧める。さもなければ、神に賞賛されることも、神にその国に連れて行ってもらうことも決してないのだ。裁きは受け入れるが清められることのない者、すなわち裁きの働きの最中に逃げ出すような者は、…