日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 5
本物の被造物は創造主が誰か、人間はなぜ創造されたか、被造物としてどう責任を果たすか、万物の創造主をどう礼拝するかを知り、創造主の心、望み、要求を理解し、把握し、知り、大切に扱わなければならない。そして創造主の道、つまり神を畏れ、悪を避ける道に従って行わなければならない。 神を畏…
あなたがたは神の働きと人の働きを区別できなければならない。人の働きに何を見ることができるか。人の働きには人の経験による要素がたくさんある。人が表すものはその人の存在そのものである。神自身の働きも神の存在そのものを表すが、神の存在そのものは人の存在そのものとは異なる。人の存在そのものは人の経験や生涯を表し(生涯においてその人が経験し遭遇するもの、あるいはその人の処世哲学)、住む環境が異なれば、異なる存在そのものを表す。あなたに社会的経験があるか否か、家族の中で実際どのように生活し経験しているかは、あなたが表すものの中に見ることができるが、肉となった神の働きにおいて神に社会的経験があるか否かを見ることはできない。神は人の本質を十分承知しており、あらゆる種類の人に関連するあらゆる種類の実践を明らかにすることができる。神は人間の堕落した性質や反抗的行動を明らかにするのはなおさら得意である。神は世俗的な人のそばには住まわないが、人間の本性や世俗的な人の堕落のすべてを承知している。これこそが神という存在である。神は世間を取り扱わないが、世間を取り扱う規則は知っている。なぜなら人間の本性を十分に理解しているからである。神は人の目には見えず、人の耳には聞こえない聖霊の働きについて、現在のものも過去のものも知っている。これには処世哲学ではない知恵や、人には到底理解できないふしぎも含まれている。これが人に開かれており、また隠されてもいる神という存在である。神が表すものは特別な人の存在そのものではなく、霊に本来備わっている特質と存在そのものである。神は世界中を巡回しないが、世界のすべてを知っている。神は知識も識見もない「類人猿」と接触するが、知識よりも高く、偉人を超える言葉を語る。人間性がなく、人間の慣習や生活を理解しない鈍感で頭の鈍い人の集団の中で神は暮らすが、人類に通常の人間性を生きるよう要求し、同時に人類の卑劣で粗野な人間性を明らかにすることができる。このすべてが、いかなる生身の人間の存在よりも高い、神という存在である。行うべき働きを行い、堕落した人類の本質を余すところなく明らかにするために、複雑でめんどうで浅ましい社会生活を経験することは神にとって不必要である。浅ましい社会生活は、神の肉を啓発しない。神の働きと言葉は人の不従順を明らかにするだけで、人に世界と取り組むための経験や教訓を与えはしない。神が人にいのちを与えるとき、社会や人の家族を調べる必要はない。人を暴き裁くことは、神の肉の経験を表現することではない。それは神が人の不従順を長いこと知り、人類の堕落を忌み嫌った果てに、人の不義を明らかにすることである。神が行う働きはすべて、神の性質を人に明らかにし、神であることを表すことである。この働きができるのは神のみであり、生身の人が達成できることではない。
『神の出現と働き』「神の働きと人の働き」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
本物の被造物は創造主が誰か、人間はなぜ創造されたか、被造物としてどう責任を果たすか、万物の創造主をどう礼拝するかを知り、創造主の心、望み、要求を理解し、把握し、知り、大切に扱わなければならない。そして創造主の道、つまり神を畏れ、悪を避ける道に従って行わなければならない。 神を畏…
神の出現は、すでに諸教会で起こっている。語っているのは霊であり、神は燃え盛る火で、威厳を持ち、裁きを行っている。神は人の子であり、足まで垂れた上着を身に着け、胸に金の帯を締めている。その頭と髪の毛は羊毛のように白く、目は燃える炎のようだ。その足は炉で精錬された真鍮にも似て、声…
エバの創造 (創世記2:18-20)またヤーウェ神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。そしてヤーウェ神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に…
主イエスの喩え 種まきの喩え(マタイによる福音書 13:1-9) 毒麦の喩え(マタイによる福音書 13:24-30) からし種の喩え(マタイによる福音書 13:31-32) パン種(マタイによる福音書 13:33) 毒麦の喩えの説明(マタイによる福音書 13:36-43) 宝の喩…