日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 174
人の働きは人の経験と人間性を意味する。人が提供するものと人が行う働きは人を表す。人の見識、論法、論理、豊かな想像力はすべて人の働きに含まれる。人の経験は特に人の働きを意味することがあり、ある人の経験はその働きの構成要素になる。人の働きはその人の経験を表すことがある。人が消極的な経…
今日神の働きを知るということは、大方は、終わりの日の受肉した神を知ること、神の主要な務めが何であるか、何をするために地上に来たかを知ることである。わたしは以前、神は(終わりの日に)地上に来、去る前に模範を示すと述べた。神はどのように模範を示すのか。言葉を発し、地のいたるところで働き、語ることによって模範を示す。これが終わりの日の神の働きである。神が話すのは、地がことばの世界になるようにし、すべての人が言葉を受け、それによって導かれ、そうして人間の霊が目覚めてビジョンが明らかになるようにするためである。終わりの日に受肉した神が地上に来るのは、主に言葉を述べるためである。イエスが来た時、天の国の福音を広め、十字架の贖いの業を成就した。イエスは律法の時代を終わらせ、すべての古いものを終わりにした。イエスの現れが律法の時代を終わらせ、恵みの時代を招き入れたのだ。終わりの日に受肉した神が来て、恵みの時代は終わった。神は、主として言葉を述べるために来た。言葉を用いて人間を完全にし、光に照らし、啓発し、人間の心にある漠然の神のいるところを除くために来た。これはイエスが来た段階の働きではない。イエスが来た時には、多くの奇跡を示した。イエスは癒やし、悪魔を追い払い、十字架で贖いの業を行なった。その結果、人間は、これが神のあるべき姿だと考えた。イエスが来た時、主は漠然の神の姿を人間の心から除くことはしなかった。イエスが来た時、十字架につけられた。癒やし、悪魔を追い払い、天国の福音を広めた。ある意味で、神の受肉は終わりの日に人間の心から漠然の神の姿を除くもので、そうしてもはや人間の心に漠然の神の姿がないようにしたのである。その言葉と働き、地上のあらゆる場所での動き、そして人々の間でするまことに真実で普通の働きは、人々に神が実在することを知らせ、人間の心にある漠然の神の居場所を取り除く。つまり、神は肉の体で語った言葉で人間を完全にし、すべてを成就するのだ。これが神が終わりの日に成就することだ。
こういうことを知っておきなさい:
1. 神の働きは超自然のものではない。そういう見方をしてはいけない。
2. 今回受肉した神が来て行なう主な働きを理解しなければいけない。
神は癒やしに来たのではない。また、悪魔を追い払うためでも、奇跡を行うためでもない。神は悔い改めの福音を広めるため、人間を贖うために来たのでもない。それは、イエスがすでにこの働きを終えているので、神は同じ働きを繰り返さないためである。今日、神は恵みの時代を終わらせ、恵みの時代の実践をすべて捨て去るために来た。神が来たのは、主として自分が現実に存在することを示すためである。イエスが来たときは、そう多くを語らなかった。主に奇跡を示し、しるしや不思議を行なった。そして、癒やし、悪魔を追い払い、あるいは、人々に信じさせるために預言を語り、自分がほんとうに神であること、公平な神であることを知らせた。最後に、磔刑の業を成就した。今日の神は、しるしも不思議も行なわず、癒やすことも悪魔を追い払うこともしない。イエスが来た時、その働きは神の一部を示すものであったが、今回の神は、この段階でするべき働きをするために来たのだ。神は同じ働きを繰り返さない。神は常に新たな神であり、絶対に古いものではない。あなたが今日見るものはすべて、実際の神の言葉と働きである。
『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」(『言葉』第1巻)より
終わりの日、受肉の神は惠みの時代を終わらせ、人を照らし、完全にする言葉を語る。神について曖昧な観念を人の心から取り除く言葉を。イエスは異なる働きをした、奇跡を行い病人を癒した、天の国の福音を告げた。全ての人を贖うため十字架にかけられた。ゆえに人は神は常にそうだろうと考えた。終わりの日、受肉の神は全てを言葉で成就し啓示する。彼の言葉の中にあなたは見る、彼が何者であるのかを、そう神であることを。
終わりの日、受肉の神は神についての曖昧な観念を人の心から取り除く。神は言葉と業を通して全ての人々の間で働く。曖昧な神を信じないよう、人が現実の神を知るように、肉となった神の言葉を通し、神は人を完成させて全てを成就する。これは終わりの日に神が達成する成し遂げる業。終わりの日受肉の神は全てを言葉で成就し啓示する。彼の言葉の中にあなたは見る。彼が何者であるのかを、そう神であることを、肉となった神は言葉だけを話す。それは彼の地上での働き。彼の言葉で神の全てを見ることができる。神は力強く謙遜で至高の方である。終わりの日受肉の神は全てを言葉で成就し啓示する。彼の言葉の中にあなたは見る。彼が何者であるのかを、そう、神であることを。
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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人の働きは人の経験と人間性を意味する。人が提供するものと人が行う働きは人を表す。人の見識、論法、論理、豊かな想像力はすべて人の働きに含まれる。人の経験は特に人の働きを意味することがあり、ある人の経験はその働きの構成要素になる。人の働きはその人の経験を表すことがある。人が消極的な経…
受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知…
人の堕落した性質が発覚する源はその人の鈍くなった良心、悪意のある本性、不健全な理知でしかない。良心や理知が正常に戻ることができれば、人は神の前で神に用いられるのに相応しい人になるだろう。人がますます神に反抗的になるのは、単に良心がつねに麻痺しており、その理知が決して健全ではなく、…
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