日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 600
人類の中には、もともと家族がなく、男と女という二つの種類の人がいただけであった。家族は言うまでもなく、国もなかったが、人の堕落のゆえに、あらゆる種類の人々が個々の一族へと組織化し、後になって、それは国と民族に発展した。これらの国と民族はまた個々の小さな家族から成り、こうして、あら…
聖霊の働きはさまざまな種類の人や多くの異なる条件によって達成され、完成される。肉となった神の働きは一つの時代全体の働きを表わすことができ、一つの時代全体に人が入っていくことを表すことができるが、人の入りに関する詳細に作用する働きはやはり、肉となった神ではなく、聖霊に用いられている人が行う必要がある。つまり、神の働き、あるいは神自身の職分は肉となった神の働きであって、神の代わりに人が行うことはできない。聖霊の働きは多くの異なる種類の人を通して完成される。ただ一人の人が全体を達成したり、完全に表したりすることはできない。教会を導く人たちも完全に聖霊の働きを表すことはできない。彼らは指導的働きがいくらかできるだけである。このように、聖霊の働きは三つの部分、すなわち、神自身の働き、用いられている人たちの働き、聖霊の流れの中にいるすべての人に作用する働きに分けることができる。神自身の働きは時代全体を導くことである。用いられている人たちの働きは、神が働きを行った後に送り出されたり、任務を受けたりすることによって神の追随者全員を導くことであり、彼らは神の働きに協力する人である。流れの中にいる人たちに作用する聖霊の働きは、その働きをすべて維持すること、すなわち、経営全体と証しを維持し、それと同時に完全にされることのできる人たちを完全にすることである。これら三部分が一緒になって聖霊の完全な働きとなるが、神自身の働きがなければ、経営の働きはすべて停滞してしまうであろう。神自身の働きは全人類の働きを含み、時代全体の働きも表す。すなわち、神自身の働きは聖霊の働きにおけるあらゆる動態と傾向を表す一方で、使徒の働きは神自身の働きの後に来てそれに続き、時代を導くことも一つの時代全体における聖霊の働きの傾向を表すこともない。彼らは人がなすべき働きをするだけで、それは経営の働きとは何の関係もない。神自身の働きは、経営の働き内の事業である。人の働きは用いられている人たちの本分でしかなく、経営の働きとは何の関係もない。正体と働きの表すものが異なるため、どちらも聖霊の働きであるという事実にもかかわらず、神自身の働きと人の働きの間には明確で実質的な違いがある。さらに、異なる正体をもつ対象への聖霊の働きの程度もさまざまである。これらが聖霊の働きの原則と範囲である。
『神の出現と働き』「神の働きと人の働き」(『言葉』第1巻)より
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人類の中には、もともと家族がなく、男と女という二つの種類の人がいただけであった。家族は言うまでもなく、国もなかったが、人の堕落のゆえに、あらゆる種類の人々が個々の一族へと組織化し、後になって、それは国と民族に発展した。これらの国と民族はまた個々の小さな家族から成り、こうして、あら…
一部の人々は推測したがったり想像したがったりするが、人間の想像力は、どの程度まで達することができるだろうか。人間の想像力はこの世界を超越できるだろうか。人間は、神の権威の信ぴょう性と正確さを推測したり想像したりすることができるだろうか。人間の推測や想像により、神の権威の認識を得る…
人は今日の働きも将来の働きも多少理解できるが、自らの終着点を理解していない。被造物として、人はその本分を果たすべきである。つまり、人は何をする場合にも神に従うべきで、わたしがあなたがたに示す方向がどのようであれ、その方向に進むべきである。あなたは自分のための取り計らいの方法を知ら…
神の怒りは人間には隠され未知であるが、犯すことを決して容赦しない 愚かで無知な全人類に対する神の処分は、おもに憐れみと寛容に基づいています。その一方、神の怒りは、大部分の出来事において、ほぼ常に人間には隠され、知られることはありません。その結果、人間には神が怒りを表しているのを見…