日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 406
人間が神を信じ、愛し、そして満足させる方法というのは、自分の心で神の霊に触れ、それによって神の満足を獲得すること、そして自分の心で神の言葉に接し、神の霊に感動することである。正常な霊的生活を実現させ、神との正常な関係を築きたいと願うなら、まずは自分の心を神に捧げなければならない。…
神はどのようにして人を完全にするのだろうか。神の性質とはどのようなものだろうか。そして神の性質には何が含まれるのだろうか。それはすべて理解されなくてはならない事柄だ。理解することは神の名を広めることであり、神を証すことであり、神を讃えることである。神を知る基礎を築くことで、人は最終的にいのちの性質を変えることができる。多く取り扱われたり練られたりすればするほど、人は力を得ることになり、神の働きの段階が多ければ多いほど、人はより完全にされる。今日、人が経験を積む中で、神の各段階の働きは人の観念と反する。どの段階も、人の知性の及ばないものであり、人の予想を超えるものである。神は、人にとって必要なものをすべて与えてくれて、それは人の観念とあらゆる面で一致しない。人が弱っている時に神は言葉を発する。こうすることでのみ、神はあなたにいのちを与える。自分の観念に反発することで、神からの取り扱いを受け入れるようになり、そうすることでのみ、あなたの堕落を排除できる。今日、神は受肉して、神性において働くが、また普通の人性を通しても働く。神のどの働きも否定すべきでなく、神が普通の人性において言うことと行う事全てに従うべきである。たとえどれほど普通であっても、あなたは従い、理解すべきである。ひとたび実際に経験すれば、この方が神であることを確信することができ、自分勝手に解釈することなく、最後まで神に付き従うことができる。神の働きには知恵がある。どうすれば、人が神の証人となれるかを神は知っている。神は、人の重大な弱点を知っており、あなたの重大な弱点を、その言葉によって突いてくる。だが一方で、神は威厳があり知恵に満ちた言葉を通して、あなたを神の証人として立たせてる。これは神の不思議な業だ。神によってなされる働きは、人の知性では測り知ることができない。神の裁きは、肉である堕落した人間が持つものとその本質を明らかにすることで、人が己の恥から隠れる場所はなくなる。
神が裁きと刑罰の働きを行うのは、それによって人が神を知り、神を証すためである。人の堕落した性質を神が裁くことがなければ、人が犯すことのできない神の義なる性質を、人が知ることはできず、神に関する古い認識を捨てて新しい認識を得ることもない。神が証すため、そして自身の経営(救い)のために、神はそのすべてを明らかにし、そうすることで人は、神が公に顕われることにより、神の認識に到達することができ、その性質においても変えられ、人が力強い証し人となれるようにした。神のさまざまな働きを通して、人の性質が変化する。そうした変化なしには、人は神への証人とはなれず、神の心にかなうこともできない。人の性質が変化するということは、人がサタンの束縛から自由になり、闇の影響を脱し、真に神の働きの雛形や見本となることを意味しており、真に神の証人となり、神の心に沿うものとなったことを意味する。今日、肉となった神が地上での働きをするためにやって来た。神は、人が神の認識に到達し、神に従い、神への証しとなることを要求する。神の実際の働きと普通の働きを知り、人の考えには沿わない神の言葉と働きすべてに従い、人を救う神のすべての働きと、人を征服する神のすべての行いに対して証しとなることを要求する。神を証すものは神の認識を持たなければならない。そのような証しだけが正確であり、本物であり、そのような証しだけがサタンを恥じ入りさせることができる。神は、裁きと刑罰を経験し、取り扱われ、刈り込まれることを経験し、それによって神を知ることになる者を、自身の証人として用いる。神はサタンにより堕落させられた者を自身の証人として用い、また、その性質が変わり、それにより神の祝福を得る者を、自身の証人として用いる。神は人の口先だけの賞賛を必要とせず、サタンのやからで救いを得ていない者たちによる賞賛も証しも必要としない。神を知る者だけが、神への証しとなる資格がある。性質を変えられた者だけが、神への証しとなることができる。神は人が意図的に自身の名を辱めることを許すことはない。
『神の出現と働き』「神を知る者だけが神に証しをすることができる」(『言葉』第1巻)より
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