日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 224
神の国を迎える祝砲が鳴り響くとき──これはまた、七つの雷が轟くときでもある──この音が天と地とを激しく揺さぶり、天空を震わせ、すべての人間の心の糸を震わせる。神の国の讃歌が大きな赤い竜の国で厳かに響く。わたしが大きな赤い竜の国を破壊し、わたしの国を建てたことを証ししているのだ。さ…
人間のあいだでなされる神の働きは、人間から切り離すことができない。なぜなら、人間はこの働きの対象であり、神によって造られたもののうち、神を証しすることができる唯一の被造物だからである。人間の生活と人間のあらゆる活動は、神から切り離すことができず、すべて神の手によって支配されており、神から独立して存在できる者は一人もいないとさえ言えるだろう。これは事実なので、誰も否定できない。神が行なうすべての働きは、人類の益のためであり、サタンの策略に対するものである。人間が必要とするすべてのものは神から来るのであり、神は人間のいのちの源である。したがって、人間は決して神から離れられない。さらに、神には人間から離れる意図など一度もなかった。神が行なう働きは、全人類のためであり、神の考えは常に思いやりがある。したがって、人間にとって、神の働きと考え(すなわち神の旨)はともに、人間が知るべき「ビジョン」なのである。このようなビジョンは、神による経営でもあり、また人間が行なうことのできない働きでもある。一方、神が自身の働きにおいて人間に要求することは、人間の「実践」と呼ばれている。ビジョンとは神自身の働きであり、あるいは人類に対する神の旨、もしくは神の働きの目標と意義でもある。また、ビジョンは経営の一部であるとも言える。なぜなら、この経営は神の働きにして、人間を対象とするものであり、つまり神が人間のあいだで行なう働きだからである。この働きは、人間が神を知るようになるための証拠と道のりであり、それは人間にとって極めて重要なものである。人々が、神の働きについての認識に注意を払う代わりに、神への信仰に関する教義や、取るに足らない詳細にのみ留意するならば、その人が神を知ることは決してない。またそれ以上に、神の心にかなうこともない。神の働きのうち、人が神を知る上で並外れて役立つものは、ビジョンと呼ばれている。そうしたビジョンは神の働きであり、神の旨であり、神の働きの目的と意義である。それらはどれも人間に恩恵をもたらす。実践とは、人間がなすべきこと、神に従う被造物がなすべきことを指し、それはまた人間の本分である。人間がなすべきことは、人間がまさに最初のときから理解していることではなく、神が働きの中で人間に要求することである。これらの要求は、神が働きを行なうに従って、次第に深遠に、かつ高度になってゆく。たとえば、律法の時代には、人間は律法に従わなければならず、また恵みの時代には、十字架を背負わなければならなかった。神の国の時代はそれと異なる。つまり、人間に対する要求は、律法の時代や恵みの時代におけるそれよりも高度である。ビジョンがより高度になるにつれ、人間に対する要求もさらに高くなり、また明瞭かつ現実的なものになってゆく。同様に、ビジョンもますます現実的になってゆく。これら多数の現実的なビジョンは、神に対する人間の服従を促進するだけでなく、それ以上に、神に関する人間の認識を促進する。
『神の出現と働き』「神の働きと人間の実践」(『言葉』第1巻)より
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神の国を迎える祝砲が鳴り響くとき──これはまた、七つの雷が轟くときでもある──この音が天と地とを激しく揺さぶり、天空を震わせ、すべての人間の心の糸を震わせる。神の国の讃歌が大きな赤い竜の国で厳かに響く。わたしが大きな赤い竜の国を破壊し、わたしの国を建てたことを証ししているのだ。さ…
なぜわたしは、受肉の意味がイエスの働きで完了しなかったと言うのであろうか。それは、ことばが完全に肉の体にならなかったからである。イエスがしたことは、神の肉の体での働きの一部分だけであった。イエスは贖いの働きだけを行い、完全に人間を得る働きはしなかった。そのため、神は終わりの日に再…
あまたの民がわたしに喝采を送り、わたしを賛美する。万民が唯一の真なる神の名を呼び、わたしの業を仰ぎ見る。神の国が人の世に降臨し、わたしの本体は豊かで充実している。誰がこれを喜ばないのか。誰が歓喜のあまり踊らないのか。ああ、シオンよ。勝利の旗を掲げてわたしを祝え。勝利の歌を歌いあげ…
あなたがたの肉体、途方もない欲望、貪欲、肉欲はあなたがたの内にあまりにも深く根づいている。これらのものは絶えずあなたがたの心を支配するので、これらの封建的で堕落した考え方のくびきを捨て去る力があなたがたにはない。あなたがたは現状を変えたいと思わず、暗闇の影響から逃げたいとも思わな…