日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 107
キリストの人間性はキリストの神性によって支配されている。キリストは肉を持っているが、その人間性は肉を持った人間のそれとはまったく同じではない。キリストは特有の性格を持っており、これもキリストの神性によって支配されている。キリストの神性は弱さを持たない。キリストの弱さはキリスト…
聖霊の働きはさまざまな種類の人や多くの異なる条件によって達成され、完成される。肉となった神の働きは一つの時代全体の働きを表わすことができ、一つの時代全体に人が入っていくことを表すことができるが、人の入りに関する詳細に作用する働きはやはり、肉となった神ではなく、聖霊に用いられている人が行う必要がある。つまり、神の働き、あるいは神自身の職分は肉となった神の働きであって、神の代わりに人が行うことはできない。聖霊の働きは多くの異なる種類の人を通して完成される。ただ一人の人が全体を達成したり、完全に表したりすることはできない。教会を導く人たちも完全に聖霊の働きを表すことはできない。彼らは指導的働きがいくらかできるだけである。このように、聖霊の働きは三つの部分、すなわち、神自身の働き、用いられている人たちの働き、聖霊の流れの中にいるすべての人に作用する働きに分けることができる。神自身の働きは時代全体を導くことである。用いられている人たちの働きは、神が働きを行った後に送り出されたり、任務を受けたりすることによって神の追随者全員を導くことであり、彼らは神の働きに協力する人である。流れの中にいる人たちに作用する聖霊の働きは、その働きをすべて維持すること、すなわち、経営全体と証しを維持し、それと同時に完全にされることのできる人たちを完全にすることである。これら三部分が一緒になって聖霊の完全な働きとなるが、神自身の働きがなければ、経営の働きはすべて停滞してしまうであろう。神自身の働きは全人類の働きを含み、時代全体の働きも表す。すなわち、神自身の働きは聖霊の働きにおけるあらゆる動態と傾向を表す一方で、使徒の働きは神自身の働きの後に来てそれに続き、時代を導くことも一つの時代全体における聖霊の働きの傾向を表すこともない。彼らは人がなすべき働きをするだけで、それは経営の働きとは何の関係もない。神自身の働きは、経営の働き内の事業である。人の働きは用いられている人たちの本分でしかなく、経営の働きとは何の関係もない。正体と働きの表すものが異なるため、どちらも聖霊の働きであるという事実にもかかわらず、神自身の働きと人の働きの間には明確で実質的な違いがある。さらに、異なる正体をもつ対象への聖霊の働きの程度もさまざまである。これらが聖霊の働きの原則と範囲である。
『神の出現と働き』「神の働きと人の働き」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
キリストの人間性はキリストの神性によって支配されている。キリストは肉を持っているが、その人間性は肉を持った人間のそれとはまったく同じではない。キリストは特有の性格を持っており、これもキリストの神性によって支配されている。キリストの神性は弱さを持たない。キリストの弱さはキリスト…
ペテロが追い求めた唯一のもの、それは神の心であった。彼は神の心を満たすことを追い求め、苦難や災いを受けても、喜んで神の望みを叶えようとした。神を信じる者として、これ以上の追及の形はない。だがパウロが追い求めたものは、彼自身の肉的なもの、観念、思惑そして企みによって汚れていた。パウ…
終わりの日に救い主が到来する時、まだイエスと呼ばれていたら、そしてもう一度ユダヤで生まれ、そこで働きを行ったら、これはわたしがイスラエルの人々だけを造り、イスラエルの人々だけを救済し、異邦人とは関係がないことの証明になるだろう。これは「わたしは天と地、すべてのものを作った主である…
この世界にあるすべてが、全能者の思いによって、全能者の目の下で、急激に変化している。人類が一度も聞いたことのない事が、突然到来する一方、人類が常に所有してきたものが、知らないうちに消え去ってしまう。誰も全能者の所在を推し量ることはできないし、まして全能者の生命力の超越性や偉大さを…