日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 587
広大な世界において、数え切れないほどの変化が何度も何度も起こってきた。宇宙のすべてのものを支配する神を除いては、誰もこの人類を導き、案内できる者はいない。この人類のために働き、準備する「強力な者」は一人もおらず、ましてやこの人類をこの世の不義から解放して、光り輝く終着点へと導くこ…
あなたたちは神の働きのビジョンを知り、神の働きが一般的にどの方向に向かっているかを把握しなければいけない。これが正しくいのちの道に入るということだ。ひとたびビジョンの真理を正確に理解したなら、あなたがその過程を歩み始めるのは確かである。神の働きがどのように変化しようと、あなたの心は堅固で、明確なビジョンをもち、成長と追求の目標を持つことになる。そのようにして、あなたの内の経験と認識のすべてがより深くなり、さらに練られる。ひとたびこの全体像を完全に把握すれば、あなたは、いのちにおいて何も失わない。また、あなたは失われることがない。こうした働きの段階を知らないでいれば、あなたはそのどれも失う。あなたはほんの数日だけで方向転換することはできない。たとえ数週間経っても正しい進路に戻ることはできないだろう。それは、後退することではないのか。あなたたちが身につけるべき、よい行いや習慣は、たくさんある。だからあなたは、神の働きのビジョンについて次のような幾つかの点を把握していなければならない。即ち、神の征服の働きの意義、将来完全にされるための道、試練や患難を経験することによって何が達成されなければならないか、裁きと刑罰の意義、聖霊の働きの原則、完全になることと征服の原則などである。こうしたことはみな、ビジョンの真理である。その他のことは、働きの三つの段階、つまり、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代、と将来の証しである。これらもまた、ビジョンに関する真理であり、最も基本的であるとともに、最も大事なことである。現在のところ、あなたたちが入るべきことと実践すべきことはあまりに多い。そしてそれらは今、重層的でより詳細になっている。もしあなたがこれらの真理について何の認識も持っていなければ、それは、あなたがまだ入っていない証拠だ。たいていの場合、人間の真理についての認識はあまりに浅く、ある種の基本的な真理を実践することができず、ほんの些細なことでさえどう対処すればよいのか分からない。人間が真理を実践できないのは、その反抗的な性質のためであり、また、今日の働きについての認識があまりに表面的で一面的だからだ。これでは人間が完全にされるのは、容易なことではない。あなたの反抗心は強すぎて、古い自己をあまりにも多くもち続けている。あなたは真理の側に立つことができないし、最も明らかな真理も実践できない。このような人間は救われないし、また、まだ征服されていない人々なのだ。もしあなたの過程に詳細も目標も欠けているなら、あなたの成長は遅々として前へ進まないだろう。もしあなたの成長の過程にほんのわずかの現実性もなければ、あなたの努力は虚しく終わるだろう。もしあなたに真理の実質内容が分かっていないのなら、何も変わらないままだろう。人間のいのちの成長と人間の性質の変化はみな、現実に入ることによるのであり、さらに、詳細な経験に入ることによるのだ。もしあなたが、成長の過程に多くの詳しい経験をし、実際の認識と成長の過程を豊かに持つなら、あなたの性質は速やかに変化する。たとえあなたが、今のところ実践においてそれほど目が開かれていなくとも、少なくとも、働きのビジョンについて明察を得ていなければならない。もしそうでなければ、あなたは入ることができない。まず初めに真理についての認識がなければ、そうすることはできない。聖霊があなたの経験の中で導き示してはじめて、あなたは真理についてより深い理解を得て、より深く入れる。あなたたちは神の働きを知らなければならない。
『神の出現と働き』「受肉した神の職分と人間の本分の違い」(『言葉』第1巻)より
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創造主の権威は不変であり、犯すことができない 1. 言葉を用いて万物を創造する神 創世記 1:3-5 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。…
今、あなたは何を追い求めるべきか。あなたが神の働きを証しできるかどうか、神の証しと顕示になれるかどうか、神によって用いられるのにふさわしいかどうかが、あなたの求めるべきことである。神はあなたの中で、実際にどれほどの働きを行なってきたのか。あなたはどれほど見て、どれほど触れたのか。…
あなたは受肉の神を認め、言葉の肉における出現を認めると言うが、神の背後でなんらかの事柄、神の要求に反することを行い、心の中では神を恐れていない。これが神を認めるということか。あなたは神が言うことは認めるが、自分ができることを実行せず、神の道にも従わない。これが神を認めるというこ…